第10話 冷静の仮面と焦燥の内心

昼からエルネストはまずセイン・アルマに接触した。全員招集の会議の連絡をするため。アイにお金を渡す準備をするかたわら、セインにアイから買い取った薬草についても聞いておきたい。少女の相手はカイルにまかせてきた。"上"と相談した結果だ。快く引き受けてくれた。


「あれ? エルネストじゃないですか? どうしたんですか? 急ぎの案件でも入りましたか?」


セイン・アルマは一言でいうなら頭脳特化型。貴族で古い学問に精通している家系。観念的で理を重んじる傾向がある。演算能力が高く便利な魔法を使いこなす。

この班の頭脳的役割である。管理や対人とのやりとり、戦略、商売などに関わっている。評価を上げながらも干渉されにくいこの班に興味をもち、自分の能力を最大限発揮できる場として選んだ。班で依頼を受け、会議をする際はこの班の頭脳であるセインにまず声をかけるのが慣わしだった。


「セイン、すまんな、急用なんだ。…とりあえず話せるところに移動できるか?」

「依頼ですか? では、2階の会議室が空いてるでしょうからそこへ行きましょう」



「まずはこれを見てくれ」


セインは差し出された薬草を両手で丁寧に受け取り、指先で葉の縁をなぞる。

まるで図鑑の記述を頭の中でめくっているかのように、一瞬思考に沈んだ。


「これはまた……見覚えのない薬草ですね。標高は高いでしょうか? いや、この色合い……湿地かもしれません。どちらにしても、流通しているものではありませんね」

「これは南大陸の薬草だ。適切な販売経路があるなら売るのもありだと思っている」

「売るとしたら高値はつくでしょうが販売経路は難しいですね……ん? 南大陸といいました? エルネストが過去に南大陸に行った話は聞きましたが、もしかしてまた行ったとか? いつからそんな無謀な人間になったんですか? この薬草まだ新しいですよね」

「そのあたりを話すと長くなるんだ。要件は、これを買い取った相手についてなんだが。他にも南大陸の素材はたくさん持っている」


セインの手が止まった。薬草から視線を上げると、彼はわずかに眉を寄せた。

その表情は、信じがたい話を聞いたとき特有の、理屈では説明できない違和感に対する反応だった。


「南大陸に入って、素材を採取したり魔物を倒して平気で帰って来られる者であると?」

「そうだ。そもそも南大陸に住んでいた人間なんだよ」

「……そんな人間がいるなんて聞いたことありませんが……その人間はいまどこに? どこで出会ったんですか?」

「そのあたりを話したいのだが、班員を全員集めて会議を行いたい。その人間は北の拠点にいる」

「エルネスト…何をそんなに焦っているのですか? すごい人間と取引できるなら喜ばしいことでしょう? 関係を維持できるかは難しいかもしれませんが」

「違うんだ、そうじゃないんだ。世界の危機なんだよ!」


会議室に沈黙が落ちた。

セインは数秒口を開けかけては閉じ、結局、低くため息をついた。


彼にとって"世界"とは、理論体系のことであり、秩序の象徴だ。

それが崩れるというのは、彼自身の価値基盤が揺らぐという意味でもあった。


「…はぁ…話が全く見えないですね。ここで話すのはマズいんですか?」

「セインは古い文献について読んだりしたことはあるか?」

「ええ、多少は知見がありますが」

「厄災についてどれくらい知ってる?」

「…まさかその類の話ですか? 嫌な予感がしてきましたが」

「ある程度は知ってるようだな。予感ではなく現実に起こり始めている。ここで話すと長くなる。俺もどうしていいのかわからないぐらいだ」

「…わかりました。事情は全員集まってから一度に話す方が良いでしょう。それとこの薬草は何か関係があるんですか?」

「厄災が薬草をもってきた」

「…申し訳ないですが何を言ってるのか理解できませんよ。頭がおかしくなったのではないですよね?」

「俺も信じたくなかったが…"上"と相談した結果でもある。世界規模の厄災につながる可能性がある。楽観してる暇はない」

「"上"とですか……世界規模の厄災ねぇ…エルネストがそんなに切羽詰まっているのは珍しいですね。…わかりました。いつ集合します? 他の班員にも声をかけますけど」

「できるだけ早く頼む。全員そろい次第すぐに会議を始めたい」

「わかりました。僕はすぐに向かいます。他の班員も居場所はわかっているので招集をかけますね。場所は北のいつものあの家ですね?」

「あぁ、そうだ。俺もまたすぐに戻る」


エルネストは短く返すと、躊躇なく踵を返した。

その背に、セインはしばし無言で視線を送る。


(…これは、ただの異常事態ではなさそうですね)

理を重んじる彼の直感が、じわじわと警鐘を鳴らし始めていた。


常識ではなく、因果。感情ではなく、構造。

彼の思考は、すでに"もしも"の領域に足を踏み入れつつあった。



北の家に帰ってきたエルネスト。


(……俺は焦っている。だが、何に? あの少女にか? それとも、“わからない”ということ自体にか?)


