第8話 月下のさざめき
ベルグレイス家の私設サロンには、上流令嬢たちの笑い声が満ちていた。
白いテーブルクロスの上で、金のティーカップが揺れる。
「この前の舞踏会、思ったより退屈だったわ」
「ええ。唯一目を引いたのは……“あの子”ね」
「エルディア嬢でしょ? 花の魔法で光らせたとか」
「ふふ。戦にも使えないのに、何のつもりかしら?」
細く笑う声が、カップの縁を震わせる。
ユウナ・ベルグレイスは紅茶を一口含み、完璧な微笑を浮かべた。
だが、その内心には冷たい感情が渦巻いている。
(また……リサの名前。どこにいても耳に入る)
「でも王宮に呼ばれたんですって?」
「うそ。あの魔法で? まさか王子の気まぐれかしら」
「それとも……あの黒衣の騎士様のご推薦?」
その言葉に、ユウナの指先がわずかに強張った。
彼の名前が出るたび、胸の奥がざわつく。
(クロウフォード様は、私たちのような家柄を重んじるはず……なのに)
「リサさんって、魔力も体力も中途半端よね」
「なのに、妙に目立つのよ。あれって天然?」
「ちょっと同情を誘ってるのかも。小動物系?」
「けど令嬢としては三流でしょ。私ならもっと上手く立ち回るのに」
ユウナは微笑みを崩さないまま、ナプキンを優雅にたたんだ。
「皆さま、次の舞踏会――エルディア嬢も出席するようですわ」
「まあ。これまた面白くなりそうね」
「今度はどんな花で笑わせてくれるかしら」
「たとえば……舞踏会の装花に使われる品種と、被らせてみたり?」
「うっかり彼女の魔法が、飾りの花と共鳴して暴走――なんてね」
「怖い怖い。そうなったら、王宮の恥さらしですわ」
「そしたら“花の魔法士様”も社交界にはもう……」
ティーカップを置く音が、妙に静かに響いた。
(誰もが“悪意”と気づかぬように……自然に、リサを孤立させる)
(彼女の立場も、魔法も、そして――クロウフォード様の視線も)
(すべて、私が取り戻す)
その瞬間、ユウナの指先に微かに魔力が滲んだ。
気づかぬうちに、彼女の胸に渦巻く黒い感情が、制御していたはずの魔力に混ざり始めていた。
紫陽花の花弁がひとつ、卓上の花瓶の中で黒く変色し、静かに散った。
誰も気づかない。
この時、サロンの空気を包む柔らかな魔力が――
ユウナ自身の悪意に侵食されていることを。
⸻
王宮、夜。
ディー・クロウフォードは報告書を手にしていた。
「エルディア嬢は引き続き監視対象だ」
魔導監査局の冷たい声が、石造りの会議室に響く。
「次の舞踏会でも目を離すな。癒しの魔法は本来無害だが、感情による暴走の前例がある」
ディーの赤い瞳がわずかに揺れた。
ベルガリアの共鳴魔法士――かつて王都を焼け野原に変えた悲劇が脳裏を過る。
(リサが……あのようになる?)
拳を握りしめると、赤い瞳が鋭く光った。
(俺が見極める。必ず)
⸻
リサの屋敷、夜。
「……もうこんな時間」
窓辺の花瓶に手をかざすと、小さな花が淡く光った。
(次の舞踏会、怖いけど……逃げちゃだめ)
王宮での監査。
あの冷たい視線が脳裏に残っていたが、別の声がその不安をかき消した。
「君の花は優しい。恐れるな」
クロウフォードの低く穏やかな声。
それを思い出すと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
(……不思議。この人を思い出すと、心が静かになる)
リサはまだその感情が何なのか、気づいていなかった。
⸻
屋敷の屋根の上、黒衣の影が月明かりに溶けていた。
ディーだ。
「まだ、不安定か」
彼は誰にも気づかれぬよう、静かに立ち去る。
(あの花を枯らさせはしない。どんな手を使っても)
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