第5話 村の人達

「起きて。朝だよ」

「んん〜……」

「ほら起きて」


エアコンの効いた部屋に布団が1つ。

ホミが寝ていた布団は既に畳まれていて、私がホミよりどれだけ長く寝ていたかを教えてくれる。

枕元のスマホを確認すると、6時と表示された。

いつもはもう少し遅く起きているが…ホミに起こされるのなら起きるしか無い。

ここでこれから暮らすのだから、ホミの生活習慣に合わせるべきだ。


まだ眠い目を擦って体を起こし、フラフラしながら立ち上がって洗面台へ向かう。

冷たい水で顔を洗って目を覚ますと、ホミが作ってくれた朝ごはんを食べる。


「……美味しい」

「ありがとう」


ホミのだし巻き卵はプロ顔負けの味がする。

ふわふわでジューシーで、だしの風味も塩気も丁度いい。

こんなに美味しいだし巻き卵、私は食べたことが無い。


「新鮮な卵を使ってるからかな?近く…と言っても自転車を使う距離だけど、近くに養鶏場があってね。そこのおじさんに採れたての卵を貰ってるんだ」

「へぇ〜?…それはタダで?」

「うん。卵って、意外と売りに出せない規格外品が多いんだって。ちょっとでもヒビが入ってたり、殻に変な形があるとスーパーに並べなくなるんだよ。そう言った規格外も安く売ればいいらしいんだけど…まっ、別で売るのも大変だし、自分達で消費するか、この石滑村いすべりむらの村民で消費してるの」


ここ、石滑村って言うのか。

変わった地名だね。

にしても、少し前に値段が高騰したって騒がれた卵をこんなふうにタダで食べられるなんて…田舎っていいね。


「ふぅ〜…お味噌汁も美味しい」

「これも実は貰い物なんだよ。昔から家で味噌を作ってる人が居てね。その人がみんなに配ってるんだよ」

「配る?その味噌の材料費とかどうしてるの?1人何円とか集めるの?」

「材料費…とまでは言わないけど、私は消費しきれない野菜をお裾分けしたり、味噌作りを手伝ったりしてるからね。貰う分は働いてるよ」


そんな事で……なんというか、あったかいね。

外は蒸し暑くてやってられないけど…村の人は暖かい。

…私も、そのぬくもりを分けてもらえるだろうか?


「…すっごく偏見だけど、田舎の村って余所者が嫌いなイメージがあるんだけど……」


ホミの気を悪くしてしまうかも知れないが、私のせいでホミが村の中で浮いた存在になっても困る。

私のせいで村八分、なんて大変な事だ。


「ん〜……他の村がどうか知らないから確かなことは言えないけど、ここでの暮らしは助け合いが基本だからね。他の人が出来ないことや、やってない事。そうでなくても、何か出来ることで他の人を助ける代わりに、困った事があったら助けてもらう。或いはこのお味噌や卵みたいに、規格外品や余り物を分け合う。だからまあ…サカイがここに居る間、しっかり働いてくれたらみんな文句は言わないし、受け入れてくれるよ」


ホミは特に気分を悪くした様子は無い。

親切に私がどうすればいいかを教えてくれた。

私に出来ること、か……一体何が出来るんだろう?


「……そうだ。挨拶にいかないとね」

「挨拶?」

「手土産を持って、『引っ越してきた者です』ってね?実際はちょっと違うけど…ニュアンスはそんな感じ」


なるほどね。

よく知らない人がいつの間にか村に居着いていたら確かに怖い。

自分は無害だよ〜ってアピールして回るって事だね。

…でも手土産なんて何もないよ?


