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「学生の君にとって、同性はどんな存在だったのか」


 彼女はテーブルの上で手を組み、私をまっすぐに見つめた。


「言われてみると深く考えたことはありませんでしたけど、よくある仲良しグループですよ。どうしてそんなこと気にするんですか?」


 同性の友達が居なければ、その者のコミュニケーション能力は低いと見なされる。この木村にしてその欠落はないだろう。彼女がモテる理由ははっきりしている。聞かずにいられなかった箇所はより難解で、彼女の自分語りから抜けていた要素だ。


 男と関わる上で何よりも厄介なものがあったろう。だれがだれと付き合うにしても噂は面白半分に誇張されて広まる。これを知らずに交際を進めていったなら、無能な評判が彼女を苦しめたはずだ。


 違いを「知りたい」一心で始まったそれらは外部の俗っぽい見方でいかようにも汚される。そうした根も葉もない議論を好物とする者たちが無為に扱われるはずがないのだ。


「君は、彼女らに軽蔑されたんじゃないのか。男に媚びているとか、節操がないとか言われて」


「フフ。心配してくださっているのですか? さすがは、ぼくの認めた男性とでも言っておきましょうかね。確かに同性からは恨まれもしました」


 認めた男性うんぬんは初耳だったが、木村のこう言う時は次への前兆だ。疑問への肯定はさらに、こう付け加えられた。


「それはぼくがイヤ~な女だったから、自然な反応だと思うのです。あの頃のぼくにとって同性は敵でも味方でもなく引き立て役でした」


 綺麗な華の香りが他の華の存在を薄れさせる。喉の奥から溜め息がこみ上げそうになる。予想しない何かを口走る前に立ち上がった。ボックス席から抜け出て、店内の奥まった位置に歩を進める。


 逃げ込んだ先には鏡があり、そこに私が居た。洋式の個室を出るまでの間、何度となく脳内を巡っていたのは、自分の男性としての値打ちについてだった。惨めに捨てられる心当たりは痛いほどあった。


 一人の時間を数分挟んでから席に戻ると、木村が座っていた。無言で居なくなっていたら、楽だったかもしれない。彼女はこちらに気が付くまで、じっと前だけを見ていた。


「自己紹介は一旦おしまいにして、本題に入りたいと思います」


 着席して、私が一段落した直後の事だ。いよいよ目を逸らさずに話者の方を見る。普段の微笑はどこかへ隠されてしまっていた。


「イノウエさん。ぼく、あなたのお家に行ってみたいのです」


 身構えていたが、聞き返してしまった。耳を疑ったわけではない。そうしなければならなかった。余地を与えなければいけなかった。まだ撤回はできるのだ。


「これからあなたのお家に行きたい」


 確かに言った。幻滅をものともせず語り、私の判断のお膳立てを整えた上で頼み込んだのだ。承諾も拒絶も口に出せないまま、沈黙だけが雄弁に私の弱点を告げていた。悪意のない要求なら、つい叶えてしまう。そういう部類の人間だ。




 会計をした後、お店を出たら日は沈みきっていた。街灯が照らす暗がりの帰路に踏み入る。自分のものではない足音が後ろから聞こえてくる。議論を差し挟む余地なく、こうなる流れを拒めなかった。押しの強さもまた魔力と呼ぶのだろうか。


 通り慣れた路地が違った場所に来たかのようだった。言葉は交わされず、家々の流れだけが時の過ぎていく様を教えている。もう一〇分も経過すれば自分がどこに居るのか解るようだ。そして、そこに彼女の姿があるだろうこともはっきりと見えていた。


 私の暮らしているそこは借家だが、一階建ての建物がいくつも並んでいるうちの一つであり、大きめの館の中で部屋が区切られている物件ではなかった。壁や床を隔てて音や気配が他者の暮らしと干渉する生活は現代人に珍しくないが、できれば避けたいと思う。そうした要望を満たす分、毎月にかかる賃料は安くない。


 住宅街の端に、賃貸や空き地がある。その一部では田畑に連なる林に囲われた、砂利の駐車場がある。この時間帯になると、決まって同じ車が停まっている。私は自動車を所持しておらず、買い物には自転車を使う。カラオケには場所が近いため、この通りの徒歩である。


 例の駐車場を奥にして、手前の敷地に建てられた複数の棟の一軒に着いた。隣の棟は既に明かりが点いている。古めかしい和風な家屋だが、まだ建ってから四〇年も経過していないはずだ。この秋頃の時期でも、虫が入ってくる心配はあるから、室内で効果が持続するスプレー式の殺虫剤が玄関に備えてある。


 簡素だがないよりは増しなくらいの鍵を解き、引き戸を開ける。電気を点けると、紐のない靴を脱ぎ、床に上がる。ふと振り返ると、木村は手持ちぶさたにこちらを見ていた。私は入ってすぐ左手にある和室を指した。


「そこの部屋が空いている。私は向こうで着替える」


 電気を点けてから言い残して、洗面所の方へ移る。帰宅したら手を洗い、うがいをする習慣が染み付いていた。足を洗うところまでが一連の流れ。加えて、自宅と外では別々の服を着る。服装に大きな差はなく、単に外の汚れを持ち込みたくないだけだ。


 潔癖に拘るではなく、先ほどの空いた部屋や、食卓と台所を兼ねる居間は外の服装での活動も許容できる。ただし、座るイスは服装によって使い分けられている。それはイスというイスではなく、イスとして使える収納ボックスと呼ぶのが正しい。


 着替えまでが済み、居間のそのイスに腰掛けていた。明かりの真下に置かれた折り畳める横長のテーブルが一脚あり、食事や書き物、娯楽などそこが私の主な活動領域となっている。この隣は寝室である。


 そろそろ立ち上がり、客人に案内した部屋へ向かう。


 彼女は畳の上に脚を崩して腰掛けていた。私の方をゆっくり振り返り、小さな第一声を発した。


「寂しい部屋ですね」


 言い繕うまでもなくここには何もなかった。窓は一日中、雨戸で締め切られ、天井から円形の二連蛍光灯が内側に取り付けれた、四角な和風の電灯がぶら下がっており、畳が敷いてあるだけだった。押し入れはあるが、中に何も入っていない。


 私を見上げる木村の目はいつになくよそよそしかった。そこでようやく自分が“持つべき感覚”を欠いていたことに気が付いた。心構えを改めて、そっと腰を下ろす。距離が大げさすぎたかと思って、触れるほど近い背後のふすまとの間隔を確かめる。


 何も話さずに同室していると、続く第二も彼女が発声するほかなかった。


「今日は、その、ごちそうさまでした。……お礼、差し上げないといけませんね」


 そう言い放ち、両手を後ろについて、ぱたりと倒れ込んだ。かつて想像上のものだと考えていた感触を、最後にしてからもう三年ほど経つ。今さら私にその気がないとしても、無下にすれば彼女は傷付く。

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