第23話 家族
着物の値段を調べるためにスマホを久しぶりに開いたことで、大量の通知が押し寄せてきた。
ゲームやSNSの通知から、システムの通知。
そして…家族からの連絡の通知も。
「………」
スマホの画面を見つめ、私は指を近づける。
日本でならだれもが使っている連絡のアプリ。
それを開いて友達一覧を見ると、家族全員からメッセージが届いていた。
しかし、それを開く操作するのはやめた。
「どうしたの?そんな深刻そうな子でスマホなんか見つめて」
「ホミ…」
洗濯物が入った籠をもって居間に帰ってきたホミ。
私のスマホを覗き見ようとしたので、反射的に隠してしまった。
けど、何を見ていたかはチラッと見えたのか、何かを察した様子。
「…電話くらいなら、大丈夫じゃないかな?」
「…そう、かな?」
「きっと大丈夫だよ。…仮に帰ることになっても、夏祭りの日にこっちに来てくれたらいいし」
家族とのやり取りの画面を開いてしまうと、既読がついてしまって余計に面倒なことになる。
だから途中でやめたけど…でも、流石に連絡はすべきだと思う。
私は、ホミに一声入れてから居間を出て、母親に電話をかけてみた。
◆
「………」
サカイが見ていた、日本で広く使われているメッセージアプリ。
私も使っているものだから、何をしているのかすぐに分かった。
だから…胸を締め付けられるような気持になるんだろう。
サカイが帰ってしまうかもしれない、と…
「…でも、いつかは帰らないと、だよね」
誰もいない私だけの居間で、誰かに言っているようで…自分にそう語りかける。
自己暗示。
時には必要になるもの。
けど…そうして堪えてきた結果が今の私で、今のサカイなんだ。
…帰ってほしくない。
わがままなんかじゃない。
これを、『わがまま』とは言わせない。
いいじゃないか、本音を言うくらい。
言って良いことと悪いことがあるとはいえ…この気持ちを悪いことだとは思えないから。
「…いけないいけない。洗濯物を畳まないと」
嫌な考えを頭から追い出すように、自分が今すべきことに逃げる。
無心で洗濯物を畳んでいると、いつの間にか時間が過ぎていてすべての服を畳み終わり…
「…おかえり」
サカイが居間に戻ってきた。
…どこか、寂しそうな表情で。
「サカイのお母さん?お父さん?それともお兄ちゃんお姉ちゃんかな?誰に電話したか聞いてなかったけど…なんて言ってた?」
「………」
私の質問に、サカイは黙ったまま。
視線を落として、私とは目を合わせてくれない。
……まさか。
嫌な考えは頭を離れない。
心配になって、立ち上がろうとしたところでサカイがこっちに来る。
そして、立ち上がろうとした私を座らせて…抱き着いてきた。
「…ホミは、私を捨てないよね?」
「……もちろん」
………私は、今日のこの瞬間ほど自分を罵倒したことはない。
『ホミは、私を捨てないよね?』
その言葉の意味は…家族に捨てられた、ということだろう。
…まだ決まったわけじゃない。
いつかは帰るかもしれない。
けれど…少なくとも今じゃない。
帰る家を失ったサカイを見て、普通なら哀れに思うだろう。
同じ状況で、心優しい人に拾われていたならば、同情と拾った責任からサカイにこの先もここに住むことを提案されていただろう。
けど、私は違う。
…サカイがずっとここに居てくれるんだと、安堵して…喜んだ。
「お母さん…言ってた。『生活費は送る』って」
「そっか…」
「…信じられる?お母さんとの会話、『どこにいる』『なにしてる』『生活費は送る』だけなんだよ?」
……通りで帰ってくるのが早かったわけだ。
選択を畳む時間なんて、毎日毎日やってて慣れている私ならすぐ終わる。
そのわずかな時間で、電話を終えて帰ってきた。
サカイのお母さんから見れば、2週間近く行方不明だった娘から連絡が来たという、大慌てするような状況なのに…
「せめてさ、『迷惑をかけすぎるな』くらいの事は言ってほしかったよ。そうしたら、私は娘として大切にされてるんだって思えるから。けど、それすらないってことは………お母さんは私が居て、迷惑だったんじゃないの?」
「………」
…そこまで話を聞いて、ようやく可哀想だと思えた。
