エピソード12

「なんだよ、虎時。いつも唐突だな」

半ばあきれた顔で声を掛ける。


虎時は気にも留めず、さっき芹沢が座っていたソファにドカリと腰を下ろし、足を投げ出した。

「……で、いつ行くんだ?」


「おいおい。まさか今の話、聞いてたのか? 一緒に行くつもりかよ」


虎時の口角がぐっと吊り上がる。

「まじかぁ……なんで?」


「あまり芹沢のことを詳しくは話せないって前にも言ったと思うが、同行させてもらう以上、ある程度は説明しなきゃな」


言葉と同時に、虎時の表情が警察のそれへと切り替わった。


虎時の話によると――芹沢隼人は表向きは一流商社のエリートビジネスマン。

だが、企業の情報漏洩によるインサイダー取引の疑惑がかかっており、現在はその証拠を追っている段階だという。


つまり、この自宅訪問は“チャンス”でもあった。


……正直なところ、俺も虎時が一緒のほうが、何かあっても対処が効くと思っていた。

だから、本当はありがたい申し出だった。


だが、それでもどこか腑に落ちなかった。


「……その件は、俺には関係ないからな。これは“貸し”だぞ、虎時」


「はいはい」

虎時は軽くいなすように手をひらひらと振ってみせた。


「で、芹沢の家に行って、伊禮は何を見るつもりだ?」


――そこが、一番重要な問いだった。


俺はポケットからガラケーを取り出す。

これまで使い慣れてきたはずのそれが、今はまるで別の装置のように思えた。


「正直、まだ分からない。でも……何かあるなら、行けば見つかるかもしれない。そんな気がする」


「……曖昧だな」


――分かっている。霧の中から小さなピースを探すようなものだ。


そう言いかけたとき、ふわりと鼻先をくすぐる甘い香りが漂った。


「伊禮、シロ!」


明るい声。振り向くと、昂が袋を抱えて立っていた。

そういえば、今日はまだ何も食べていなかった。


「あれ、この人って……?」


虎時は昂を見て軽く会釈する。

「あー、うん……とも、いや……知り合いだ」


俺の曖昧な言葉に、虎時は眉をひそめつつも、きっぱりと言った。

「友人です」


「はは、友人ね。良かったじゃん、伊禮。ついに友達ができたんだ」


昂はからかうように笑い、袋を掲げる。

「今日はシフォンケーキを作ってきたよ。シロもいるよね」


匂いにつられて、奥からシロが駆けてくる。


「はは、こんにちはシロ。今日は君の分もあるからね」

昂は優しく笑いながら、小皿にシフォンケーキを取り分けた。


「で、ふたりで何の相談?」

好奇心を隠さず尋ねてくる。


「内緒だ」


「えぇーーーっ! ズルい! また俺だけ。伊禮も了も、いっつも俺だけのけ者にすんだから!」


昂の声には、どこか懐かしむような、少し遠くを見るような響きが混じっていた。


「了?」

虎時の目の色が変わった。


「了って――久遠了のことか?」


そうだ。虎時は久遠了の行方を追って、俺のもとに来た。なら、昂の存在くらい把握していてもおかしくない。

だが……了の兄が“表立った存在ではない”としたら?

隠されていた。あるいは――誰も見ようとしなかったのかもしれない。


「了とは仲が良かったからな」

咄嗟にはぐらかす。


「そうだよ。学生時代はよく一緒に遊んでた仲なの」

昂は何も気づいていないように笑った。


シロが舌なめずりをしながら駆け寄ってくる。

「いつも美人だね、シロ」


シロを抱き上げ、俺の傍へ近づける。

そのとき、シロの鼻先が俺の手元のガラケーを捕えた。


「ふんふん……」

いつもは無関心だったシロが、まるで懐かしむように鼻先を擦りつけてくる。

その表情は柔らかく、どこか甘えるようだった。


「このガラケーに、何かいい匂いがするの?」

昂もシロと一緒に鼻を近づけてきた。


「おい、やめろって」

慌ててガラケーを引き離す。


シロがガラケーに興味を示したのは初めてだった。


「俺の匂いがいいってことだよ」

「ははは、そうかもね」


その一言がツボに入ったのか、昂は腹を抱えて笑い出した。


――失礼なやつだ。本当に。

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