(セインへの伝え方も稚拙だった。意味は伝わらず、ただ不安だけが残ったはずだ。

……異常事態のときほど、冷静でなければならない。焦りを悟らせるべきではない)


拳を握ったまま、エルネストは小さく息を吐いた。

そのとき、不意に気配を感じて、窓の外へと視線を向けた。

少女がいた。


陽の光を浴びて、まるで昔からそこにいる者のように、庭先の石に腰掛けている。

何も知らないような顔で、花のつぼみをそっと指先で撫でていた。


その姿は、ただの子どものように見える。だが――


(……いったい、あの少女は、何者なんだろうか……)


「…いかんな、物思いにふけっている場合ではない、あいつらが来る前にやるべきことをやらねば…」


エルネストは立ち上がると、机の引き出しを開け、いくつかの紙束を確認した。だが、必要な文献の写しはなかった。


(確か…あれは自宅の書庫に置いてきたはずだ。厄災について、断片的だが記述があった)


彼は肩を払うと、外套を羽織って家を出る。


(どれだけ曖昧でもいい、少しでも多くの情報を集めておけば、判断材料にはなるだろう……)


エルネストはそう思いながら扉を閉め、自宅に向かって走り出した。


そのとき、庭のほうから、「あら、こんにちは〜、可愛い子ね!」と気さくな女性の声が聞こえてきたのだった──。



自宅から資料や文献を回収し、北の家に戻ったエルネストは、気配が増えているのを感じて立ち止まった。


(……もう来ている? 全員……?)


戸を開けると、奥から聞き慣れた声がいくつも聞こえてきた。


「……なるほど、それで、薬草を交換したということですね」

「なるほど、で? アイちゃんって呼んでいいの?」

「ていうか、ふつうにいい子じゃないか?」

「ああ。嬢ちゃん、庭で何してたんだ?」


一瞬、時が止まったように感じた。

エルネストは、そこから一歩も動けなかった。


(……もう接触してる……全員……? おい……待て、待て……)


扉の向こうでは、班員たちが少女と談笑していた。

世界の"警告"を告げるはずの会議は、すでにその前提を崩されていた。


「おぉ、エルネスト、どこ行ってたんだ? とっくに全員集まってるぜ」


カイルがいつもの調子で問いかけてくる。


「ちょっと待て! なんですでに全員が揃っている? 自宅に古い文献を取りに行っていただけだぞ!? 1時間しか経っていないはずだ!」

「そりゃ、上からの緊急招集だってんなら最優先だろう? 声かけたらすぐに集まった。40分ぐらい前には全員揃ったぞ」

「……なんてことだ…」


ほとんど入れ違いで全員到着している。班員が優秀すぎる。いや、何も考えずにアイと接触しているから優秀ではないのか。セイン、お前なら何か気づくだろう?


「何を気にしてるかわかるが諦めろ。まあ、気にするな。俺から少し話しておいてやったから。全員覚悟の上だ。あぁ、フィリアは話す前だったけどな」

「………」

「どうせ巻き込まれる。知らないでは済まされない事態。そうだろ?」

「……それはそうだろうが…」


エルネストは天を仰ぐように天井を見つめる。

話の展開が急すぎないだろうか。

なぜこんなにも予想外のことが起こる?

冷静になれていなかったせいか?

いや、冷静になって行動したはずだった。


「……まあいい、始めよう。もう止まらない以上、やるしかない」


エルネストは観念して深く息を吐くと、部屋の中央に立ち、軽く手を叩いた。


「全員、席につけ。状況の共有をする。……これは、ただの案件じゃない。

この会議は、世界の前提が崩れるかもしれないという、"可能性"の確認だ」


ざわめきが収まると、彼の視線が、部屋の片隅――アイのいる場所に向いた。


「……アイ。すまないが、少しだけ席を外してもらえるか?」


少女は最初からわかっていたかのように、すぐに椅子から立ち上がった。


「はい。わかりました。庭にいますね」

「ごめんね、アイちゃん」


「いえいえ」と、フィリアにニコリと笑って、アイは軽やかな足取りで部屋を出て行った。


静かに扉が閉まる。


「いよいよか」

カイルはわざとらしく椅子を引いて背もたれにうなだれて座る。

フィリアはアイを心配そうに見送ったあと、真剣な顔に変わった。

セインは静かに頷き椅子につく。

レオはどっしりと構えて座り、何を話されるのか覚悟を決めているような顔だ。


部屋には、緊張と沈黙が満ちる。

エルネストは机に文献の束を置き、ゆっくりと顔を上げた。











「――それでは、始めよう」

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