独りを選んだ日
子律
そして私は最善を選んだ
2ヶ月に1度、その期間に溜まったストレスが飽和してしまう日が来る。
朝は普段と同じほわっと柔らかく布団が起こしてくれる穏やかなものだった。
目覚めはいい方だからそのまま1階に降りダイニングへ。
日曜日に作り置きしておいたメインのおかずを解凍せずそのまま弁当箱へ詰め、細切りのきゅうりを塩漬けしてハムを8ミリ幅で切っておく。早ゆでのサラダ用マカロニを2分茹で、茹で終わった同じ鍋で卵を8分茹でる。4つの材料をボウルに集めマヨネーズと塩コショウを適当に入れて卵は潰しながら混ぜる。卵3つを塩コショウと粉チーズで味付けして玉子焼きを作って冷凍の肉団子を2つチンして全てを弁当箱に詰める。
開いた電子レンジの扉にラップを敷き、ふりかけを広げ白米をしゃもじ1杯と半分乗せる。4つの端をつまんで丸めて火傷しないように高く投げながら軽く3角にまとめる。
保冷バッグに弁当箱とおにぎり、そして箸と保冷剤を2個入れてチャックを閉める。
行きの電車はずっと音楽を聴いていて途中から少し頭が揺れている気がする。
教室に着き深く呼吸をする。
教室の空気と人の空気に馴染ませるためだ。
「あぁ、今日はダメな日だ。」
この呼吸で今日がその日だと悟る。
いつもなら笑って見ている担任のオヤジギャグが今日はなんだか霞んでしまって笑えてこない。
友達や見学に来た先輩の会話もモザイクがかかったように不鮮明で頭に入ってこない。
じっと椅子に座って授業を受けているうちに胃が萎縮したような感じがして吐き気に襲われる。
周りにバレぬようゆっくり落ち着けと手をグッと握って身体に司令を出しても止まない感覚たち。
いつも会話が弾む同じクラスの女の子と駅まで歩いてもどこか笑顔がぎこちなかったと思う。
いつもの電車なのに今日はやけに静かで、まるで周りが私を冷たくあしらうよう。
自宅の最寄りまでこの空間にいられない。
表面張力でギリギリを保ったような心をゆらさないようにまっすぐ前を見つめて1歩1歩丁寧に、だけれど少し早歩きで1つ前の駅を降りる。
太陽が雲に覆い隠されて日が落ちていないのに薄暗くて重たい時間。駅と施設までとを循環している路線バスに乗って終点まで向かう。
ひとつ、またひとつと停車場を越す度に乗客が減っていく。そこで乗ってくる人などはいない。
一人、また一人と乗客が減る度にギリギリの心が揺れて、終点のひとつ前でポタポタと飽和してしまった。
普通に生きているはずなのに気付くと無理をしていて、普通に接しているはずなのに気付くと自分じゃなくなっていて、普通に頑張っているはずなのに気付くと限界を迎えている。
溢れ出た感情が涙としてタオルに染み付いて、不安定な足取りでバスから降りて海岸へ歩いた。
誰も止めないことをいいことに【もうこのまま海に消えてもいい】とさえ思いながら。
天候の悪い日が続いたせいで濁っているはずの水がやけに心には綺麗に映って、1歩踏みだす度にこぼれ落ちる涙を砂浜にそのまま投げ捨てて、無意識のうちに溜め続けていたストレスと感情を全て海の波に預ける。
何が面白いのか分からないオヤジギャグも
何処がいいのかも知らない先輩も
何処が遠慮を続けているクラスメイトも
みんな壊れてしまえばいい。素の私が愛したいと、知りたいと思っていないのならば全てここに捨ててしまえば、きっと素の私で生きられる。
でもそんなことは私には出来ない、遥か前から分かっている。
だから今はこの海に預けるんだ。
いつかちゃんと自分と向き合えた時、もう一度ここに笑顔で来た時に回収する。
だからそれまでは、どうか私以外の全てをここに預けさせてください。
少し浮腫んで重くなった瞼を持ち上げて来た道をゆっくり戻る。
さっき通った道だけれどどこか違って見える。
ボーッとバスの窓を見つめて明日の予定を脳内で確認する。
2時間前に降りた駅に着いて立ち上がり、満面の笑みを作る。
「ありがとうございました〜!」
そして私は最善を選んだ。
____完
独りを選んだ日 子律 @kor_itu-o
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