第21話 旅の終わり
「起きろ!ユリ!」
その声で目を開いた。側にはヘレナがいて、ユリの顔を覗き込んでいる。
「このねぼすけ!魔王とクフィアットがなんとか抑え込んでる。お前もなんとかしろ!」
急いで上半身を起こすと、二人が巨大な竜相手に戦っているのが見える。すでに両目に受けたダメージが回復している竜に対し、二人は体の様々な部位目掛けて攻撃を繰り返している。
だが、竜は相変わらず無傷だ。
ユリも立ち上がると、少しでもダメージが入ることを願いつつ、ヴァヴェルに向かって魔法を放つ。しかし、それも虚しく、竜の鱗にすべて弾かれてしまった。
その時、ユリが目覚めたことに魔王が気づいた。
「やっと帰ってきたか!」
「はい!遅くなってすいません!」
「後でお仕置きだな!」
冗談か本気なのかはわからなかったが、ユリは魔王が無事でいてくれて安心していた。
その時、竜が突然その大きく真っ黒な翼を広げたかと思うと、思い切り羽ばたき、空へと飛び上がった。風圧で四人は飛ばされそうになる。
空を飛ぶヴァヴェルに、それを見上げるユリたち。
クフィアットは飛んでいる竜に狙いを定め、矢を放とうとしているが、これでは魔王の攻撃は届かない。
竜は、また突然、大きく息を吸い込み始めた。今度は先ほどよりもゆっくり、深く息を吸っているようで、先ほどよりも強力な火の息が来ることは明白だった。
「クフィアット!矢を三本ちょうだい!」
ヘレナが叫んだ。クフィアットは何が何だかわからないまま、持っていた矢を次々とヘレナに投げ渡す。
ヘレナは素早く矢の先に毒を塗ると、またクフィアットに投げ返した。
「これで翼を狙って!」
クフィアットは少女に言われるがまま、渡された三本の毒矢を竜の翼目掛けて一本ずつ撃ち込んでゆく。
グギャァアアアアアアアアア!!!
三本の矢が当たった竜の片翼は途端に溶け出し、揚力を失った竜は真っ逆さまに地面に落ちてきた。
その凄まじい衝撃で土埃が舞うと、目の前は何も見えなくなった。
土埃がおさまり、四人が目を開けると、片方の翼を失った竜がこちらを真っ直ぐに見ていた。その目は憤怒の炎に燃えている。
竜は突然大きく暴れ出したかと思うと、周りにある結晶化した木を食らい始めた。すると、竜の翼は見る見る元通りになっていく。
「…そうか、しまった!」
魔王が唇を噛む。
「ははは!言っただろう!結晶化した木々はたくさんの魔力を蓄えていると!ここで戦って我に勝てるわけなどないのだ!」
ヴァヴェルは木々の魔力を取り込み、すっかり元の姿に戻ってしまっていた。
「さぁ、諦めろ。さすれば痛みも感じぬほど一思いに殺してくれる」
「ふざけるな!」
魔王はまた竜の目を狙って攻撃する。それに続いてクフィアットも至近距離から矢を放つ。しかし、どこを狙っているか明白な攻撃を防ぐのは、ヴァヴェルにとって容易いことだった。
その時、竜が思い切り振り回した尻尾に魔王とクフィアットが直撃してしまった。二人は壁に強く叩きつけられた。
「魔王様!クフィアット!」
ユリとヘレナは二人に駆け寄る。もう限界なのか、二人はほとんど体を動かせないでいた。ヘレナは急いで傷薬を二人に塗っている。
その時、魔王の口から微かな声が漏れた。
「…お前たちは逃げろ」
魔王は体に無理を言って上半身を起こす。
「竜を倒したいなどと言ったのは私だ。お前たちが犠牲になる必要はどこにもない」
そう言うと、自分の力で魔王は立ち上がった。
「お前たちは逃げるんだ。ここは私がなんとかする」
大鎌を杖のように使い、かろうじて体を支えている魔王の姿を見て、誰もがもう限界であることを悟っていた。
「そんなこと、出来るわけないじゃないですか!」
ユリは泣きじゃくる。
その時、魔王がポツリとユリの耳元で囁いた。ユリは何も言わずに頷くと、静かに立ち上がり、ヴァヴェルと対峙する。
「抗っても無駄だ。我は最強の竜。貴様たちがここで死ぬのは運命なのだ」
「運命なんて…私は信じない!」
ユリはそう言うと、右手の薬指にはめていたブラスクの指輪を外し、それを左手で握った。