「とりあえず、昨日収穫したトマトでも持って挨拶に行こうか。ご飯を食べて歯を磨いて、本格的に日が照って熱くなる前に行くよ」

「分かった。何から何までありがとう、ホミ」

「その分、今日こそはしっかり働いてよ?昨日みたいになったら許さないからね」

「うっ……虫は少しずつ慣れていくから大目に見て貰えると…」


嫌だとは言わない。

少しずつ改善していくから大目に見て欲しいと伝え、ホミの作ってくれる美味しい朝ごはんを堪能する。

……にしても、朝から白米、だし巻き卵、野菜の酢の物、漬物、味噌汁なんて全て揃ったご飯を食べられるなんて…ここはなんて良い場所なんだ。

よく、『田舎で畑を耕して静かに暮らしたい』って言う人が居るけど、その理想がまさに今の私だよね。

そう考えると、もうこの先ずっとここで暮らしても……って!流石にそれは常識知らず過ぎる!


……いつかは、ここを出て私も帰らないといけないんだよね。

けど、今じゃない。

そう思って…今はホミに掛けた迷惑の分を返さないと!








「おはようございま〜す!」


ホミに手土産のトマトを持たされ、私達はご近所さんに挨拶にやって来た。

私は緊張で彫刻のようにガチガチに固まりながら、ホミが呼んだご近所さんが出てくるのを待つ。

それはそうと…歩いて10分はする場所に住んでる人が1番のご近所さんって…凄いね。


「は〜い。…あらホミちゃん。そっちの子は?」


私達の訪問を受け、出てきたのは目測50代ほどの女性。

背が低く、優しそうな顔つきの白髪が目立つ女性。

なんだか、園長先生をやっていそうな雰囲気の人だ。


「おはようございます。前田さん。この子はサカイ。訳あってうちで受け入れることになった……まあ、思春期の家出少女です」


名前は…と言うか苗字だけど、前田さんと言うらしい。

前田さんはホミの話を聞いて、少し首を傾げた後状況を理解できたようでニコニコと優しい笑みを浮かべる。


「なるほど…?つまり、ホミちゃんと同じって事ね」

「むっ…私は別に家出じゃありませんよ。おじいちゃんとおばあちゃんの思い出の家を…捨てたくなかっただけです」

「そうね。でも…なんだか似てるわね」


そう言って、私に笑いかけてくる。

私は人見知りを発症し、思わずホミの後ろに隠れてしまった。

それを見て、前田さんは上品に笑う。


「懐かしいわね。ここに来た頃のホミちゃんもこんな感じだったわねぇ」

「それ何年前の話ですか…そんな4、5歳くらいの私と比べないであげてくださいよ」

「ふふっ、そうね。所でその袋は何かしら?」

「ああ、これは……サカイ。渡して」


ホミが私の前から離れると、私は何とか口を開いて喋ろうとしながら袋を差し出す。


「……ん」


しかし口から出た言葉はそれだけで、人見知りによってそれ以上の事は出来ず、ソワソワとしながら俯いてしまう。

前田さんは笑ってくれたけど、後でホミに怒られた。


「前田さんは良い人だよ。旦那さんと一緒に少し離れたところにある田んぼでお米を作ってる米農家。うちのお米は大抵前田さんから貰ってるんだよ」

「へぇ〜?」

「だから次会った時はちゃんと挨拶してね?」


その人見知りも…少しずつ治していこう。

だから…慣れるまでは大目に見てもらいたい。


「じゃあ次に行くよ。次こそはちゃんと挨拶してね?」

「はい。善処します」


行きの道でホミにくどくどと人見知りに関して文句を言われること20分。

普通に汗をかいて、シャツがベッタリ背中にくっつくようになった頃、ようやく目的の家にたどり着き、私はホミの斜め後ろに待機する。


「おはよございま〜す!」


呼び鈴を鳴らしながら家の中へ声を掛けるホミ。

