第1章:夢の再会と完璧な愛の誘惑

 光の回廊の奥で凝集していたエーテルの粒子が、急速に形を成していった。それは、アオイの心の中で最も鮮明なイメージとして刻み込まれた、あの探求者の姿である。


 そして、そこに立っていたのは、間違いなくシオンであった。


 灰色の瞳は、現実の世界で見たときよりもさらに深く、清澄に輝いている。彼は、周囲が夢の空間であること、そしてアオイが今、人間の姿で目の前にいることの全てを、完全に理解しているようであった。なぜなら、この夢の中のシオンは、アオイの意識が創り出した「理想の伴侶」だからだ。


 シオンはゆっくりとアオイに近づくと、その手に触れた。現実では決して許されなかった、肌と肌の温もりを感じる接触。


「アオイ。ようやく、君とこうして言葉を交わせる」

 シオンの声は、感情を抑えきれない、震えるような響きを帯びていた。


 アオイの喉から、長らく失われていた「言葉」が溢れ出しそうになる。しかし、彼女はまだ、その言葉を飲み込んだ。この夢の甘さに、一歩踏み込むことを躊躇したのだ。


 シオンはアオイの心の戸惑いを読み取ったかのように、優しく語りかけた。


「君が、僕の導き手だった。エーテル界で、境界の門の残響で、そしてネオ・ルナリアの路地裏でも。君はいつも、言葉を発さずに僕を真実へと導いてくれた」

 シオンは、アオイの掌に自身の掌を重ねた。

「なぜ、君がそこまでして僕を現実へ還そうとしたのか、この夢の中で、僕は理解した。君が選んだのは、自己犠牲の愛だったのだな」


 アオイの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、彼女の深い献身が、ついに愛する人に完全に理解されたという、魂の解放の涙であった。


「シオン……私は……」


 アオイが言葉を紡ごうとすると、シオンはそれを制した。


「もう何も言わなくていい。私は知っている。君が現実で猫の姿に戻った理由も、ユキへの愛を『現実への錨』としたことも。だが、アオイ。君の愛は、この夢の中でのみ、完全に結実するのだ」


 シオンは、アオイを抱きしめた。その抱擁は、アオイが猫としてユキから受け取る温もりとは違い、彼女が人間として、対等な立場で愛されることの、圧倒的な幸福感に満ちていた。


「この夢の回廊は、君の意識が創り出した、君だけの世界だ。外の世界がいくら困難でも、ここでは永遠に、愛を言葉で語り合える。現実の制約から解放された、真の物語がここにあるのだ」


 シオンの言葉は、アオイが心の奥底で最も望んでいた、完璧な誘惑であった。


 愛の成就。言葉の自由。そして、永遠に失われない絆。


 アオイは、この夢のシオンとの愛が、現実のシオンが選んだ「新しい物語」の自由を奪うものであることを知っている。しかし、愛が言葉によって完全に満たされるという、この甘美すぎる現実は、彼女の心を現実の倫理観から遠ざけていった。


(私は、この夢の愛を、永遠に手放したくない……)


 この夢の中に留まること、それはアオイにとって、これまでの自己犠牲の全てを否定する行為であった。しかし、人間として存在する喜びと、愛するシオンと対等に言葉を交わす幸福は、彼女の決意を、危ういほどに揺さぶり始めていたのである。


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