完成された世界に革命を。
@RinjinA
プロローグ:壊れた世界の、その先で
──あれは、世界を壊すほどの正しさだった。それでも、俺は引き金を引いた。
あんな結末を迎えるくらいなら、革命なんて最初から始めるべきではなかったのかもしれない。
……いまさら後悔なんて言葉では足りない。事実、あの人の創った世界は、美しく、静かで、残酷なほどに──完璧だった。
それを壊したのは他でもないこの俺だ。
理想を踏みにじり、希望を潰し、人々を殺した。
そして、この物語の向かう結末は人類の終焉。
……だが、まだ終わってはいない。
物語は、加筆できる。
書き換える事ができる。
たとえ、誰もいなくとも……全てが手遅れだとしても──俺がそれを証明してみせる。
*
「父さん、何言ってるんだよ……」
「だからな、黎《レイ》。もうすぐ母さんに会えるんだ……また家族三人で暮らせるぞ……」
朝のリビングに、奇妙な“幸福感”が漂っていた。父の頬は紅潮し、目は虚ろだ。なのに、声だけが妙に明るい。朝から酒でも飲んでいるのか?
「母さんは今も、ベッドで眠ったままだろ?」
昨日も見舞いに行った。医者の話だって、ちゃんと聞いた。
「目を覚ましていなくても……会えるんだ。だからレイ、もう……頑張らなくていいんだよ」
一体何の話をしているんだ?
それに……頑張らなくていいだと?
今さら、何を言ってる。
「急にどうしたんだよ。完璧な医者になれって、いつも父さんが言──」
「もういいんだ。これからは自分の好きな様に生きなさい。完璧になんてならなくていい」
「もういい」その言葉が心臓を瞬時に凍らせた。昨日までの父は、「百点以外はゴミだ」と言い、成績表を破り捨てる様な人だ。模試の結果が下がれば怒鳴られ、拳が飛んで来た。
あの日から七年間、俺はただ“完璧”を追い続けて来た。なのに今の父は──まるで子供のように、笑っていた。
「それでな、今から母さんに会いに行こうと思うんだが──」
「……ふざけんな」
力のない声。身体が震えている。
「レイ、聞いてくれ。これはきっと神の救いなんだ。もう、お前が縛られる必要も──」
反射的に背を向け、廊下を駆けた。
自室の扉を閉めた瞬間、壊れた父さんの声はただの雑音になった。机の上に積まれた参考書を、片っ端から床に叩き落とす。跳ねた冊子が、ぐしゃりと潰れて転がっていった。
「……は、はは……ははははッ!」
笑い声が喉から漏れる。悲しみでも怒りでもない。「叫んでいたのは、声じゃない。七年間、圧縮されていた心臓の熱だった」
──あの事故の記憶は、昨日のことのように焼きついている。
九歳の俺は、母さんと二人で病院から歩いて帰っていた。父さんは、迎えに来なかった。理由は今も聞けていない。ただ、母さんは「きっと仕事が忙しいんだよ」と微笑んでいた。
母さんのお腹には、もうすぐ生まれる命がいた。妊娠七ヶ月──名前まで決めていた。
その日俺はずっと、スマホの画面ばかりを見ていた。ただ、横断歩道の信号は確認した。確かに青だった筈だ。
その瞬間は、あまりに唐突だった。
前を歩く母さんの背に影が差した。
振り返った母さんが、迷いなく俺を突き飛ばす。
次の瞬間、空気が割れた。
クラクション。悲鳴。金属が潰れる音。
視界が、音速を超えて崩れた。
世界が真っ赤に染まった。
肉片。ガラス片。母さんの靴。
俺は、道路に弾かれ、後頭部を強く打った。
意識が遠のくなかで──あの光景だけが、網膜に焼きついたまま離れなかった。
お腹の子は死んだ。
母さんは生き延びた。ただし“コードに繋がれ、瞬きもできない身体”として。轢いた相手は18歳のクズ共で、飲酒運転だったそうだ。
それ以来、父さんは変わった。
「お前が母を救える医者になれ」──そう言い続けた。俺は誓った。後悔と罪の重さを抱えたまま、七年を生きてきた。海外のトップ大学。植物状態の最先端研究。それだけが、俺の“人生の地図”だった。母を救うことで、あの日の償いを果たす。それ以外の道なんて、なかった。
なのに──
「……もう、頑張らなくていい」?