しかし、返事はなく物音も聞こえない。


「いないのかな?…まあ、この時間ならまだ忙しいよね」

「ここは?」

「今朝食べた卵を作ってる養鶏農家の大槻さん。朝早くから卵を回収に行って、鶏に餌をやってと忙しいから、この時間に家に居ないときもある」


養鶏農家の大槻さん。

今朝の美味しい卵を作ってくれている人。

本人が居ないからどんな人か分かんないけど…優しそうな人なら良いなぁ。


「おお?ホミちゃん。来てたのかい」

「ひっ!?」

「あ、大槻さん。おはようございます」


後ろから低い声の男性が声を掛けてきて、私は思わず小さく悲鳴を上げてホミの後ろに隠れてしまった。

流石に失礼だなと思って男性の方を見ると……また私はホミの後ろに隠れた。


「んん?その子はなんだ?」

「訳あってうちで面倒を見る事になった子だよ。名前はサカイ。苗字じゃなくて、名がサカイだよ」

「ほ〜ん?」

「私と同じ訳あり。あと、家出少女」

「なるほどな…ホミちゃんと一緒か」

「だから違うって!」


楽しそうに会話しているが…私は怖くて仕方ない。

身長は…2メートル近くありそうな高身長。

その身長をもってしても細いとは全く思わない、アスリートのような筋骨隆々な体格。

焼けて茶色くなった肌に、どこで何をしたのか左目をケガして、切られたかのような痕が残っている。

顔も都会に出れば10分に1回は職質されそうな強面。

はっきり言って、見た目はヤの付く人達のそれ。


「そうそう。サカイは朝大槻さんの卵を食べて美味しいって言ってましたよ」

「そりゃあ、ホミちゃんの腕が良いのさ。もちろん、俺の卵が美味いのもあるがな」

「鼻高そうですね」

「フッ…!そんなこたねぇよ」

「照れてるのが丸わかりですよ」


低い声で楽しそうに会話する大槻さん。

…なんか、見た目と声の割に反応が可愛い?

とりあえず悪い人では無さそう。

よし、この人なら…!


「あの…!」

「あぁ?」

「ひっ…!?」

「ああ、逃げちゃった」


自分から挨拶しようとして声を掛けたら、低い声、鋭い目、見下ろす体勢、乱暴な言葉で反応されて思わず逃げてしまった。

悪い人ではないのはわかる。

わかるけど…!


「怖い…」

「大丈夫だよ。こう見えて繊細な人だから出ておいで」

「…すまねぇ」

「ひっ…」


背筋をビシッ!と伸ばして、頭ではなく腰を曲げて謝られて逆に怖い。

その後怯えつつも何とか挨拶をして、手土産のトマトを渡して次の家に向かった。


「…あの悪人面で鶏に逃げられないのかな?」

「こらっ!そんな事言わないの」

「いや、でもさ…」


次の家は比較的近い。

その短い移動時間の間に大槻さんの話しをして…ホミに怒られた。

アレは仕方ないって…と思っていると、私はふと家がある方と反対側にある畑が目に入った。

大きなテントのようにネットが張られ、なかにはつる植物が地面を覆い尽くすように生い茂っている。


「これは?」

「ん?ああ、石山さんのスイカ畑だね。これから行く家…あそこの家の石山さんが管理してる畑だよ」

「この広い畑を…?」

「まあね。あと、そことそことあれも石山さんの畑だね」

「小学校の体育館くらい広い…!」


見渡す限り…は言い過ぎだけど、かなり広い範囲が石山さんという人の畑らしい。

見た感じ一通り知っている夏野菜は全て植えてあるし、知らない野菜も数多く育っている。

こんなに広い畑を管理するなんて…石山さんは何者なの?


「あと、昨日今朝飲んだ味噌汁の味噌を作ってるのも石山さん」

「えっ、凄っ…」

「まあ、6人家族だからね。働ける人が多いんだよ」

「そうなんだ…それで…」


6人家族…この村では多い方なのかな?

