第4話
物音がした。
目を覚ます。
随分昔の夢を見た。
最近はあまり思い出すこともなかったのに……。
しばらくぼんやりと夢の余韻に浸っているとまた物音がした。
窓の外だ。
見ていた夢の影響か、嫌な予感がした。
した途端、的中する。
突然窓の外からひょこと顔を出したのである。
「あっ! リュティス叔父様だー!」
リュティスは苦い顔をした。
しかし相手はそんなリュティスの反応など見る気はないらしい。
良かった起きてたーなどとはしゃぎながら、こちらは止める間もなく身軽に窓から部屋の中に入って来る。
「……何してる」
「お見舞いですーっ まだ皆に行くなって言われたから忍び込んじゃった! えへへ……はいお花♡」
差し出された花を冷たく見据え、それでも強引に手に握らされた花をバシッ! っと冷酷に床に捨てた。
「あっ! ひどい!」
「うるさい、静かにしろ」
リュティスが顳かみを押さえる。
「……そんなこと言ってリュティス叔父様寝てないからいけないんじゃないですか。ちゃんと休まないと良くなりませんよ?」
「何の用だ」
リュティスは嫌そうにフードを深く被った。
しかしこれは常にするような【
五月蝿い外界をひたすら遮断したい素振りである。
この姪も父母の血なのかなんなのか知らないが、何故か生まれた時からリュティスの【魔眼】を怖がらない娘だった。
いつも無遠慮に、下から大きな眼で見上げて来るので鬱陶しいことこの上ない。
「リュティス叔父様、あのね、今日はお願いがあって来たんです」
ミルグレンはリュティスの側に寄って来た。
「私に、魔法を教えてください!」
さすがにリュティスは深く被ったフードの奥から姪の方を見上げていた。
「何だと?」
しかし王女ミルグレンはひたすら真剣な顔で両手で拳を作り、握りしめている。
「魔法を使えるようになりたいの!」
確実に母親に似て、奔放で勉強嫌いな姪が、何かを自分で学びたいと言って来るのをリュティスは初めて聞いた。
何よりこのサンゴールでこれほど無邪気に、リュティスに魔法を教えてくれなどと面と向って言って来る者は他にはいない。
純粋無垢なのかよほどの馬鹿か。
――多分どっちもこれには当てはまる、とリュティスは冷静に考えた。
「脳が腐ったか、ミルグレン」
「腐ってないもん!」
「では何故私がお前などに教えねばならん」
「だって誰に教えてもらえばいいか分かんないんだもん。侍女に聞いても姫様はそんなこと覚えてないでよろしいでしょうにとしか言ってくれないし」
「教育係にでも頼め。お前には教本で十分だ」
ミルグレンが頬を膨らませた。
「叔父様のめんどくさがり!」
「確かに面倒臭いことこの上無いがそれとこれは別だ」
「叔父様は国一番の魔術師なんでしょ? そんな叔父様に教えてもらえば私もどんどん魔法を覚えて行くと思うの」
「結論がおかしい」
「レインに教えるくらい朝飯前でしょ~?」
「朝飯前だろうと時間の無駄は好かん」
「リュティス叔父様の意地悪! こんなに頼んでるのに!」
すっかり臍を曲げたらしいが、ミルグレンは何故か言葉とは反対にリュティスの方に更に寄って来て、絨毯にそのまま座り込み第二王子の膝にもたれかかって来た。
過去に、こいつ以外にこんなことを自分にした奴はいないし、やって生きていた奴もいない。突飛な行動は母譲りか。それとも父なのか。
「……何してる」
「王立アカデミーが全然面白くないの。貴族の子供も嫌い。誰が好きだとか噂話とか何が流行ってるとかそんな話ばっかりで、つまんないよ。リュティス叔父様もそう思わない?」
リュティスは溜め息をついた。
「愚痴は他でやれ。そもそも母親に言え」
「だってお母様は……いつも国全体のことを考えてなきゃダメでしょ。だからあんまりレインのことで心配かけたくない。
お母様は遠くのことまで見てる人だけどその分自分のことが見え難いの。
だから側にいる人がお母様のことをちゃんと見て、考えてあげなきゃダメなのよ」
ミルグレンがそう言うと、リュティスは頬杖をついた。
「――誰の受け売りだ?」
「えっ」
「お前が自発的にそんな殊勝なことを考えるとは到底思えんからな」
ミルグレンは頬を膨らませる。
「考えることだって、あるもん」
「どうだかな」
会話が途切れ、ミルグレンはリュティスの顔を見上げて来た。
「ねぇリュティス叔父様……叔父様はお父様のことが嫌いだったの?」
「今度は何だ」
「だってみんなそう言ってるから。お父様と叔父様はすごく仲が悪かったって。
でも叔父様はレインには結構優しいでしょ?
