第7話「声で人を救えるって、本当?」
「今日のゲストは、同じ大学の咲良さんです」
放送室のマイクの前で、私は固まっていた。柊くんの学内ラジオ『声と心』にゲスト出演することになってしまった。断れなかった。いや、断らなかった。
「緊張しないで。リスナーは10人くらいだから」
柊くんが優しく微笑む。でも、その優しさが今は重い。彼は知っている。私が花音だということを。
「じゃあ、始めますね」
赤いランプが点灯する。生放送。
「こんばんは、『声と心』の時間です。パーソナリティの柊です」
柊くんの声が、いつもより少し低く響く。ラジオ用の声。プロみたいだ。
「今日は『声の力』について話していきたいと思います。咲良さんは、声について、どんなイメージを持っていますか?」
喉が渇く。地声で話すのが、こんなに緊張するなんて。
「えっと……声は、その人を表すものだと思います」
「なるほど。じゃあ、自分の声は好きですか?」
心臓が跳ねる。わざと聞いてるの?
「……正直、好きじゃないです」
「そうなんですね。どうしてですか?」
マイクを見つめる。この声が電波に乗って、誰かの耳に届く。私の、本当の声が。
「低くて、女の子らしくないから」
言葉にすると、改めて惨めになる。柊くんは否定も肯定もせず、ただ頷く。
「実は、俺も自分の声が嫌いだった時期があるんです」
「え?」
「中学生の時、吃音があって。言葉が詰まったり、同じ音を繰り返したり。『おはよう』って言うだけで必死だった」
初めて聞く話だった。いや、昨日も少し話してくれたけど、こんなに詳しくは。
「クラスで発表する時は地獄でした。みんなが見てる前で、言葉が出てこない。笑われることもあった」
胸が痛くなる。私と同じだ。声で苦しんでいたんだ。
「でも、ある夜、偶然見つけた配信者がいて」
息が止まりそうになる。
「その人の声を聞いてたら、なんだか落ち着いたんです。優しくて、温かくて。完璧じゃないけど、一生懸命話してる感じがして」
手が震える。まさか。
「その配信者さんも、時々言葉に詰まったり、噛んだりしてた。でも、それが逆に人間らしくて、親近感があって」
違う。それは私じゃない。私は花音として、AI変声で完璧な声を——
「ある日、その人が言ったんです。『完璧じゃなくていい。伝えたい気持ちがあれば、それが一番大事』って」
涙がこぼれそうになる。それ、私が言った言葉だ。
「その言葉に救われました。声は完璧じゃなくていい。大切なのは、何を伝えたいか。誰かに届けたい想いがあるかどうか」
柊くんの目が、まっすぐ私を見ている。
「だから俺は、声には人を救う力があるって信じてます」
沈黙が流れる。でも、重い沈黙じゃない。温かい静寂。
「咲良さんは、誰かの声に救われたことはありますか?」
質問の意味が分かる。彼は試してない。ただ、私に話す機会をくれている。
「……あります」
声が震える。
「どんな時でしたか?」
「友達に、声が怖いって言われた時」
思い出すだけで胸が痛い。
「一人で泣いてたら、たまたま見つけた動画で、誰かが歌ってて。その人も、きっと声にコンプレックスがあったんだと思う。でも、一生懸命歌ってて」
嘘じゃない。本当にそういう動画を見て、配信を始めようと思ったから。
「その時、思ったんです。声で傷つくこともあるけど、声で救われることもあるんだって」
「素敵な経験ですね」
柊くんが微笑む。その笑顔に、また泣きそうになる。
「でも、もし自分の声が、誰かを騙してたらどうしますか?」
思わず聞いてしまった。柊くんは少し考えてから答える。
「騙すって、どういう意味でしょう?」
「例えば、本当の声じゃないとか」
「ふむ。でも、『本当の声』って何でしょうね」
予想外の答えに戸惑う。
「人は場面によって声を使い分けます。家族といる時、友達といる時、好きな人といる時。どれも、その人の声です」
