第5話「正体、知ってるかもしれません」
コンテスト予選まで、あと一週間。
練習に没頭する日々が続いていた。
部屋で一人、AI変声ソフトを通して台詞を読む。
「愛してる」
「会いたかった」
「ずっと一緒にいて」
花音の声で紡がれる愛の言葉。でも、それを言っている私の顔は無表情だ。
休憩中、スマートフォンを見ると、配信アプリに新着メッセージが届いていた。
DMは普段あまり来ない。スパムかと思いながら開くと、そこには震えるような文章が。
『花音さんへ
突然のメッセージ、すみません。
もしかしたら、花音さんの正体、知ってるかもしれません。
でも安心してください。誰にも言うつもりはありません。
ただ、伝えたいことがあって。
予選、応援しています。
どんな姿でも、どんな声でも。』
送り主の名前は「通りすがりのリスナー」。
明らかに偽名だ。
血の気が引いた。
手が震えて、スマートフォンを落としそうになる。
知ってる?
私が咲良だって、バレてる?
すぐに返信を打とうとするが、指が動かない。
何を書けばいい? 否定する? 無視する?
でも、このメッセージの主は敵意があるわけじゃなさそうだ。
むしろ、応援してくれている?
一日中、そのメッセージのことが頭から離れなかった。
大学でも、誰かに見られているような気がして、何度も振り返る。
「咲良さん、大丈夫?」
ゼミで隣に座っていた佐藤さんが心配そうに声をかけてきた。
「あ、うん。ちょっと寝不足で」
「最近、なんか雰囲気変わったよね。恋でもしてる?」
「え!? そ、そんなわけ……」
慌てて否定すると、佐藤さんはクスクス笑った。
「冗談だよ。でも、前より生き生きしてる感じ」
生き生き、か。
花音として活動し始めてから、確かに何かが変わった。
でも、それは偽りの上に成り立っている。
その時、教室のドアが開いて、柊先輩が入ってきた。
「遅れてすみません」
柊先輩と目が合った瞬間、なぜか心臓が大きく跳ねた。
まさか、DMの送り主は……?
ゼミの間中、柊先輩の様子を盗み見ていた。
でも、いつも通り穏やかで、特に変わった様子はない。
帰り道、一人で歩いていると、後ろから声をかけられた。
「咲良さん」
振り返ると、柊先輩が小走りで追いかけてきていた。
「あ、先輩」
「コンテスト、出ることにしたの?」
どきり。
「い、いえ、私は出ません」
嘘じゃない。咲良としては出ない。
「そっか。でも、もし出るなら応援するよ」
その言葉に、朝のDMが重なる。
『予選、応援しています』
「……どうして、そんなこと言うんですか?」
思わず、聞いてしまった。
柊先輩は少し驚いたような顔をしたあと、優しく微笑んだ。
「だって、咲良さんの声、好きだから」
また、その言葉。
「本当に? こんな低い声が?」
「うん。それに……」
柊先輩は一瞬言いよどんだあと、続けた。
「どんな声でも、その人らしさが出てると思うから」
どんな声でも。
まるで、花音の声も含めて言っているような。
夜、配信を始めようとしたが、手が震えて上手くいかない。
もし本当に正体がバレていたら。
もし、今日にでも暴露されたら。
でも、配信を休むわけにはいかない。
待ってくれている人たちがいる。
「こんばんは、花音です」
震えを押し殺して、いつも通りの声を作る。
『夜更かしさん:花音ちゃん!待ってた!』
『声フェチ:今日も可愛い声だね』
そして。
『柊:今日も待ってる』
柊のコメントを見た瞬間、少しだけ緊張が和らいだ。
この人は、いつも待っていてくれる。
花音のことを。いや、もしかしたら……。
「今日は、ちょっと緊張してて……ごめんなさい」
『柊:大丈夫。緊張してる花音さんも、いつもの花音さんも、どっちも好きだよ』
他のリスナーたちも温かいコメントをくれる。
こんなに応援してくれる人たちがいるのに、私は嘘をついている。
配信後、もう一度DMを読み返した。
送り主は誰だろう。
でも、誰であっても、もう逃げられない。
予選まであと一週間。
私は花音として舞台に立つ。
「明日、全部終わるかもしれない」
暗い部屋で呟いた言葉は、不安でもあり、どこか解放への期待でもあった。
もう、後戻りはできない。
偽物の私と本物の私。
その境界線が、少しずつ曖昧になっていく。
窓の外では、春の嵐が近づいているのか、風が強くなってきた。
変化の予感は、もう現実のものになろうとしている。
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