「スタラ・ベスティア!」
途端に小さなブラスクの指輪から大量の黒い霧が吹き出した。それはヴァヴェルを上回るほどの大きさにまで広がると、徐々に具体的な形を持ち始める。
そこに現れたのは、巨大で真っ黒な獣だった。
「なんだ貴様!?」
ヴァヴェルは明らかに動揺していた。まさか自分よりも巨大な獣など、存在するわけがないとでも言うように。
「そうか!あの指輪か!まさか太古の獣が封印されていたとは!」
ヴァヴェルは大きな声で笑い出したかと思うと、すぐに巨大な獣に襲いかかった。
しかし、巨大な獣は大きな爪の生えた両手で応戦する。獣の攻撃が竜に直撃し、ヴァヴェルは壁に強く体を叩きつけられた。
ユリ、魔王、ヘレナ、クフィアットの四人は、巻き込まれないようにしっかりと距離を保ちつつ、黙って竜と獣の戦いを見ていた。
それはまるで、怪獣同士の戦いだった。
「なんだ…なんなんだ貴様!?この世に私より強い存在などいないはず!」
ヴァヴェルはまだ自分の陥った状況が理解出来ていないのか、ぎゃあぎゃあと悪態をついている。
次に、ヴァヴェルは巨大な獣に噛みつこうと頭から襲いかかる。しかし巨大な獣はそれを殴って封じ込めると、ヴァヴェルの体に噛みつき、強靭な顎で骨を粉砕しながら吸い込むように食べ始めた。
その勢いは凄まじく、すべて食べ終わるまで十秒も掛からなかった。
満足したように大きな音でゲップをすると、巨大な獣は黒い霧に戻り、ユリの指輪に吸い込まれていった。
もうそこには竜も獣も残っていなかった。
再度、魔王とクフィアットを横にし、ヘレナは傷の様子を確認しながら適切な薬を塗っていく。ユリは何も出来ず、ただ落ち着かない様子でうろうろと辺りを歩き回っていた。
今にも死んでしまいそうな二人の役に立てないのが不甲斐なかった。
「ふぅ、クフィアットは少し休めば大丈夫だろう。問題は魔王の方だ…」
ヘレナのその言葉を聞き、ユリは急いで魔王に駆け寄る。
「傷が深いし、骨も折れまくってるし、とにかく体全体へのダメージが大きい。なんでまだ生きてるのか、不思議なくらいだよ…」
魔王は、それでも自分の力で上半身を起こした。
「私の傷は城に戻らなければ治せん。今回の旅は一旦ここまでだ。帰るぞ」
魔王は自力で立ち上がろうとしたが、すぐにふらついて倒れそうになった。それをユリが全身で支える。
「一緒に行きましょう、魔王様。私がお供しますから」
ユリはヘレナに視線を向けると、ヘレナは大きく頷いた。
「クフィアットは少ししたら私がラスノーチまで送っていくよ。二人は先に出発しててくれ」
ユリは二人に別れを告げると、魔王の体を支えながら、竜の谷を後にした。
「まったく、魔王ともあろう私が、側近にここまで世話になるとはな」
魔王の口からは愚痴しか出てこなくなっていた。だがユリは、嫌な気はしなかった。
「しかし、あの指輪に封印された獣…解放したのは見事だったぞ」
「…どうして、あんな強力な獣が封印されているってわかったんですか?」
「確信があったわけじゃない。だが、何かしら封印されていることはわかっていたし、ブラスクに封印されるほどだ、それなりに戦えるだろうとは思っていたが、まさかあの獣だったとはな…」
そう、あれは大博物館で見た絵画に描かれていた古の獣だった。
確か、封印戦争。
「でも、ドワーフはなんであんなものが封印された指輪を私に?」
「なんでだろうな…わざとだとは思えんが…案外一番驚いているのはドワーフたちだったりしてな…うっ」
痛みに悶える魔王。ユリは一旦立ち止まると、傷口に巻かれている包帯を結び直した。
「なぁ、ユリ」
魔王は珍しく自分から話をしようと声をかけ続けてくる。きっと凄まじい痛みを誤魔化そうとしているのだろう。
「なんですか、魔王様」
「ヴァヴェルの魔術で記憶の世界に飛ばされたこと、覚えているか?」
「はい、もちろんです。魔王様が助けてくださいました」
「すまないな、大切な記憶の中にまで入り込んでしまって」
そんなことない、とユリは首を左右に振る。