サカイがここに居続けてくれること、生活費が送られてくるということは親がここに居ることを認めてくれたってことだと思ってたから。
それを捨てられたと解釈するのは、サカイの思考ならありえない話じゃない。
サカイは…あまり思考がポジティブに働く人間ではないから。
けど違った。
本当に…本当に…
「私はね…要らない子――」
「サカイ!!」
聞くに堪えなかった。
もう、自分を責める気持ちとかどうでもよくなった。
そんな事より優先すべきことが目の前にある。
私はサカイを強く抱きしめ、力任せに押して床に押し倒す。
私の体でサカイを覆って、全てから守るように抱きしめる。
サカイも、そんな私から離れたくないのか、苦しいくらいに抱き返してきた。
そうやって私たちは1つになって……気が付けば、夕日が部屋に差し込む時間になっていた。
「ホミ」
「なに?」
「私を捨てないでね」
「捨てないよ。まだ信頼できない?」
「…そんなことない」
夜ご飯を食べて、お皿洗いも終わって…お風呂の前に少しゆっくりする時間。
私とサカイは手を繋いでテレビを見ている。
肩を寄せ合うほどの距離ではなく、かといって離れている印象も感じないような、丁度いい距離。
サカイも無理に距離を詰めるようなことはせず、今の距離感で話しかけてくる。
ただ、私に捨てられてしまうのが怖いのか、ずっと話しかけてくるのでテレビの内容が全く頭に入ってこない。
「そんなに怖がらなくても、私はサカイを追い出したりしないよ。ほらおいで」
「うん」
仕方なくテレビを見るのは諦めて、サカイを膝の上に座らせて慰める。
向かい合う形で私の膝に座るサカイの頭を撫で、怖がらせないようにやさしく声をかけた。
そんなサカイを見ていると、私もふと自分の家族の事が気になってきた。
私は3人兄妹の中間子で、兄と弟がいる。
兄は大学生で、県内では一番の大学に進学する頭のいい兄だ。
弟もまた頭がよく、私が家に居た頃はよくテストで一番だとか、いい点を取ったとか言っていた覚えがある。
今は高校受験に向けて猛勉強中らしい。
そんな勉強のできる兄弟に挟まれている私だけど、その二人ほど頭は良くなかった。
そのせいで兄弟と比較されてやる気をなくし、私の事を大切にしてくれる祖父母のところにお邪魔することが多かった。
長期休暇は、そのほとんどの時間をこの家で過ごしていたからね。
祖父母に甘えることの多かった私だけど、決して両親が嫌いなわけではない。
父は京都の会社で働いていて、父親自慢じゃないけど年齢ごとの平均年収よりは稼いでいるらしい。
母は中学教員で、母から勉強を教わることは多々あった。
2人ともしっかりした人で、勉強だけでなく社会に出て恥ずかしくないような人間性に私を育ててくれた。
けれど、そんな2人が失敗したことがあるとすれば、勉強の強要だろう。
両親は兄や弟を引き合いに出すことはなかったものの、周りの人間がそれをしてきた。
そうして兄弟との差に苦しむ私に嫌でも勉強をさせたせいで、中学の後半からはほぼ不登校。
今も一応通信制の学校に通ってるんだけど…まあ、登校日にサカイと出会ってからは、サカイに夢中で行ってない。けど、そろそろ行かないとと思っている。
不登校になって2カ月ほどで、両親は私に配慮してよく祖父母の家に連れて行ってくれたり、学校に顔を出す日以外は祖父母の家で過ごすことを許してくれた。
とても理解のある親だ。
特に、祖父母が死んだあと、この家や祖父母の遺産相続の事で親戚中に頭を下げて回って、祖父母が持つほぼすべてを私にくれたことの感謝は一生忘れない。
親戚にやさしい人が多くて、私の事を気遣ってくれたというのもあるかもしれないけど…
「…ホミ?」
「ん?ああ、ごめんね。何の話だっけ?」
「…何でもない。ずっと私の隣に居てくれるなら、何でもいいよ」
「そう?じゃあ、サカイがずっとここに居て」
「そうする」
悲しみに暮れるサカイを慰めていると、昔のことを思いだす。
悲しいことがあったとき、私もこうやっておばあちゃんに甘えてたんだっけ?と。
その時おばあちゃんは、私の事優しく慰めてくれたし、落ち着くまでずっとそばに居てくれた。
今度は私の番だ。
「…私ね。今気づいたことがあるんだ」