だったら、俺の七年間はなんだったんだ。
睡眠時間は五時間以下。
友達は無駄。感情はノイズ。弱さは甘え。
完璧な結果だけが、俺に許された生きる権利だったはずだ。
「クソッ……!」
壁を殴った。爪が肉を抉り、血が滲む。
その時だった。──ガシャンッ、とガラスが割れる音。
父の部屋の方からだった。慌てて駆け込むと──床一面に赤い液体が広がっていた。砕けたワインボトルが、破片を撒き散らしている。椅子から崩れ落ちた父さんは、机にもたれる様に倒れている。
「っ……父さん!」
右手にはヘッドホン。目を開けたまま、ピクリとも動かない。まるで今の母さんのようだ。慌てて救急車を呼ぶ手に光が差し込む。パソコンの画面が青く光っている。英語で書かれた白い文字列が、瞬きを繰り返していた。初めて見るサイトだ。
「直訳すると、ようこそエルシア——私たちの理想郷へ、か……」
点滅を繰り返す文字の奥から、誰かの“声”が聞こえた気がした。
*
父さんが救急搬送され、俺は一人、病院から帰宅した。倒れた原因は不明。明日から精密検査に入るらしい。
無人の家は、静寂に包まれている……はずだった。だが。規則的な電子音が、静まり返った家に微かに鳴り響いていた。
「何が鳴ってんだ?」
音の出処は、俺の部屋だった。
扉を開けた瞬間、白い光が視界を照らす。
パソコンが、勝手に起動している。
画面には、未読メールが二件。
差出人欄は空白。
とりあえず、上段のひとつを開いた。
本文はなかった。貼られていたのは、ただ一つのURLだけ。
「……スパムか?」
疑いもせず、無意識のまま指が動く。
クリックした直後、画面が一瞬、真っ黒に沈んだ。
「なっ。クソッ、ウイルスでも踏んだか」
キーボードとマウスが反応しないか確認していると、画面が再び光を放ち始める。深く濃い青色。
まるで“今朝”と同じ──父が倒れる直前に見ていた、あの画面と。
「今度は日本語か」
《ビーコンの送信が完了しました。》
《幸運を祈る、黎。君なら世界を変えられる。
──最期に、母さんに「約束を守れなくてごめん……愛してくれてありがとう」って伝えてくれ。それがたった一つの後悔だった》
「……は?」
口から漏れた声が自分でも聞き取れなかった。
“母さんに”って、なんだよ。
何の話だ。誰がこんな悪趣味な──
急に頭がぐらつき始める。
景色が、遠ざかる。
まぶたも重い。何の抵抗もできないまま意識が、闇に溶けていった。
*
ドッバァァァンッ!!
凄まじい衝撃音で、意識が引き戻された。
次の瞬間、身体がふわりと浮き、直後に重力で机に叩きつけられる。
「……ッッ。何だ今の……?」
床下から、鈍く、重たい振動が響いてくる。
ただの地震じゃない。揺れが妙に――ゆっくりすぎる。
だが確実に、部屋全体が傾いていく。
地盤が、軋みながら沈んでいるような感覚だった。
椅子から立ちあがろうとした瞬間、足元の異常に気づく。冷たい。濡れている。
床に落とした参考書たちが、ぷかり、と浮いている。
──ここは、二階のはずだ。
川も海も、近くにはない。
なのに、水が。どうして。
「……嘘、だろ……?」
喉がひりつく。心臓が、ゆっくりと凍っていく。
「凄い夢だな。まぁ今日は疲れたから、悪い夢でも……」
言いかけて、カーテンがふわりと膨らんだ。
窓の向こう。
どこまでも続く、海だった。
群青の波がゆるやかにうねり、空と地平の境界さえも呑み込んでいる。
そのただ中に、俺の部屋だけが、ぽつんと浮かんでいた。
理解が追いつかない。
──その瞬間、脳のシナプスが、一斉にノイズを吐いた気がした。現実という信号が、感覚の奥で断線していく。
俺の中の「世界」は風化した岩石の様に崩れていった。そして世界の断面から、カオス的な何かが──こちらを覗いていた。
(プロローグ終了)
完成された世界に革命を。 @RinjinA
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