第8話 普通なる異常
「気づかなかっただろ?」
カイルはなぜか得意げにエルネストに問いかける。
「あぁ…本当に隣の部屋にいるのか? 何の気配も感じないが…」
この辺りはもともと人間の出入りが少ない地域だ。人が来ればすぐにわかる。カイルのように隠密に長けた者でなければエルネストを誤魔化すことは難しいだろう。それでも、最近ようやくカイルの気配を感じ取れるようになってきた。本気で隠れられたら、まだ怪しいが…。
「魔力も気配も完全に消してるんだ。俺も姿が見えるまでは全くわからなかった。あの少女がその気になれば、簡単に俺の背後を取れただろう。姿を見ても存在しているのが実感できなかったくらいだからな」
「……」
「会ってみりゃわかるさ」
カイルはそう言って隣の部屋へ移動していく。隣の部屋を開け、カイルにつづきエルネストも中に入った。
少女が椅子に座って紅茶を飲んでいた。年齢は10歳くらいだろうか。髪は青みがかった黒髪で肩につくかどうかぐらいの短さだ。くすんだ青で光沢のない色をした、整った模様が入った服を着ている。魔法使いがよく着るローブに似ていた。長すぎず、動きやすそうな仕立てだ。両目は閉じていて片手で杖を握り膝の上に置いている。盲目なのか…。普段は杖をついて移動しているのだろう。見た目は可愛らしい子供だが…。
エルネストが少女の異常さに気づく。魔力を感じない。それはカイルから聞いていた。魔法を使っているようには感じないことも。しかし聞くのと実際に見るのとではまるで違った。死体ですら魔力が残るのだ。魔法理論に詳しいエルネストは、魔法を使わずに完全に魔力を抑える方法など不可能だと結論を出していた。魔法を使えば相手の目を誤魔化すことは可能だ。それを身近でやっているのがカイルだ。だが魔法を使っていればそれはそれでわかる。
だが、目の前の少女は何だ…?
静かで、安定している。呼吸音さえ聞こえてこないような…けれど存在は確かにある。
まるでこの少女だけが違う世界にいるような、そんな印象さえ抱く。
この少女が本当に厄災なんだろうか…?
二人が部屋に入ってきたことに気づいた少女は椅子からおり、礼儀正しく背筋を伸ばし、両手を前にして佇んだ。
「嬢ちゃん、こいつが班の代表、エルネスト・レイだ。いいやつだから遠慮しなくていいぞ」
「アイといいます。お世話になります」
そういって少女はエルネストにお辞儀をする。王侯貴族のような礼儀作法を身につけているわけではないが、平民としては礼儀正しくしっかりした人物だろう。リセラの言っていたことはあてにならないと思い始めていた。普通に対応することにする。
「…エルネストだ。遠いところからよく来てくれた。いろいろわからないこともあるだろうから遠慮なく聞いてくれ。こちらからも何点か聞きたいことがあるんだがいいだろうか?」
「はい、構いません」
3人は椅子に向かい合わせで座った。エルネストは北大陸へ来た経緯や目的、こちらに来てやりたいことなどを少女に聞いた。少女からはこの国についてや魔法組合の仕組み、特別依頼処理班などについて聞いた。
「商業組合にまず行こうとしていたみたいだが、何か商売でもやりたかったのか? 生計を立てるには商人は良いと思うが」
「はい。お金が必要なのは知っていたのでまずそれを稼ごうと。南大陸にある素材は北では珍しいと思うので売れるかなと考えていました」
「あぁ…それは確かに売れるだろうな。俺も欲しいくらいだからな。どんな素材があるんだ?」
「魔物、鉱石、植物などいろいろあります。私は対等に取引をしてくれる善人でなければ、これらの素材を受け渡したくありません」
「うむ。そうだな。珍しい素材であれば取り合いになるだろう。出所の秘密を守り、素材を悪用せず、活かしてくれる者でないとダメだろうな」
エルネストは少女が真面目に商売を考えているという印象を受けた。頭は良さそうだ。礼儀正しくもあり、そうそう問題は起こさないように思える。話しているうちに、エルネストは少女に対する警戒心が薄れてきていた。
「まだ来たばかりならお金も持っていないだろう? アイがもっている素材を少し譲ってくれればお金を渡すことはできるがどうだ? タダでお世話になるのも気が引けるだろう?」
「はい。私からもそのように提案するつもりだったので」
「わかった。それでは、アイが素材をいくつか俺たちに譲る。こちらからはお金と古い文献の情報渡すことにしよう。あとこの家は空き部屋があるからそこに泊まってくれても構わない。この条件でどうだろう?」
「こちらがもらいすぎな気がしますので、素材は多めにお渡します。何かお手伝いできることがあれがそれでお支払いするでも構いません」