「なに?」
「自分がどれだけ恵まれてたか、ってね?」
「…ホミの家族は、いい人なの?」
「サカイが聞いたらびっくりするくらいには」
自信満々に言い切ると、サカイは口をへの字に曲げて不満そうにする。
「…ずるい」
「だよね。…でも、だからこそ情けないなぁって思った」
「なんで?」
「こんなに恵まれてるのに、私はその環境を活かせてないって。ただ甘えてるだけだって」
私にもう少し気合があれば、なんてのはもしもの話。
今から取り戻すことのできない、過去の過ちだ。
けど、そんな過ちを持ちながらも今をこうして幸せに生きている。
それってきっと、サカイから見れば唇を血が出るほど噛むほど羨ましい人生で、気に入らない人間だと思う。
「こんな、サカイからしてみれば気に入らないことしかない女だけど…私でいい?」
「……バカ」
「…ありがとう」
サカイは、そんな私でもいいそうだ。
言葉は一言だけど…それだけでは語り切れない感情が籠っている。
こんな私を頼ってくれるサカイが…私は好きだ。
すると、ふとサカイが体を起こして私の膝の上から降りると、床に座って私の頬に両手を当ててじっと顔を見つめてきた。
「ホミ。自分の事を、『こんな』って卑下しないで」
「…ご、ごめん」
…言いたいことは分かる。
私が自分をダメみたいに言ったら…サカイはどうなの?ってなる。
その…あんまり良くないけど、私とサカイを比べると『世間的には』私のほうが立派だと言われるだろう。
だから…サカイにとっては嫌な表現だった。
「私もホミも一緒。環境に甘えて、“普通”になれなかった人間」
「私はともかく…サカイが?」
「真面目にやったことなんてないよ。ずっと上の空で生きてきた。そして、その生き方とそれを許してくれる環境に甘えてた」
「サカイの場合は許してくれると言うか、諦められてる…」
「え?泣くよ?泣いて喚いてホミのことパンチするよ?」
「ごめんって…」
私とサカイは一緒。
そうか、そういうことなんだね。
環境が違うのに同じような人間になったのは、その違う環境に甘えて“普通”になれなかったから。
親近感を感じるのは、そこからなんだ。
「だ・か・ら!ホミが『こんな』とか『私なんて』って言うと同時に私のステータスも下がるの!」
「……ん?」
「え?違うの?」
「い、いやいや!その通りだよ!り、理屈が一瞬理解できなかっただけで…」
…サカイはそこまで考えてなかったのか。
これは…ちょっと失礼な事を考えてたかもね。
にしても、私とサカイが一緒ってそういう意味…
「そうなんだ…ホミって意外と……」
「え?なに、喧嘩?」
「私は全然いいよ〜。相手に思ってること全部、拳に乗せてぶつけるって憧れるんだ」
「物騒だなぁ…」
サカイにバカ呼ばわりされて、プライドが傷付いてカチンと来た。
学力でも筋力でもサカイに負けているとは思えない。
喧嘩なら勝てる。
…でも、別に喧嘩したいわけじゃないから、サカイの考え方にはちょっと賛同できないかも。
「ボミと喧嘩…私負けないよ」
「私に勝てると思ってるの?小学生に鬼ごっこで追いつけないサカイが?」
「恵まれた環境で勉強を諦めるような、メンタルよわよわなホミはワンパンKOで勝ちだよ」
「………」
「………」
…なんだろう。
最初は冗談のつもりだったけど、地味にイライラしてきた…
本気で喧嘩…いや、そんな事したら楽しく夏祭りに行けないや。
あざとかが残った状態で夏祭りなんて…せっかくの浴衣が台無しだからね。
「なんて冗談。さあ、お風呂に入ろうか」
「うん。もちろん一緒だよね?」
「そんなの当たり前だよ。じゃあ行くよ」
私が冗談と言うと、サカイもニコニコと笑顔になる。
2人でお風呂に入って…同じ布団で寝る。
もう布団は1つしか出さない。
今後、2つ必要になる事はそうそうないだろう。
過程がどうあれ…結果は1つだ。
サカイは…ずっとここに居る。
その事が嬉しくて……
「ありがとう、ホミ」
寝るために目を瞑っているのを見て、もう寝てしまったと勘違いしたサカイの愛情表現を堪能して、凄くいい気分になれた。
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