玉藻



「クッソ、重っ、てぇ」


 刃が幼女の命を両断しようかという直前。

 俺は震える足を無理矢理動かし、大男と幼女の間に割って入った。

 大男の剣を持っていた剣で受けると、その攻撃のあまりの重さに体全体が地面に沈み込んだような錯覚に陥った。

 いや、実際に沈んでいたのかもしれない。


「なぜ邪魔をする?」


 大男は顔色一つ変えずに抑揚のない声で聞いてくる。

 相対して改めて男のデカさを認識する。

 3メートルは優に超えているんじゃないだろうか。

 腕や首の太さ、浮かび上がる血管が、男の力を象徴しているかのようだった。


「逆に聞きたいんだが、何でこんな小さい子を殺そうとしてんだよ」


 俺にはこいつの質問の意味がわからなかった。

 確かに俺はこの幼女のことなんて何も知らないが、それでも目の前で殺される寸前の子供がいたら助けるのに理由なんていらないだろう。


「お前には関係ない」


「じゃあ俺もお前の質問に答える義理はないな」


「まぁいい。手間が省けた。二人まとめて逝け」


 男は振り下ろしていた剣を戻し、数歩下がった。

 かと思えば、剣を横に振るような構えをみせる。

 瞬間、さっき以上の寒気を感じた。

 ただでさえ太い男の剣を握る腕が、更に太くなる。

 もはや膨張といってもいいかもしれない。


「マジかよ……」


 すぐに理解した。

 次にこの男が放つであろう攻撃を、俺は防ぐことができないと。

 正直な話、魔力がない俺がさっきの一撃を受けれたのだって奇跡としかいいようがない幸運だ。

 その証拠に今でも手は痺れてるし、油断すると足も震えだしそうだ。

 次は間違いなく受け止められない。


「おい、お前走れるか?」


 幼女に問いかける。

 俺が少しでも時間を稼げれば良かったが、どうやらこの大男はそういうのを許してくれる相手ではなさそうだ。

 ならば選択肢はひとつ。

 逃げるしかない。

 だが、


「……」


 幼女からの返事はない。

 荒い息遣いのみが聞こえてくる。

 あれだけの出血だ、走れるかなんて聞く方がおかしいか。


「《殺ス刃二シギルツー》」


 寒気を通り越して、全身を刺すような気配を感じた。

 見れば大男はいつの間にか横薙ぎに剣を大きく振りきっていた。


「――ちっきしょぉっ!」


 受けるとか避けるとかそういう次元ではない、空間を震わせるかのような斬撃が飛んでくる。

 俺は咄嗟に幼女を押し倒し、一緒に地面に這いつくばった。

 頭上数センチを冷たい空気が通り抜けた。


「嘘だろ……」


 斬撃のあとに轟音が聞こえたかと思えば、俺の後ろにあった家屋や街灯、看板などが綺麗に真っ二つに両断されていた。

 ――このままじゃ殺される。

 俺は怯えを抑え込むようにして立ち上がり、幼女を抱きかかえてから、


「っくらえ!」


 ポケットに忍ばせていた煙玉を地面に叩きつけた。

 一瞬にして周囲数十メートルが煙で何も見えなくなる。


 そこからはとにかく全力で逃げた。

 なるべく足音を立てないようにして、だけど全力で。

 これまで魔力ゼロなのに、散々ダンジョンに潜っては生き延びて帰ってきたんだ、逃げ足には自信がある。


 あいつは人が来なそうな路地の奥で幼女を殺そうとしていた。

 そしてそれを見た俺も殺そうとした。

 つまり、幼女を殺そうとするようなヤバい奴ではあるが、一応は人に見られることを警戒していて、目撃者はいない方がいいという考えは最低限持ち合わせているわけだ。

 だとしたら通りに出れば簡単には追ってこないはずだ。


「晴、明……」


 全力で逃げる俺の腕のなかで、幼女が弱々しい声を発した。


「誰と勘違いしてるかはわからないが、残念ながら俺は晴明じゃねーぞ」


「な、にを冗談を。わっちがお前を間違えるわけ、が……」


 と、ここで初めてしっかりと幼女と目が合った。

 幼女は目を見開き、


「……誰じゃお前?」


 俺の顔をまじまじと見つめる。


「俺は至明だ。たまたまお前が殺されかけてるところに遭遇した学生だよ。それよりお前その傷、喋って大丈夫なのか? もうすぐ治療できるところに連れてってやるから耐えろよ」


