チートスキル《時間停止》でサッカー界の頂点に上り詰めたら罪悪感がすごいんだが!?

D野佐浦錠

チートスキル《時間停止》でサッカー界の頂点に上り詰めたら罪悪感がすごいんだが!?

 J1リーグ第33節、モンストラスレイジ千葉VSコーリコ福岡、その熱狂の最中さなか

 たった一つのボールを巡って火花を散らす、22人のフィールドプレイヤーの一人でありながら、僕は倦怠感をおぼえていた。


 コーリコ福岡のフォワード、国分選手とのマッチアップ。稲妻のような、と称される彼のドリブルはワールドクラスの脅威だった。

 ——動いた、と思って反応したときにはもう、国分選手は僕の横をすり抜けかけている。いともあっさりと抜き去られた格好だ。


 でも僕は、この瞬間に、許されざるチートスキルを発動する。


——時間停止ネメシス


 世界から全ての音が消え、静寂に包まれる。

 僕以外のあらゆる存在が、その動きを止めていた。

 静止した世界。

 時の止まった世界。

 この能力の前では、稲妻さえも停止する。


 完全に抜き去られた体勢から、足先を伸ばしてボールに触れる。そうして、時間停止を解除する。


 全ての動きが再開した。

 ボールは僕の足元に収まっており、国分選手は予想外のボールロストにバランスを崩して転倒してしまう。

 わっと大歓声が湧いて、スタジアム中を震わせているのが伝わった。雷が落ちてから雷鳴が轟くまで少しの間があるみたいに、さっきまでの静寂の世界とは一転、途轍もない熱狂を僕は感じている。

 味方の選手にボールをパスして、国分選手の方を見ないようにしながら元のポジションへと戻る。

 そうして、僕はこう思っている。

 ——何て卑怯なことを。恥知らず。


 僕が時間停止ネメシスを身につけたことには、何の物語も存在しない。

 高校生の頃、部活の帰り道で、唐突に、僕には時間を止めることができるということに気が付いた。本当に、ただそれだけだった。


 しかもこの能力には、思い付くような欠点は何も見出せなかった。

 止められる時間に限界があるということも多分なく——止まった時の世界では時計の類も動かないので感覚だけの判断だけど、丸一日以上は止めていられた——一度時を止めてからまたすぐに時を止めることもできるし、使いすぎると身体に負荷がかかるなんてことも全くなかった。

 正しく、これはチートスキルだという認識だ。


 サッカーのルールに「時を止めてはいけない」というのはない。当たり前だ。

 だからといって、こんなことはどう考えても許されるはずがない、という確信がある。

 ルールにそう書いていないのは、人が自分の意思で時を止めるなどということは想定されていない、というだけだ。

 だって、もし僕が時間停止ネメシスをフルに使ったなら、サッカーという競技は完全に終わってしまう。試合が始まった瞬間に時を止め、全ての選手を抜き去って静止したゴールにボールを蹴り込む。それで終わりだ。そして、この手順は試合中に無限の回数繰り返すことができる。僕たちがサッカーという競技に魅せられた所以であるところの、足元の超絶技巧だとか、緻密なパスワークだとか、鮮やかなミドルシュートだとか、そういったものは全て無意味と化してしまうのだ。


 僕は、日本サッカー界で魔術師ウィザードと称されている。

 フィジカルも大して強くなく、一見して隙だらけに見えるのに、気が付いたらボールを奪われていたり、抜き去られたりしているのだ、と周囲の選手たちから評価されている。

 全く、彼らの評価は正しい。流石はプロだ。

 僕の本来の実力は、このピッチに立つ他の選手の足元にも及ばない。

 僕は、絶対にやってはいけないことをやっている、という確信を持ったまま、ここまで来てしまった。


 国分選手と再度マッチアップする。

 今度は時間停止ネメシスを使わずに挑むけれど、僕の伸ばした足先は国分選手の足元のボールに全く届かず、彼は悠然と逆方向へ切り込んでいくのだった。

 ——ほら、


 僕のサッカーに懸ける思いは本物だ。それだけは確かなことだと自負している。

 時間停止ネメシスを身に付ける前から、誰よりも努力を続けてきた。プロになってからも同じだ。練習量だけは誰にも負けない自信がある。


 だからこそ、わかる。

 僕のサッカー選手としての実力は、プロの水準に達していない。

 練習量だけではどうにもならない、持って生まれたフィジカル、センス、戦術眼の差といったものがこの世界には厳然とあって、プロ達は僕には到底辿り着けない遥か上のレベルで戦っている。

