第3話 選択肢のない選択

——観測者あらば、厄災もまた顕現す。は、世界のことわりより生まれし神の使いなり。抗うこと、いまだかつて成らず。


エルネストは、かつて古い文献に記されていたこの文言を思い出した。

だが、その意味を現実として受け入れることを、脳が拒否していた。


魔王でも精霊でもない。そんな生易しい存在ではない。

それは、この世界に生きるすべてのものの遥か上位に位置する存在――

世界の秩序そのものだ。


そんな相手に、エルネストは依頼を受けた。断れるはずがない。

どうりで魔物たちが、諦めたように従っていたわけだ。

世界の秩序には、抗うことなどできない。


(観測者がいる。ということは、厄災がどこかで発生するってことじゃねえか! どこだ? どこで起こる!?)


「厄災は南で発生している。だが解せん」


まるで心を読んだかのように、観測者はこたえる。この存在に嘘は通用しないとみた方がよい。


「南大陸で起こっていると? 解せないとは何がですか…?」

「観測者と厄災は、本来、局所的に共存する構造である。厄災が南方に顕現した場合、我の存在は北方では成立しないはず。しかし我はここに在る。顕現した事象は、定義上、厄災と一致する。——にもかかわらず、観測結果に異常が含まれる。よって、本現象は"非標準的厄災"であると仮定される。」

「……なるほど…だから南で何が起こっているのか、動けないから代わりに原因を調べてきてほしいと?」

「そうだ」


近くに位置する存在であれば、本来ならエルネストの周り、この森で厄災が発生してたってことになる。危なかった。おもむろに巻き込まれるところだったのだ。だが、問題はまだ残っている。結局、南大陸に行かなければならない。


「わかりました。その依頼、お受けしましょう。ただ、先程も申し上げましたが、俺の実力では難しいかもしれません」

「それはよい。急ぎではない」


観測者というのは、淡々と使命に沿って行動し、感情のこもっていない話し方をする存在。そんな印象だった。意外と会話が普通にできているだけでもありがたかった。いきなり難癖でもつけられたらどうしようかと思ったが。しかし、なぜか今回はその観測者でもおかしいと感じる事態が起こっているらしい。


(マジで勘弁してくれないか……。俺の、人間の手に負える相手じゃねえんだが。南大陸の魔物も、この観測者とやらも)


しかしやるしかない。


「では、調査の準備をするのでこれで失礼します。観測者様はどうされるので?」

「我はこのままここで観測を続ける」

「承知しました。では…」


エルネストは踵を返し、街の方角へ歩き始めた。

やっと解放された。いや解放されていない。誰かを捕まえて一晩酒を飲みながら愚痴を聞かせたい。そんな気分だろう。



森から出たエルネストは途方にくれた。


(どうする? 一人で南大陸へいくか? 仲間を道連れにするのか? いや、その前に、あの観測者とやらも報告しないといけない。厄災の件についても。もう、俺がどうこうできる範疇を超えている。組合も巻き込むか…? いや……)

(観測者を組合に報告したらどうなる? 神の使いと呼ばれているような存在だ。組合でも判断ができないな、国が対応する案件になるだろう。南のセラフィア聖国が知ったらどうなる? 間違いなく揉めるぞ!)


ここオルデア王国は北大陸の北部にある国だ。セラフィア聖国は南部にある最古で最大の国。セラフィア聖国は古代から続いていて歴史が長く、いままでに厄災を受けた数がもっとも少ない。神の教えを忠実に守り続け、そしてそれを守ってきたからこそ結果を残してきた国だ。厄災を受けること、それは最も忌避されることであり、あってはならないことである、という思想をもっている。古い文献や資料を最も多く保持しており、そこから経典が作られ国教としている。


そんな国が観測者の存在を知ったらどうなるか。神の使いとして崇められ、その意思を尊重するだろう。また、観測者を理由にいろいろとオルデア王国に口を挟んでくることは間違いない。


(オルデア王国はセラフィア聖国に観測者の身柄を渡せって言われたら喜んで渡すだろう。観測者がいると、この国に厄災を呼び寄せることになりかねないからだ。しかし、観測者本人は動けないといっている。身柄を渡せと言われても渡せないのだ。ダメだ、外交で揉める未来しか見えない)


(神の使いの意思は絶対だ。南大陸に調査に行けと言われたら行くだろう。何人死ぬことになる? 責任の押し付け合いが始まるのは目に見えている。しかもだ、南大陸には空を飛べる、海を渡れる魔物も中にはいるんだ。魔物たちを刺激して北大陸に雪崩れ込まれたらどうする? せっかく大人しく南に留まってくれているんだ。わざわざ龍の尾を踏む必要がない)


(厄災が終われば観測者も消える。文献には確かそう書いてあったと記憶している。であれば、上には何も報告せずに待っていれば、何もなかったことにできるのではないか?)


