第五話「蒲焼き待ち」
はいはい、今夜もお疲れさまです。
お客さん方、だいぶ慣れてきましたねぇ。最初の頃は「
ありがたいことです。
さて、昨日は偉そうなことを申しましたが、今夜は約束通り楽しい話を。
あっしが
え?楽しいって、死にかけた話が?
いやいや、これがなかなか面白いんですよ。聞いてみてください。
あれは秋も深まった頃でした。
あっしは
そこへ、川福の大将がやってきた。
この大将、腕のいい職人でしてね。手際よく網を投げて、あっしをひょいと捕まえちゃった。
「おお、いい鰻だ」
なんて言いながら、あっしを
あっしは桶の中でぐるぐる泳ぎながら思いました。
「ついに、この時が来たか」
覚悟はできてました。長い間、川で暮らしてきましたが、いつかはこうなる運命。
でも、せっかくなら
そんな気持ちで、川福の台所へと運ばれていったんです。
店に着くと、大将が言いました。
「よし、今日は上等な鰻が入ったぞ。腕によりをかけて焼いてやろう」
あっしは桶の中で聞いてて、なんだか嬉しくなりました。
だって、「上等」ですよ?
大将は
「うん、身がしまってる。
って、目を細めて
あっしは思わず胸を張りました。
「そうでしょう、そうでしょう。あっしも頑張って生きてきましたからね」
次に、大将が包丁を
シャリ、シャリ、シャリ。
その音を聞いてると、なんだか心が落ち着いてきました。
職人の仕事ってのは、美しいもんですねぇ。
無駄のない動き。手に
あっしは、その一部になれるんだなぁと思ったら、誇らしくなりました。
包丁を研ぎ終わった大将、今度はタレの準備です。
その匂いったら、もう
甘くて、
あっしは思いました。
「こんなタレをかけてもらえるなんて、光栄だなぁ」
そうこうしてるうちに、お客さんが来ました。
常連らしい初老の紳士です。
「大将、今日は特別美味しい鰻があるって聞いたけど」
「ええ、とびきりのが入りましたよ。今から焼きますから、少々お待ちを」
大将は嬉しそうに言いました。
あっしも嬉しくなりました。「とびきり」ですよ、「とびきり」。
お客さんは席に座って、楽しみに待ってる。
大将は炭をおこして、火加減を調える。
あっしは桶の中で、その様子をじっと見てました。
いよいよ、その時が来ました。
大将があっしを取り出して、まな板の上に載せる。
「さぁ、行くぞ」
包丁を構えて、狙いを定める。
あっしは目を
「ありがとうございました。美味しく食べてもらってください」
心の中で、そう言いました。
その時です。
隣の
大将は包丁を止めて、慌てて外を見る。
「こりゃあ大変だ!」
あっしを桶に戻すと、急いで火消しに駆け出しちゃった。
あっしは桶の中で、ぽつんと取り残されました。
「あれ?死ななかった」
しばらくして、大将が戻ってきた時には、もう店じまいの時間。
「すまないねぇ、お客さん。今日はもう遅いから、明日また来てください」
常連のお客さんは、
「いやいや、火事の方が大事だよ。また明日楽しみにしてるから」
って、笑って帰っていきました。
大将はあっしを見て、
「お前も災難だったなぁ。でも、おかげで一日長生きできたじゃないか」
なんて言いながら、水槽に移してくれました。
あっしは水槽の中で考えました。
死ぬ覚悟はできてたけど、もう一日もらえた。
この一日で、何ができるだろう?
何を思えばいいだろう?
そんなことを考えてるうちに、あの声が聞こえてきたんです。
「語ればいいじゃないか」
あぁ、そうか。
あっしが体験したこと、感じたこと、学んだこと。
それを誰かに伝えることができれば、あっしの命も無駄にならない。
大将の職人としての誇り。お客さんの楽しみにしてくれる気持ち。火事の時に助け合う町の人たち。
みんな美しい。みんな大切。
そういうものを、語り継いでいこう。
それが、流され損ねたあっしの使命なのかもしれない。
……今夜はこれまで。
皆さん、お疲れさまでございました。
明日は、恋の話でもしましょうか。あっしが一度もしたことのない、恋の話を。
案外、したことがないからこそ語れることもあるもんです。
それでは、また明日。美味しい夢とともに。
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