 たまらなく悔しいけれど、それは認めざるを得ない現実だった。


 ゴール前の好機。

 僕は絶好のポジションで足元にボールを収めている。

 Jリーグ屈指の好ディフェンダーと名高い井荻選手も、日本代表の守護神を務めるゴールキーパーの山南選手も、時間停止ネメシスの前では全く無力だった。

 時を止めて、ゴールの方をじっくりと観察する。空いている右上隅方向にシュートを放てば終わりだ。時間の止まった世界にディフェンスのプレッシャーなんてない。あまりにも簡単だった。



 そこで、突然僕は全てがいやになった。



 ため息をついて、静止した世界の中、試合場を歩いて抜け出す。


 スタジアムを抜け、街中を歩き続けて、海へ。


 砂浜に腰を下ろして、目の前の景色を見る。

 波は、砕ける直前の形のまま止まっていた。

 海鳥は、翼を広げたまま空中で静止していた。 

 完全なる静寂の世界で、僕は一人きりだ。何かの罰のようでもあるし、そう思うことが僕の傲慢さの表れであるというような気もする。


 何度こんなことを続けるのだろう。

 僕が詐欺師の手管チートスキルを弄して活躍するその裏で、本来なら掴むべき夢を奪われた選手が何人もいるはずだ。そう考えるだけで、罪の意識に押し潰されそうになる。

 こんな能力は美しいサッカーの精神を侮辱している。サッカーを愛する世界中の人々の尊厳を踏みにじっている。だからこそ、僕はこの能力に世界の敵ネメシスという名を付けたのではなかったか。


 わかっている。

 わかっていたんだ。


 どれほどの間、僕は茫然と座り込んでいただろうか。

 ゆっくりと立ち上がり、歩き始める。

 

 向かう先は決まっていた。

 もちろん、試合の行われているスタジアムに戻るのだ。


 歩いてきた道をなぞって、スタジアムの中へ。  

 ピッチの核心、ボールの前へと僕は再び立つ。


 ——僕は時間停止を解除すると同時に大きく右足を振り抜いた。

 ゴールキーパーの反応は一瞬遅れて、放たれたボールはゴール右上隅に深々と突き刺さった。


 わかっている。

 わかっていたんだ。


 時間停止なんて能力があるなら、もっと他の立派な使い方はいくらでもあったはずだ。災害での人命救助とか、犯罪を止めるとか、あるいは能力のことを公表して科学者に調べてもらうとか。

 でも僕はそうせずに、この能力をサッカーに使うことを選んだ。その時点で、僕の向かう道は決まっていた。


 何度こんなことを続けるのだろう。


 僕はこれまでに何度も、試合中に時を止めてはピッチを抜け出し、満足するまで罪悪感めいた感傷に浸っては試合に戻るということを繰り返してきた。その度に、同じ結論に達するのだ。

 僕はこれからも、バレないように能力を使って、サッカー界の頂点に立つ。そうするしかない。孤独なペテン師として一生を終える覚悟は、既にできている。


 能力は能力。そこに善も悪もない。

 世界の敵ネメシスの名は、能力ではなくこの僕にこそ相応しい。


 世界を震わせるような喝采が、ゴールを決めた僕に降り注ぐ。僕は両手を広げて、全身でその甘美な感覚を堪能してしまう。

 栄光に身を灼かれながら、僕はこのまま時が止まってしまえば良いのにと考えている。(了)

 


 


 


 




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