本当にお父様のことが嫌いだったらね、私のこともまとめて嫌いになると思うの」
「子供に当たり散らしても仕方ないだけだ」
「え~? じゃあ本当にお父様のこと嫌いだった?」
ミルグレンとグインエルの容姿は似ても似つかない。
……それでもリュティスはこの娘は、父親に似ていると思うことがよくあった。
「どうして嫌いだったの? 私は小さくて……お父様のこと全然覚えてないけど、国中の皆お父様のことは好きだったって言うよ?」
「……。グインエルは魔術師として無能だった。私は無能は疎ましい」
十四歳の姪に対してあんまりな言い方だった。
しかしその声自体にはいつものような棘はない。
「だが、好きだろうが嫌いだろうが同じ血を引いているという事実は変えることは出来ん。兄弟とはそういうものだ」
ミルグレンは一瞬目を瞬かせたが、反芻した言葉にリュティスの、父への想いを僅かに感じ取ることが出来て少しだけ嬉しかった。
「えへへ……」
ミルグレンは満足したようにもう一度リュティスの膝に凭れ掛かる。
「懐くな、鬱陶しい」
リュティスは顔を顰めて手の甲を返した。
鬱陶しいと思い口では言うものの、ミルグレンはこれほど厚かましくリュティスの領域を冒して来るにもかかわらず、他の人間ほどリュティスの精神を圧迫しなかった。
アミアに対してはそういう印象は一度として受けたことはない。
紛れもない、これは父であるグインエルの血なのだろう。
(忘れ形見とはよく言ったものだ)
魔術の才を持たず、すなわち魔術師特有の多層的な思考回路を持たない。
グインエルもミルグレンも目に見える世界だけが真実なのだ。
風の自由さで不意に踏み込んで来るものの、彼らの目にはリュティスの捉えている闇の世界は映らない。
だからこそこの光の血脈はリュティスの暗面に引きずり込まれず、影響も受けず……無垢なほどの輝きを放ち続けている。
ミルグレンはさすがに病み上がりのリュていぅを気遣ったようだった。
いつもは奥館へ来ると好き放題して行くのに、今日は帰ります、お見舞いに来たんだからと言って立ち上がった。
「――ミルグレン」
出て行こうとした姪を呼び止める。
振り返る鳶色の瞳は父には似ていない。
だが同じ表情があった。
「お前の父は、お前と同じように魔術師の才には見放された器だった」
並の魔術師にも劣る魔力。
王女ミルグレンは魔術の蛮土などと言われるアリステア王国出身の、アミアカルバの血を引くにしても、保有する魔力自体はそんなもので、一応グインエルの血を引き竜の一族の本流でありながら、魔力がこれほど無いことは、それもかえって珍しいことではあるようだ。
グインエルに【
「だがそのグインエルは魔術を必要とした時、一度も私に魔術を教えろと口にしたことはなかった」
ミルグレンが瞬きをする。
「あいつは私にただ助力を乞った。……躊躇いもなくな」
グインエルがグインエルでなかったら。
光の闇に宿命を分けた自分達兄弟は、恐らく互いを疎み合い殺し合っただろうと思う。
力を貸してほしいと真っすぐ願える兄の魂の優しさに、リュティスも長く憎んだ光を許したのだ。
「……だからお前も同じように魔術が必要な時はただ私にそう願えばいい。
お前の願いが正しいものなら、私は自ずとそうするだろう。お前の父に助力したように」
「……私は私でいればいい……ということですか?」
「本質という意味でだ。お前は人としてもっと学べ」
ミルグレンがぷーっと頬を膨らませる。
「リュティス叔父様のいじわる!」
扉を開いて出て行こうとしたミルグレンがもう一度立ち止まった。
「……リュティス叔父様……あのね、このまえ……」
リュティスがミルグレンを見た。
憎まれ口を叩いても、ミルグレンはリュティスが本気で自分を叱ったことが一度もないことは知っていた。
顔を顰めたり面倒臭そうな顔はする。
でもリュティスの本気の、烈しい怒りを向けられたことは一度もない。
いつもそこには姪に対する容赦のようなものがあった。
自分に対しては、リュティスは優しいのだ。
「……ううん! なんでもない! また来ますね叔父様。
ちゃんと休まなくちゃダメですよ」
押し掛けて来た奴の言うことか。
皮肉が返って来る。
でもやっぱり、全然怖くなかった。
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