第6話「DMの送り主は、あなただったの?」
朝の講義室。いつものように最後列の隅に座る私は、スマホの画面を何度も確認していた。
『花音さんの正体、知ってるかもしれません。でも安心して』
昨夜から、このメッセージが頭から離れない。送信者のアカウント名は「静かな観察者」。プロフィールは非公開。手がかりは何もない。
でも、なんとなく分かっていた。
この優しい文体。句読点の打ち方。「安心して」という言葉選び。
「おはよう、咲良さん」
振り向くと、柊くんが立っていた。いつもの優しい笑顔。眼鏡の奥の瞳が、まっすぐ私を見つめている。
「あ、おはよう……」
声が震えそうになるのを必死でこらえる。彼の手元に視線を落とすと、スマホの画面がちらりと見えた。配信アプリ。そして、見覚えのあるアイコン——
「昨日の配信、見てくれた?」
唐突に聞いてしまった。柊くんは一瞬だけ驚いたような顔をして、それから首を傾げる。
「配信?」
「あ、ううん。なんでもない」
慌てて誤魔化そうとしたけど、もう遅かった。柊くんの表情が、少しだけ変わる。困ったような、申し訳なさそうな顔。
「実は、俺——」
「柊〜!ゼミの資料、印刷終わったぞ〜」
田中くんの声に、柊くんは振り返る。その隙に、私は席を立った。
「ちょっと、トイレ……」
逃げるように講義室を出る。廊下に出てから、壁にもたれかかった。心臓がうるさい。
知ってる。
彼が「静かな観察者」だって、もう確信してる。
スマホが震えた。DMの通知。震える指で開く。
『今朝は急に聞かれて驚きました。でも、咲良さんが花音さんだって、ずっと前から気づいてました』
息が止まりそうになる。やっぱり、柊くんだった。
『なんで黙ってたんですか?』
返信してから、すぐに後悔した。問い詰めるような言い方。でも、もう送信済み。
『黙ってたわけじゃないです。ただ、あなたが話したくなるまで待とうと思って』
涙が込み上げてくる。怖い。優しさが怖い。
『正体バラすつもりですか?』
自分でも最低な質問だと思う。でも、聞かずにいられなかった。
『そんなことしません。花音さんの配信、本当に好きだから』
廊下の窓から、中庭が見える。学生たちが楽しそうに話している。普通の日常。私には遠い世界。
講義室に戻ると、柊くんはもう席にいなかった。代わりに、机の上に小さなメモが置いてある。
『無理に話さなくていいです。あなたのペースで』
メモを握りしめる。
なんで、こんなに優しいんだろう。
* * *
午後の講義が終わって、ゼミ室に向かう。今日は「声と表現」についてのディスカッション。皮肉なテーマだ。
「咲良さん、顔色悪くない?」
佐藤さんが心配そうに声をかけてくる。
「ちょっと寝不足で……」
「配信とか見てたの?」
「え?」
ドキッとする。佐藤さんは笑って手を振った。
「私も最近VTuberにハマっちゃって。特に花音って子がお気に入りなんだ〜」
「へ、へぇ……」
胃が痛くなってくる。まさか、身近にリスナーがいたなんて。
「声がすっごく可愛くて、でも話す内容は深いんだよね。昨日なんて——」
佐藤さんの話を聞きながら、私は必死で平静を装う。自分の配信の感想を、本人に向かって熱く語られる。これほど居心地の悪いことはない。
「あ、柊くん」
佐藤さんの声で振り向くと、柊くんが入ってきたところだった。一瞬、目が合う。
彼は何も言わない。
いつも通りの笑顔で、みんなに挨拶して、席に着く。
その「いつも通り」が、逆に苦しい。
知ってるのに、知らないフリをしている。
私のことを気遣って、黙っている。
その優しさが、胸を締め付ける。
* * *
ゼミが終わって、帰り支度をしていると、柊くんが近づいてきた。
「咲良さん、この後時間ある?」
「え?」
「学内ラジオの打ち合わせがあるんだけど、よかったら見学に来ない?」
断る理由を探す。でも、彼の真っ直ぐな視線に負けた。
「……少しだけなら」
放送室は、校舎の4階にある。狭い部屋に、機材がぎっしり詰まっている。
「ここで毎週放送してるんだ」
柊くんが機材を説明してくれる。マイク、ミキサー、パソコン。配信に使う機材と似ている。
「声について、どう思う?」
突然の質問に戸惑う。
「声……ですか?」
「うん。人の声について」
柊くんは、マイクを優しく撫でる。
「俺、中学の時に吃音があってさ。上手く話せなくて、すごく悩んでた」
「え……」
「でも、ある配信者の声を聞いて、救われたんだ。声には、人を救う力があるって、その時に知った」
心臓が跳ねる。
まさか。
「だから、声について考えるのが好きなんだ。どんな声にも、その人らしさがあって、価値があるって思う」
涙が出そうになる。
彼は、私の配信に救われたって言ってる。
でも、それはAI変声した偽物の声で——
「咲良さん」
名前を呼ばれて、顔を上げる。柊くんは、とても優しい顔をしていた。
「無理しないで。自分のペースでいいから」
その言葉に、また逃げ出したくなる。
* * *
夜、配信の準備をしながら、何度もためらう。
柊くんが見てる。
知ってて、見てる。
AI変声ソフトを起動する。いつもの「花音」の声になる。可愛らしい、高い声。本当の私じゃない声。
『こんばんは〜!花音です!』
画面にコメントが流れ始める。いつもの常連さんたち。そして——
『今日もお疲れ様。楽しみにしてました』
「柊」のコメント。
手が震える。
知ってる。
彼は全部知ってて、それでも「楽しみにしてた」って言ってくれてる。
『今日は、ちょっと声について話そうかなって思います』
なぜか、そんな話題を選んでしまった。
『みんなは、自分の声って好きですか?』
コメントが次々と流れる。
「好き」「嫌い」「録音した自分の声にびっくり」「もっと可愛い声になりたい」
その中に、柊くんのコメント。
『どんな声も、その人らしくて素敵だと思います』
涙がこぼれそうになる。
『でも、もし本当の声が、みんなの期待と違ったら?』
思わず、そんなことを言ってしまった。コメント欄が少しざわつく。
『花音ちゃんの声、大好きだよ!』
『そのままでいいんだよ〜』
『考えすぎちゃダメ!』
優しいコメントたち。でも、これは偽物の声に向けられた言葉。
柊くんのコメントが流れる。
『期待と違っても、その人が変わるわけじゃない。声は一部で、大切なのは心だから』
画面の前で、声を押し殺して泣いた。
知ってて、それでも聴いてくれてるの?
この偽物の声でも、受け入れてくれるの?
でも、言えない。
本当のことは、まだ言えない。
配信を終えて、部屋の電気を消す。
暗闇の中で、スマホの画面だけが光っている。
DMが届いていた。
『今日の配信も素敵でした。あなたの葛藤も、全部含めて』
もう、隠し通せない。
でも、まだ勇気が出ない。
ベッドに潜り込んで、天井を見つめる。
知ってて、それでも聴いてくれてたの?
その優しさが、怖い。
その優しさが、嬉しい。
その優しさが、苦しい。
明日、どんな顔して柊くんに会えばいいんだろう。
答えは、まだ見つからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます