エピソード17
虎時が、ソファにもたれかかるように座り込んでいた。
「なあ、伊禮。あの女……名前、聞いたか?」
「ん……? 里緒菜、だろ」
虎時の視線が、ゆっくりとこちらに向いた。
「お前、それどこで聞いた?」
「え、さっき……いや、芹沢が……」
「言ってねぇよ。その名前、最後まで誰も口にしてねえ」
喉が詰まった。
確かに、俺は“知っていた”気がした。けど、それはいつ、どこで……?
虎時が静かに言った。
「お前の中に“最初からあった”記憶かもな」
それが、何よりも不気味だった。
*
明るい朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
芹沢の家は、ひどく静かだった。
まるで、昨夜の出来事が幻だったかのように――
何もなかったような空気が漂っている。
俺は、手にしたガラケーを見つめていた。
咄嗟に送ったメールが、まだ気になっていた。
送信済みBOXを開く。
そこに表示されたのは、
――― “空白”
そして――送信主:NO.9
隣では、虎時が目を閉じたまま、思案にふけっている。
俺自身、あの現象を理解するには、まだ少し時間がかかりそうだった。
「……行くか」
俺は虎時に声をかけた。
部屋を出る直前、ふと足を止める。
――きっと、思いを届けるためだったんだ。あのラジオは。
ソファの上の古びたラジオが、まるで役目を終えたかのように佇んでいた。
「……ありがとう、か」
小さくつぶやいたその瞬間、
胸の奥に微かなざわめきが広がる。
あの女の名を俺は知っていた。
けれど、その記憶がどこから来たのか、今では確信が持てない。
芹沢が失ったのは、妻か、里緒菜か。
それとも、自分の“真実”そのものかもしれない。
記憶は立場で変わる。
見え方は、視点で歪む。
俺たちは、すでに“誰かの作った記憶”の上を歩かされているんじゃないか――
そんな気さえするのだ。
――了。
お前は、本当に生きているのか。
どこかで、また“あのピース”が動き出す。
そんな、嫌に確かな予感がした。
ラジオの奥で、微かなノイズが弾けた。
ザ……ザ……。
まるで誰かが囁くように――
『符号は、まだ終わっていない』
伊禮は息を呑み、画面を見つめた。
そこには、新たなメッセージが浮かび上がっていた。
――送信主:NO.9
件名:符号と微睡(まどろみ)
失われた聲を追って――
伊禮と虎時は、再び“残響”の中へ。
―――― 第1章 完 ――――
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