第六話「恋知らず」
へい、今夜もありがとうございます。
お客さん方の顔を見てると、すっかり
さて、昨日約束した通り、今夜は恋のお話です。
え?
そこの
でも、これがなかなか難しい話でして。
あっしら鰻の恋愛事情ってのは、人間とはちょっと違うんです。
まず、お相手が
あっしがもし恋をするとしたら、お見合い相手は数千キロ先の南の海。グアムよりもずっと向こうです。
人間で言えば、江戸にいるのに、お見合い相手が
これ、どう考えても無理ゲーでしょ?
しかも、会えるのは一生に一度きり。そこで運命の出会いを果たして、子を残したら、もうお
恋愛期間なんてものはありません。いきなり結婚して、すぐお別れ。
これじゃあ、恋を楽しむ暇もありゃしない。
あっしは川で暮らしながら、よく考えたもんです。
「恋って、一体何だろう?」
川の上を渡る風に乗って、時々人間の恋の話が聞こえてくるんです。
「好きになっちゃった」だの、「会いたくて会いたくて」だの、「一緒にいると幸せ」だの。
聞いてるだけで、胸がきゅんとなる。
あぁ、そんな気持ちを味わってみたかったなぁ。
川底の泥の中で、あっしは想像してみました。
もし、あっしに恋人がいたとしたら、どんな風だろう?
毎日一緒に泳いで、
月夜に
そんな日々を送ってみたかった。
でも、現実は違いました。
あっしは性別も
恋人どころか、同じ種類の鰻に会うことも滅多にない。
たまに出会っても、お互い警戒して、すぐ別々の方向に泳いでいく。
寂しいもんです。
でも、ある夜のこと。
川の上で、若い男女が語り合ってるのが聞こえました。
「僕は君のことが好きだ。でも、来月には遠くへ行かなくちゃならない」
「私も、あなたのことが好き。でも、会えなくなるのね」
二人は泣いてました。
あっしは泥の中から聞いてて、不思議に思ったんです。
好き同士なのに、なんで悲しんでるんだろう?
あっしらから見たら、とても贅沢な悩みです。
だって、お互いの気持ちが分かってるじゃないですか。
一緒にいる時間があったじゃないですか。
思い出もたくさん作ったじゃないですか。
あっしなんて、恋人の顔も見たことがない。声も聞いたことがない。
でも、その時気がついたんです。
恋ってのは、会えるから素晴らしいんじゃない。
会えないからこそ、美しいのかもしれない。
あっしは遥か南の海にいる、まだ見ぬ恋人のことを
どんな姿をしてるんだろう?
どんな性格なんだろう?
今頃、何をしてるんだろう?
会ったことがないからこそ、無限に想像できる。
会ったことがないからこそ、完璧な恋人でいてくれる。
これって、ある意味、理想的な恋じゃないでしょうか。
人間の恋は、会ってるうちに相手の嫌なところも見えてくる。
喧嘩したり、別れたり、また仲直りしたり。
でも、あっしの恋は永遠に美しいまま。
川を泳ぎながら、あっしは恋人に語りかけました。
「おーい、元気でやってるかい?」
「あっしは今日も川で頑張ってるよ」
「いつか会えたら、いっぱい話したいことがあるんだ」
返事は聞こえません。
でも、風の音が、まるで恋人の声のように聞こえる時があります。
川の流れが、まるで恋人の手のように優しく感じる時があります。
月の光が、まるで恋人の
これも恋の一つの形なのかもしれませんね。
あっしは結局、恋人に会うことはありませんでした。
でも、恋をしたことがないわけじゃない。
毎日、想ってました。
毎夜、語りかけてました。
会えない恋人を、ずっと愛し続けてました。
それが、あっしの恋です。
そちらの若いお嬢さん。恋に悩んでらっしゃる?
会えなくて
でも、想えるだけで幸せじゃないですか。
その人のことを考えてるだけで、胸が温かくなるじゃないですか。
あっしから見たら、それはとても贅沢で、とても美しいことです。
恋は会うことが全てじゃない。
想うことから始まって、想うことで完成する。
そんな恋があってもいいんじゃないでしょうか。
……今夜はこれまで。
皆さん、お疲れさまでございました。
明日は、ちょっと重い話になりそうです。あっしら鰻の置かれた現状について。
でも、絶望的な話じゃありません。希望の話です。
それでは、また明日。恋の夢とともに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます