エピソード11

「長らくお待たせいたしました。電気屋、ながをです。近いうちに引き取りに来ていただければと思い、連絡させていただきました」


芹沢のスマホに、そんな簡単な伝言を残した。


ラジオは一度すべて解体してみた。年代物ではあったが、構造は単純で、ひどい損傷や致命的な故障は見受けられなかった。


――それ自体が、逆におかしい。

あれ以来、俺の手元でこのラジオが異常を起こしたことは一度もない。

つまり、もう預かっておく理由もないということだ。


ただ――どこか引っかかっていた。

このラジオ、何か“別のもの”を隠している。

そんな直感だけが、妙に胸に残っていた。


芹沢に連絡を入れてから、すでに数日が過ぎていた。


「……今日も、引き取りには来なかったか」

独りごちて、店のカウンターを拭きながらため息をつく。

依頼者には悪いが、もしかすると彼は、もうこのラジオのこと自体を忘れてしまっているのかもしれない。


そんなことを思いながら、ふと、ラジオの裏に貼られていた薄い紙の“符号”を剥がした。漢字とも記号ともつかない、奇妙な文様。意味はまったく分からないが、どこか気にかかる。


なくさないように、俺はそれを自分のガラケーの裏側にそっと貼りつけておいた。


――もしかしたら、この符号が、なにか“了”へと繋がる鍵になるかもしれない。

そんな淡い期待も、完全には否定しきれなかった。


ガラン――。

無造作に、店の扉が開く音がした。


「はーい」

いつもの調子で返事をしながら、俺は店の入口へと歩き出す。そこで目にしたのは、以前よりも明らかに顔色の悪くなった芹沢隼人だった。

スーツ姿のまま、額に汗をにじませ、どこか怯えたように立ち尽くしている。


「あのう……その、あの……」

落ち着かない視線でこちらをうかがっている。まるで言葉を探しているような、挙動不審な態度だった。なぜそんなに怯えているのか、正直分からなかった。


「……留守電、聞きました。直ったんですよね……その、ラジオ」

「ええ。今日は、その引き取りに来ていただいたんですよね?」


だが、芹沢の口ぶりはどこか曖昧だった。

ラジオを修理して返す――ただそれだけのはずだった。けれど、その態度には、どこか引っかかるものがあった。


この仕事をしていると、たまに“買い替えた方が早い”ような古い機械を、あえて修理に持ち込んでくる客がいる。そういう場合、その品に何かしらの思い入れがあることが多い。

芹沢にとって、このラジオは亡き妻・加奈の形見だと聞いていた。だからこそ、彼がそれを“受け取りたくなさそうにしている”ことが腑に落ちなかった。


「……あのう、このままラジオを……いや、それって、迷惑ですよね? その……」

歯切れの悪い言葉が続き、思わず問い返す。

「何か、あったんですか?」


仕立ての良いスーツに身を包んでいるが、どこか着こなしがくたびれて見えた。虚ろな目の奥には、言葉では説明できない不安が宿っている。


「……よければ、奥へどうぞ」

俺は店の奥の簡易ソファに案内した。芹沢は戸惑いながらも腰を下ろし、何度も汗を拭いながら、ようやく口を開いた。


「このラジオを手放してから……家で、おかしなことが起き始めたんです」

「……おかしなこと?」

「ええ……夜になると、家の中の家電が、変な音を出すようになって……。テレビ、照明、電子レンジ……全部、ノイズを発するようになって……」


膝に置いた拳が、白くなるほどに握られていた。

「最初は気のせいだと思ったんです。でも、音が共鳴していくように響いてきて……気味が悪いんです。本当に、怖い」


「……その音、他の人にも聞こえるんですか?」

慎重に問いかけた。過去に精神的ストレスから幻聴を訴える客もいたからだ。


「……いいえ。でも、僕は確信しています。妻が亡くなったのは一年も前です。その間、こんな現象は一度も起きなかった……」


その言葉に偽りはなかった。彼は本気で怯えていた。


――電磁波の異常か? 家電が共鳴するなど、通常ではありえない。けれど、俺もあの夜、“あれ”を見た。ガラケーのカメラ越しに映った、説明できない“コード”の現象を。もはや、芹沢の言葉を疑う理由はなかった。


「……ですが、修理済みのラジオは、こちらで保管し続けるわけにもいきません。ただ、もしよろしければ……ご自宅に伺って、動作状況を確認させてもらえませんか?」

芹沢は目を丸くし、一瞬戸惑うも、すぐに小さく何度も頷いた。

「はい、それなら助かります……。では、日程が決まり次第、こちらから連絡を差し上げます」


「ラジオのほうは……」

俺が机の上の機器を指すと、芹沢は身をすくめた。

「それは……そのとき、持ってきていただけますか?」

「わかりました」


芹沢は小さく頭を下げ、帰ろうとした。そのとき――入口から、声が飛んできた。


「おい!」


返事をする間もなく、ズカズカと入ってきたのは虎時だった。

「客だったか? 悪いな」

「あぁ」 と応じる俺の横で、芹沢が所在なげに立ち尽くしている。


「こちらは……」と芹沢が口を開くより早く、虎時が大きな声で割って入った。

「友達です。仲がいい」


そう言って、自分の口元に指を当て、“内緒だぞ”のポーズ。

――そりゃそうか。警察だなんて、どこでも言えるわけがない。


「そうです。友達なんです」

「はぁ……そうなんですね」


芹沢はようやく安心したように笑みを見せた。

「では、訪問の際にはまたご連絡を。ラジオの件も、引き続きよろしくお願いします」

「了解です」


芹沢は軽く会釈し、ゆっくりと店を後にした。

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