「魔王様がいなかったら、私はこちらの世界に戻って来れなかったでしょう」
しかし、ユリには一つ疑問が残っていた。
「一つだけ聞かせてください…あの記憶の世界で会った私の両親は、私の知らない事実を教えてくれました。記憶の世界で、そんなことが起こるのでしょうか?」
「さぁな…お前の聞き間違いか、ただの妄想か…まぁ、お前の両親がどうしても娘に会いたくて、記憶の世界にまで来てしまったと言うことも考えられるが…家族の絆と言うのは、それほどまでに固いものかもしれない」
それを聞き、ユリは少し嬉しかった。あれが本当の両親の言葉でなかったとしても、もうそんなことどうでも良いやと思えた。
あの世界で両親に会えた。伝えたい言葉を伝えられた。それだけで、前に進んで行ける気がした。
「うっ…ぐっ…」
魔王の呼吸がどんどん荒くなってくる。
「魔王様、もうすぐ白い丘です。一旦そこで休憩しましょう」
ユリの花畑に、二人は腰を下ろした。ヘレナからもらった痛み止めの薬を魔王に飲ませる。かなり味が悪いのか、最初は嫌がっていたが、ユリが険しい顔で飲むように強要すると、素直に最後まで飲み干した。
しかし、魔王の調子が悪くなる一方なのは、ユリにもわかっていた。呼吸だけじゃない。体に負ったダメージも魔族の自然治癒力を遥かに超えているようで、ついには歩くことも困難になってきていた。
「魔王様、少し横になりますか?」
魔王は何も答えなかったが、自分からユリを膝枕にして、そのまま横になった。
真っ白なユリの花に囲まれた魔王様の顔は、美しいと思った。
「ユリ、聞いてくれ」
魔王は目を閉じ、苦しそうな声を押し出す。
「最初は旅など、くだらないと思っていた。だから、所詮は世界征服を始める前の視察程度にと思っていたんだ。だが違った。私は世界征服において、皆殺しにする予定だった多くの人間たちと出会い、奴らの作る食べ物を口にし、様々な種族の生き様をこの目で見た」
魔王は一旦息を整える。ユリは黙ってそのまま聞いていた。
「お前たちには伝わっていなかったと思うが、私は心の底からこの旅を楽しんでいた。玉座に座って家来に命令し、報告を受けるだけの日々とは違った。自分の目で世界を見ることが、どれだけ大事なことなのか、この旅は私に教えてくれたんだ」
魔王は目を開けると、ユリの顔を見つめる。
「頼みがある」
ユリは耳を魔王の口元に近づけた。その声はもうほとんど聞こえなくなってきていた。ユリの目には涙が溢れ出した。
「私はもうダメだろう。私が死ねばお前が今や最強の魔族。どうか新たな魔王になり、魔族を導いて行って欲しい」
「そんなこと、言わないでください…」
ユリは声を振るわせた。目からは涙がこぼれ落ちる。その涙が、魔王の頬に滴り落ちた。
「争いの時代はもう終わりだ。魔族も他の種族と交流し、この国を、世界を、誰もが安全に旅の出来る場所にして欲しい。ユリ、これはお前にしか出来ないことなんだ」
魔王の手がそっとユリの頬に触れた。
「お前のおかげで竜は無事に倒せたが、唯一の心残りは、お前が作る世界を、お前と一緒に旅することが出来ないことだな」
ユリは魔王の体に覆い被さり、抱きしめた。その体は、魔王などと言う強大な存在のものではなく、ただ一人の女性のものだった。
目からは涙がとめどなく溢れ出してくる。
「魔王様!大好きです…どこにも行かないでください!」
ユリは声を絞り出す。大粒の涙がボロボロと溢れだす。
しかしそんなユリの顔を見て、魔王は微笑んでいた。
「私の名前は…リリアだ」
そう言うと魔王はゆっくりと目を閉じ、その体からはすべての力が抜けていった。
「リリア!リリア!」
ユリは愛しい人の名前を何度も叫んだ。だがその人はもう、応えなかった。
ユリは白い丘で魔王を弔い、その地を去った。
その墓標にはリリアと言う名前が書かれている。しかし、そこに眠っているのが魔族の王だと知るものは、この世界に一人だけだった。
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