春楡の誓い

Chocola

第1話

 控室の鏡に映るのは、ふわりと微笑むアイドル・アリシア。

 その顔の奥に、かつて「伯爵令嬢」と呼ばれていた面影は、今や誰も知らない。


 七歳のあの日。

 父と母は“罪人”として処刑された。

 罪状はでっち上げ。けれど、証明するすべはなかった。

 危機を察した両親は、彼女と兄姉、そして幼い弟を祖父のもとへと逃がしていた。

 生き延びた四人の兄妹は、貴族ではなく、平民として隠れるように暮らしていた。


「君たちの両親は、無実だった」


 それを証明したのは、兄アレクだった。

 祖父とともに八年かけて調査し、真実を突き止め、冤罪を仕組んだ一部の貴族たちを告発、島流しにまで追い込んだ。


 兄妹で元の身分に戻ることも可能になった。

 だが、アリシアは悩んでいた。


 アイドルとしての活動は順調だった。

 ようやく手にした“自分の名前での人生”。

 それを、「元伯爵令嬢」という肩書で壊したくなかった。


「わたしは……アイドルを続けたい」


 そんな中、公爵家からの連絡が届く。


「十五歳になったら、公爵家に花嫁修業に来てほしい。あれは許嫁としての正式な約束だったのだから」


 アリシアには、幼いころの記憶が曖昧だった。

 けれど、公爵家はかつて伯爵家と親しく、事件後も陰で助けてくれていた家だった。

 兄や姉たちも知らなかったが、彼女とその家の次期公爵との間には、確かに「将来結婚しよう」という約束があったという。


「許嫁って……会ったこともないのに」


 そう思っていた彼女の胸に、ふいにあの日の記憶がよみがえる。

 庭で遊んだ少年。手を取って、笑った顔。

 「大きくなったら、ぼくと結婚してくれる?」

 「うん……」


 その記憶が、本当にあったことだとわかったとき、アリシアの心は揺れた。

 でも——


「今の私は、ステージの上で生きていたい。彼に会うとしても、それを終えてから」


 兄は、彼女の意思を尊重してくれた。

 姉は、「あたしの許嫁なんて最低だったから解消してる。あんたは幸せになんな」と背中を押してくれた。

 弟は、「僕はアリシア姉さんのファン一号だよ」とにっこり笑った。


 アイドル・アリシア。

 その名は春楡のように、しなやかに、誇り高く、舞台に咲く。


「夢を諦めたくない。そして、記憶の向こうの“あの人”と、もう一度ちゃんと会ってから……」


 高貴な少女は、自由を選んだ。

 夢を追うその姿に、誰もが心を奪われていく。

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