「…まずは素材を見せてもらってそこから考えよう。それでもいいか?」
「そうですね。素材をみないと判断できませんね」
「では、裏に倉庫があるからそこで見せてくれないか?」
「わかりました」
「うん? 何も持っていないように見えるが、素材はあるのか?」
「はい、しまってあるので大丈夫です」
エルネストとカイルは若干疑問に思いながら、3人で裏の倉庫へ。
「この辺りにいくつか出してくれ。…というかアイは何も持っていないように見えるが」
少女が静かに杖を振ると、空間がゆらりと歪み、そこからいくつかの素材が現れた。
「「………」」
エスネストとカイルはその魔法の鮮やかさにも驚いたが、出てきた素材にも驚いた。
「こいつは…」
「すげえ素材ばかりだな…」
南大陸の素材、というだけでも希少価値があるだろう。それだけでも買う価値があるのだ。だが、出てきた素材は北大陸にはないぐらい上質な物ばかりだった。含まれている魔力量が違う。保存状態も良い。上位の魔物と思われる角、牙、毛皮、見たことない鉱石、薬草類など、いままで見たことない素材に思わず目が輝いてしまう。王族の宝物庫を見ているようだった。
「いかがでしょうか? 売れそうですか?」
少女は自信なさげに聞いてくる。
「間違いなく売れる。それも大金でだ。ちょっとこれは安易に売らない方が良いな。商人や王侯貴族が押し寄せてきそうだ」
「そうだな。そのために善人で対等に取引できる相手を嬢ちゃんは探しているんだろう」
「やっぱり珍しいですか…?」
「あぁ…南大陸でしか手に入らないってだけで希少価値はあるが、質も一級品だ。いくつか譲ってもらう予定だったが、どれか一つだけでも十分お釣りが出てしまうな」
人間社会がはじめてであれば、市場価値や相場などもわからないだろう。南大陸が当たり前なのであればなおさらだ。これは扱いが難しい。エルネストもこれをどこで売り捌くか、もしくは自身で活用するか悩んでいた。
(やっぱりセインに相談するべきだな)
セイン・アルマ。特別依頼班に所属する仲間の一人だ。頭脳派で戦略を考えたり商売などが得意な魔法使い。セインなら市場に流すにしてもうまくやってくれるだろう。
「それじゃあアイ、この薬草を少し譲ってもらえないか? それで十分だ」
「本当にそれだけでいいのですか?」
「あぁ。別に遠慮しているわけではないぞ? これだけでも十分なんだ。それに魔物の素材は俺が倒せない相手だろうから間違いなく疑われるな。鉱石の場合は鉱山の居場所を聞かれるから面倒だ。他にもたくさん取れるんじゃないか?ってな。話がでかくなってしまう。王侯貴族が動いて俺の周りを調査してこられるとマズいんだ。一方で、薬草なら偶然そこに生えていたってことで言い訳もできる」
「ああ、なるほど。確かにそうですね」
「ならこれで取引は成立でいいか?」
「はい!」
少女は自分以外の人間と、初めて"対等に"取引できたことに、どこか安堵したように微笑んだ。うまくやっていけそうな実感が湧いてきたのだろう。子供ならもう少しわがまま言ってもいいと思うんだが。
「うむ。では取引通りだ、この家の空き部屋は使ってくれていいぞ。自分の家だと思ってくつろいでくれ。お金は明日中までには用意しよう。古い文献に関しては家から持ってくるから少し時間がほしい」
「わかりました。ありがとうございます」
「うむ。では俺はこれから用事があるから外すことにする。カイルはどうする?」
「俺は帰ってきたばかりだから少し休むぞ。嬢ちゃんと話しでもしてるぜ」
「ああ、すまんな。用事から帰ってきたら代わろう。俺もいろいろ話がしたい」
カイルは南大陸から帰ってきたばかりだった。しばらく休んでもらった方が良いだろう。エルネストは少女に一声かけて部屋を出た。リセラに報告だ。リセラがなんと答えるか、それによって少女と今後どのように付き合っていくか、どのように扱うのかが決まるだろう。
最悪の場合は――。
そのとき、どうすべきか。
エルネストにはまだ、答えがなかった。
リセラがその答えを持っていることに期待しよう。
エルネストは家をでて、リセラのいる森の奥へ向かった。リセラは小屋に戻っていたので、いつものようにくつろいでいる。ノックして入る。
「リセラ、報告に来たぞ」
「……」
「…観てたんだろう? あの少女が"それ"なのか、教えてくれ」
リセラはしばらく何も言わず、カップを揺らしていた。
湯気が静かに立ちのぼる音だけが、部屋に漂っている。
やがて、ぽつりと呟く。
「……わからないわ」
「は?」
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