エルネストは考えた。報告をした場合にどのような事態になるのか。どう考えても報告した方が面倒な事態になる。だが、隠し通せるだろうか。バレたら余計に事態は悪化する。個人が責任を負うことなどできない案件だからだ。


どうするか考え込んでいたエルネスト。周りへの警戒を怠っていたためか、密かに近づいてきた男に気づくのが遅れた。


「どうした? 悩み事か?」

「…っ!? 誰だ?」

「魔法組合に所属しているカイルというものだ。異変を感じとったから飛んできたが、森からあんたが出てくるのが見えたんでね。この世の終わりみたいな顔してたから声をかけた方がいいかと思ってな」


年齢はエルネストと同じぐらいだろうか。30~35歳くらいに見える。身を包むのは、深い藍色の動きやすい装束。軽くて丈夫な素材でできており、余計な装飾は一切ない。風の中でも布が擦れる音すらほとんどしない、完全に隠密向けの装いだった。


「あ…あぁ…すまんな。俺は魔法組合に所属しているエルネストだ。困ったことになってな」

「エルネスト? エルネスト・レイか? お前の名前は組合でよく聞くぞ。有名人がこんなところで何してんだ…? ああいい、言わなくて。まあだいたいわかるけどな。——奥に何がいたんだ?」

「…………」

「人間なわけねえわな。魔王か?」

「……」

「もっとやっかいなやつか? ——精霊の類か、それとも悪魔か」

「…」


(このカイルと名乗る男も精霊について何か知識を持っているのか? 見たところ隠密型に見える。あの異変を感じ取ってここまできた以上、調査できるぐらいには腕に自信はあるのだろう。どこまで話す?)


どこまで話すか、この男は信用できるのか、エルネストは判断を迷っていた。


「魔王っていうのは北の人間がそうよんでるだけで、実態はただのめちゃ強い魔物だ。精霊の方が強いと考えられる。精霊だったとしたらあんたがそんな悩むわけないわな。困るのは組合、ひいては国だ。あんたが対応する必要ないもんな。じゃあ悪魔か? いやそれも違うな、悪魔だったらもっと嫌な感じの魔力だろうし、あんたが無事なわけがない」

「……」

「神でも現れたか?」

「…っ!?」


カイルの推測は的を得ている。エルネストは必死に動揺を隠そうとしたが、隠密に長けたカイルの目は誤魔化せなかった。


「おいおい、マジかよ。南のやつらが黙っちゃいないな。……ああ、なるほどな、それで考え込んでたのかい」

「……そうだ」

「で、そいつに会ったんだろ? 何を言われたんだ? 使命でも言い渡されたのか?」

「……使命というわけではないが、依頼を頼まれた」

「何の依頼だ?」

「南大陸の調査だ」

「マジかよ! おい、やっぱそいつ悪魔じゃねえのか? その意味わかってるか?」

「ああ…。死んでこいと同義だな」

「だからこの世の終わりみてえな顔してたのか」

「……そうだ」

「…………しゃあねえな、俺も行ってやるぜ」

「…っ!? お前こそ正気か? 南大陸だぞ? 巻き込むわけにはいかん!」

「ここで関わらなくても、どうせあとあと巻き込まれる。組合も国もからむんだ。特に、俺の家は隠密家業だからな。真っ先に調査の命令を下されるだろう。命令されたらやらざるをえない。なら一緒だろ? それにだ、南大陸には昔いったことがある。逃げ帰った経験もある。死にはしねえよ」

「……いいのか?」

「ここで森の奥に出たやつに恩を売っておくのは悪くないだろ? 神なんだったら余計だ。神直々の願いとやらを叶えてた方があとあと有利だぞ」

「…わかった。なら何も言わない。だが、俺も余裕がない。いざとなったら見捨てることになるがそれでいいか?」

「かまわねえ。自分の命を最優先だ。お互い見捨てられても恨みっこなしだ」

「なら決まりだ。いつ出発する?」

「俺はすでに戦う準備をしてここにきたから今すぐにでもいいぞ。もし足りない分があっても途中で寄る国で調達すればいいだろう。エルネストの方はどうだ?」

「宿に戻れればそれでいい。1時間後に出発でどうだ?」

「ああ、それでいい」

「他に呼んだ方がいいやつはいるか?」

「…いないな、巻き込みたくないやつと足手纏いになるやつだけだわ」

「同感だ。じゃあ1時間後に門の前で」

「わかった」


1時間後。


「エルネスト、急いだ方がいいか?全力で行くか?」


「そうだな、できるだけ南大陸には近づいておきたい。3日くらいで到着できればいいと思っている。カイルは大丈夫か?」


「それでいいぞ!お前に合わせてついていくから後ろは気にするな」


「わかった」


二人は魔法を駆使し、全速力で走っていった。街を避け、できるだけ止まらないように経路を工夫しながら進んでいく。途中、休憩も挟んだがほとんど予定通り3日で南大陸の手前まで到着した。


(俺の全力についてくるか。カイルが一緒にきてくれたのは正直心強い。しかも隠密特化だ。俺とカイルでダメだったら他のやつでもおそらくダメだろう)


「いよいよか。苦い思い出が蘇ってくる」


エルネストが遠い目をしながらつぶやく。


「それは俺も一緒だな。前回から鍛え直したんだ、どれだけ強くなったか試すつもりでやりゃいいさ。無理なもんは無理だからな」


「ふっ、そりゃそうだ」


エルネストもカイルも若い頃を思い出していた。どれだけ通用するか。どこまでいけるか。二人とも前回は1日ともたなかったが。若い頃を思い出すと力が漲ってくるようだ。

だが今回は調査だ。ある程度の期間つづけないといけないだろう。


「準備、いや覚悟はいいか?」


「ああ」


2人は覚悟を決めて、南大陸に足を踏み入れた。

2時間で逃げ帰った。


「……ありえねえな」「……こんなはずでは…」

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