「治療はせずとも大丈夫じゃ、時期回復する」


「何いってんだおま――」


 言いかけて止まる。

 何故なら先ほどまで滴っていた血は既に止まっていて、手足にあった無数の切り傷もみるみるうちに消えていってるのに気づいたからだ。


「お前、いつの間に回復魔法なんて使ったんだよ?」


「魔法じゃと? あんな忌々しいものと一緒にするでない」


「魔法じゃないってんなら何だってんだよ?」


 あれだけ酷かった傷がこんなにも早く治癒されていってる。

 これが魔法じゃなくて何だというのか。


「これは、わっちの体質みたいなもんじゃ。ところでいつまで走り続けるつもりじゃ?」


 言われて気づく。

 既に俺はある程度人通りの多い場所に出ていた。

 あの大男が追いかけてくる気配は感じない。

 目の前にはやや小さめの公園があった。

 俺達はひとまずベンチに座る。


「――ここまでくればとりあえずは大丈夫、か。お前本当に治療しなくていいのか?」


「大丈夫じゃ。ほれ」


 幼女はベンチで立ち上がると、着ている服を捲ってお腹を見せてきた。

 そして、確かに傷は塞がっていた。

 さっきまでまともに喋れすらしなかったのに、今ではハキハキと受け答えが出来ているのを見るに本当に大丈夫なんだろう。


「そうか、じゃあもう一人でも大丈夫だな」


 俺はベンチから立ち上がり、その場から離れようとして、


「待て待て、こんな傷だらけで追われている幼女を置いていくやつがあるか!」


「いや、傷はもうほぼ治ってただろ」


「馬鹿者! 大事なのは幼女が追われているというところじゃ!」


 偉そうに言うことではないと思うが。

 何か急に元気になった気がするな。


「とは言うけど、お前何歳だよ?」


 猫のような耳と、さっきまでは気づかなかったがフサフサとした尻尾が2本。

 間違いなく人間ではない。

 つまり亜人だ。

 亜人は見た目と年齢が比例しないことも多い。

 こいつの喋り方からして、そこまで幼くはないような気がする。

 殺されかけていたから助けたが、その危険がなくなったのならこれ以上面倒事に巻き込まれたくはないというのが正直なところだ。

 最初にこいつを見たときに感じた、胸を締め付けられるような感覚は気になるが。


「馬鹿者! おなごに歳を聞く奴があるか!」


 キレられた。


「じゃあひとまずその話はいいとしてだ。お前を殺そうとしてたあいつは一体誰なんだ?」


 こいつが幼女か否かはひとまずいいとして、何で殺されそうになっていたのかがわからない。

 あの大男は相当な実力者だ。

 逃げ切れたのは運がよかっただけ。

 とてもじゃないが、あのレベルの相手は俺の手に負えない。


「そのことなんじゃが、わっちにもあいつが何者なのかわからんのじゃ」


「は? 殺されそうになってたのにかよ?」


 ますます意味がわからない。


「そうじゃ。それより、わっちからも一つ聞きたいんじゃが」


 幼女は周囲をぐるりと見渡して、何だか寂しそうな表情をして、


「今は、いつじゃ?」


 訳のわからない質問をしてきた。

 しかし、ふざけている様子はない。

 むしろこれまでで一番真剣な雰囲気すら感じる。


「交生歴1023年の6月6日だ」


 なので俺も真面目に答える。


「……なんじゃそれは? わっちは真剣に聞いておるんじゃ! 真面目に答えよっ」


 胸ぐらを掴まれる。

 手は震えていた。


「別にふざけてるつもりは――」


「わっちは交生歴とかいうふざけたものではなく、今が平安何年かと聞いておるのじゃ」


 幼女の腕に力がこもる。

 それよりも、平安って言ったよな。

 それならば前に学院の歴史の授業で習った記憶がある。


「平安ってもうずっと昔の言い方だろ?」


 確か平安時代が終わって、今の交生歴になったはずだ。


「昔、じゃと?」


「ああ、もうずっと昔だ。交生歴になる前のものだから、千年以上前ってことになるな。ちょうどその辺りに異世界間で大きな戦があったって話だ」