このコンビニすら無い山間の田舎で6人家族は多いだろう。

多分、私の予想は間違ってないはず。

石山さん1家がどんなものなのか気になりながら畑を横目に歩いていると、家に着いた。

例に漏れず、ホミが呼び鈴を押して挨拶をすると、中から私のお母さんより少し若いくらいの女性が出て来た。


「ああ、ホミちゃん。…そっちの子は?」

「おはようございます。この子は訳あってうちで面倒を見る事になった、同い年のサカイ。家出少女ですよ」

「家出少女……ホミちゃんと同じね」

「だからなんでみんな私の事を家出少女扱いするんですか…」


…どうやらホミが家出少女扱いなのは、この村全体の共通認識らしい。

なんというか…本人は不服そうだから御愁傷様と言っておこう。

そんな事より…


「えっと…サカイですよろしくお願いします」

「よろしくね。下のお名前は?」

「えっと…サカイが名で、姓は梅木です」

「えっ!?そうなの?珍しい名前ね…」

「その…よく言われます」


珍しい名前…

学校や町中、病院などあらゆる場所で言われ続けてきた言葉。

色鮮やか(彩)な海でサカイ。

海は沢山の景色を見せてくる。

何処で見るかによって色が細かく、大きく変化する。

そんな海のように、美しく元気な子になってほしいとか、そんな意味だった気がするけど…あんまり覚えてない。

覚えたくもなかったから…


「この子、根っからの都会育ちだから何にも出来ないけど…私が立派な女の子に育てるんだ!」

「そうなの?良かったね、やりたいことが出来て」

「うん!」

「……ぇ?」


立派な女の子に育てる…

ちょっと不安だけど、まあ言ってる事は分かる。

考え方としてはちょっと古いけど、花嫁修業ってやつに近いんだと思う。

それは良いんだけど…やりたいことが出来たって、何?

まるで今まで、何にもしてこなかった、何にもやらなかったみたいな……

あんなに…沢山できる事があるのに。


「…サカイ?帰るよ?」

「えっ?あ、うん…」

「じゃあ、またね。サカイちゃんも頑張ってね」


石山さんに見送られ、私達は家に向かって歩く。


「あの人は石山さとみさん。石山さんのところの長男と結婚してこっちに引っ越してきた人だよ。二児の母で、しっかりした人なんだよ?」

「そう、なんだ…」

「……どうしたの?元気無いけど」


…流石に分かりすすぎて、ホミに心配されてしまった。

家族や他の人なら言わないだろうけど…ホミが相手なら…私と同族のホミならきっと…言っても笑わないし、嫌なことも言わないだろう。


「…ちょっと、自己嫌悪してた」

「自己嫌悪?」

「そう。……ホミのことは、初めて会った時から同族だと思ってた。今も思ってる。…けど、それでもやっぱり、住んでる世界が違うんだよ」


ホミは私が何を言っているのか分からない様子で、首を傾げて疑問の表情を浮かべている。

…その表情の一つ一つが、ふとした瞬間私の心を抉るんだ。


「ホミはさ、畑仕事が出来て、今から嫁に行っても恥ずかしくないくらい料理が上手で、家事全般出来て、ご近所付き合いも良さそうだ」

「そんな……褒められるような事じゃないよ」


恥ずかしそうにもじもじ手を動かしながら、顔を赤くするホミ。

謙遜しているけれど…それは誇って良い事だ。


「いいや。褒められるべきだよ。私なんて……惰性で生きて、何もしなくて、何も出来なくて、与えられるのが当たり前の生活しかしてこなかったんだから」


思い返せば……何一つ、覚えていることなんて無い。

一昨日何をしていたかも覚えていない。

惰性で、なんとなく、今だけを、与えられて生きている。

そんな私に対し、ホミは自分の力で自分が生活するところのすべてをやって、足りない部分はご近所さんと補い合う。

とても充実した暮らしじゃないか。

何を悩むことがあるの?


「……ホミ。キスしてよ」

「なんで急に…」

「…わかんない。わかんないけど…スキンシップは、適度にしたら落ち着くんだよ」


…自己嫌悪から、自分でも何を言っているのか分からないことを口走る。

キスしてほしいなんて…アレは単なるイタズラで、そしてプライドを守るためのくだらない仕返しで…愛なんて無い。

そういう行動でしかない。

それなのに…キスを求めてしまうのは何故なのか?


ホミとキスすれば、私もホミのようになれると思ったから?

ホミを落として、私のようなどうしょうもない人間にしたいから?


分からない。

けど……困った私を見捨てたりしないホミは、人目がないことを確認すると、私の両頬に手を当てて前を向かせ……まるで映画のワンシーンのようなキスをした。

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