「でも、それは——」
「機械で変えたとしても?」
ドキッとする。
「たとえ機械を使っても、そこに込められた想いは本物じゃないですか?」
涙が、もうこらえられない。
「言葉を選ぶのも、何を話すかを決めるのも、その人自身。声の高さや質じゃなくて、そこに宿る心が大切なんだと思います」
放送室の小さな窓から、夕日が差し込んでいる。オレンジ色の光が、柊くんの横顔を照らす。
「実は、俺を救ってくれた配信者さん、今も聞いてます」
「え?」
「最近、少し雰囲気が変わったけど、でも相変わらず素敵で。その人の配信を聞くと、今でも勇気をもらえるんです」
もう、隠し通せない。彼は全部知ってて、それでも——
「その人に、いつか言いたいことがあるんです」
「……なんですか?」
「『ありがとう』って。『あなたの声に救われました』って」
涙が、ぽろぽろとこぼれる。マイクが拾っているかもしれない。でも、もう止められない。
「でも、まだ言えてません。タイミングを待ってるんです。その人が、本当の自分を見せてくれる時を」
放送の赤いランプを見つめる。今、この瞬間も、誰かが聞いている。私の本当の声を。
「声で人を救えるって、本当だと思いますか?」
柊くんの質問に、私はゆっくりと答える。
「……分かりません。でも、救われた人がいるなら、それは素敵なことだと思います」
「そうですね。俺もそう思います」
放送は続く。他愛もない話。好きな音楽、最近読んだ本、大学生活のこと。でも、その全てに、見えない糸が張り巡らされている。
私と柊くんを繋ぐ、秘密の糸。
* * *
放送が終わって、機材を片付けながら、柊くんが言った。
「今日はありがとう。すごく良い放送になった」
「私、上手く話せなくて……」
「そんなことない。咲良さんの声、ラジオ向きだと思う」
「え?」
「落ち着いてて、安心する声。深夜ラジオとか合いそう」
褒められてるのか分からない。でも、嬉しかった。
「また出てくれる?」
「……考えておきます」
放送室を出て、階段を降りる。夕暮れの校舎は静かだ。
「咲良さん」
振り返ると、柊くんが立っていた。夕日を背にして、逆光で表情が見えない。
「俺、本気で言ったんだ。声には人を救う力があるって」
「……」
「どんな声でも、そこに想いがあれば、誰かに届く」
風が吹いて、桜の花びらが舞う。もう散り始めている。
「柊くん」
「うん?」
「私——」
言いかけて、止める。まだ、言えない。
「ううん、なんでもない」
彼は何も聞かない。ただ、優しく微笑むだけ。
* * *
その夜、配信は休んだ。
代わりに、ベッドで天井を見つめながら、ずっと考えていた。
私のウソが、柊くんを救った。
AI変声の偽物の声が、彼の支えになった。
それは、嬉しいこと?
それとも、罪深いこと?
分からない。
でも、一つだけ確かなのは、彼の言葉が私を救ったということ。
『どんな声でも、そこに想いがあれば、誰かに届く』
スマホを手に取る。配信アプリを開く。
コメント欄には、心配する声があふれていた。
『花音ちゃん、今日はお休み?』
『体調大丈夫?』
『いつでも待ってるよ〜』
その中に、柊くんのコメント。
『無理しないで。あなたのペースで大丈夫』
涙が、また溢れる。
私のウソが、あなたを救ったなんて。
でも、あなたの優しさが、今度は私を救ってる。
この連鎖を、どうやって断ち切ればいいんだろう。
それとも、このまま続けていけばいいの?
答えは、まだ見つからない。
でも、少しだけ、光が見えた気がする。
声には、人を救う力がある。
たとえそれが、偽物の声だったとしても。
その事実を抱きしめて、今夜は眠ろう。
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