「それは……本当に……確かな話、なのか?」


「ああ、間違いないはずだぜ」


「そ、それで、その戦はどっちが勝ったのだ?」


「どっちが勝ったとかはわからねーけど、何かお互いに共存の道を選んだんだとさ」


「共存、か。ふ、はは……そうか。そうなのか」


 俺の胸ぐらを掴んでいた幼女の手が力なく垂れた。

 かと思えばベンチに座って空を見上げたまま動かなくなってしまった。


「で、お前はこれからどうするんだ?」


「……お前ではない。玉藻じゃ」


「は?」


「わっちの名前じゃ。お前の名は?」


 玉藻か。

 変わった名前だ。


「俺は至明だ」


 さっきも名乗った気はするが、まぁいい。


「で、玉藻。これからどうするんだ?」


「わからぬ」


 玉藻は空を見上げたまま答える。

 その姿があまりに儚げで、何故だかわからないが胸の奥がチクリと痛んだ。


「――――ほらよ」


「ひゃ、な、なにをするか? ――ってなんじゃこれは?」


 俺は近くの自動販売機で飲み物を買って、玉藻の頬にピタッとくっつけた。

 玉藻は驚いたかと思えば不思議そうに飲み物の缶を見て、タブの部分をガジガジと噛んだりしている。


「これはこうやってあけるんだよ、ほら飲んでみろ」


「おお、な、な、なんじゃこの旨いシュワシュワはッ!?」


「ははっ、炭酸飲んだの初めてか?」


「うむ。このシュワシュワ、気に入ったぞ」


 両手で缶を持つと、玉藻はゴクゴクと一気に飲んでしまった。


「まぁ、なんだ、お前が何に落ち込んでるかはわからないけどよ、元気だせよ」


「……なんじゃ、わっちを元気づけようとしてくれてるのかえ?」


「お前があまりに落ち込んでたからよ。生きてりゃいいことあるって。俺も魔力ゼロで苦労してるけど、何とか生きてるしな」


 魔力ゼロ。

 将来のことを考えると少し億劫になるが、それでも何とかやっていけてる。

 まぁ俺の場合はリーナやナターシャの存在も大きいが。


「……至明、お前、今何と言った?」


「へ? ああ、魔力ゼロって話か? 相当珍しいみたいだぜ」


 どうせ珍しく薄いところを引くのなら、良い方に薄いところを引き当てたかったが、文句を言ってもしょうがないしな。


「……この魔力に満ちた世界で、お前は魔力がないと、そう言うのだな?」


「ああ、そうだけど」


 玉藻はまたもやベンチで立ち上がり、興奮気味に詰め寄ってくる。

 魔力ゼロ、珍しいとは思うがこんなに興味を持つ話なのだろうか。


「至明、上着を脱いで裸になれ」


「は? 何で?」


 急にとんでもないことを言い出したな、この幼女は。


「お願いじゃ」


「でも周りの目もあるしな……」


 傍から見たら幼女を襲おうとしてる変質者だ。

 捕まる可能性すらあるぞ。


「では脱がなくてもよい。服を少し捲って見せてほしい。それならよいか?」


「何をしようとしてるかわからねーけど、早く済ませろよ」


 これでも十分危ないやつだが、上半身裸よりはマシだ。

 俺は仕方なく上着を捲って見せた。


「うおっ」


 玉藻は躊躇なく両手を俺の胸の辺りまで滑り込ませた。

 おかげで一瞬変な声が出てしまった。

 それから1分くらい経っただろうか。

 玉藻は依然として俺の胸にずっと触れ続けている。

 俺は変質者に間違われないように周囲を警戒していたが、


「おい、そろそろ――――」


 何をしているのかはわからないが、そろそろいいだろうと言いかけて、言葉に詰まった。


「――――どうしたんだよ?」


 玉藻はまたも泣いていた。

 鼻を啜りながら、肩を震わせて。


「……晴明、こんなところにいたのだな」


 玉藻は訳のわからないことを口にした。

 晴明。

 またその名前か。


「おい何で――」


 涙の訳を聞き出そうとしたのと同時だった。


「《殺ス刃三シギルスリー》」


 低い声と共に、空から無数の斬撃が降り注いだのは。


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