【第9話】婉曲表現が多すぎて伝わらない──おっとりお嬢様の遠回しすぎる告白


 中庭のベンチで、俺は読書をしていた。


 昼休み。空は高く晴れ渡り、心地よい風がページをめくる。


「相沢さん……ご一緒、しても……よろしいでしょうか?」


 声をかけてきたのは、白百合女学園からの転入生──綾小路 瑠璃(あやのこうじ るり)さんだった。


 栗色のロングヘアを緩く巻き、膝下丈のスカートに品のあるブレザー。話し方も仕草も、まるで昭和の良家令嬢そのもの。


「あ、どうぞ。ここ空いてますよ」


「ありがとうございます。では、失礼して……」


 彼女は丁寧にスカートの裾を整えて腰掛け、かすかな香水の香りが風に乗って漂った。


「……相沢さんは、どんな方を、お好みなのでしょうか?」


 読んでいたページを閉じ、俺は少し首を傾げる。


「えっと、それは……どういう意味で?」


「たとえば、雨の日に傘を差し出してくれるような、気遣いのできる方……とか」


「あー、そういうタイプか。うん、気遣いができる人って、素敵だと思いますよ」


「まぁ……ふふ、良かった……です」


 瑠璃さんは胸元で手を組み、そっと微笑んだ。


 ──ん? 今の会話、ちょっと妙な流れじゃなかったか?


 だが彼女は話を続ける。


「相沢さんは、たとえば──そうですね。窓辺に置かれた白いバラのように、つい視線を奪われてしまうような方……なのかもしれませんね」


「えっ? お、俺が?」


「いえ……“例え”ですわ」


 絶対に例えじゃないやつだ。


 その後も彼女は、まるでポエムのような言葉で、俺を褒めているような、告白しているような、微妙な空気の発言を繰り返した。


「相沢さんの笑顔は……まるで、雨上がりに差す光のようです」


「え、あ、ありがとう……?」


「もし私が、道に迷った時……相沢さんの声が、道しるべになってくれる気がして……」


「ま、迷ってるのは俺のほうなんですけど……!」


 隣にいるのに、なぜか距離があるような、でも不思議と居心地がいい。


 そんな時間が過ぎていく。


 そして、昼休みが終わる直前。彼女はそっと立ち上がった。


「それでは、また。……相沢さん。今日も、素敵な午後をお過ごしくださいませ」


 静かに去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、俺はつぶやいた。


「……で、結局、あれは……何の話だったんだ……?」



 次の日の朝。


 登校途中の商店街で、俺は再び彼女と出くわした。


「……まあ、相沢さん。おはようございます」


「おはようございます、綾小路さん。こんなところで会うなんて」


「偶然……では、ないかもしれませんわ」


「え?」


「いえ、少し……この通学路、素敵だと聞きましたので」


 要するに“待ち伏せ”なのでは? と思ったが、そこはあえて聞かないことにした。


「そういえば、昨日の話……いろいろ考えちゃいました」


「まあ……それは嬉しゅうございます」


 彼女はにっこりと笑い、鞄の中から何かを取り出した。


 それは、一冊の小さなノートだった。


「……これは?」


「私の、好きな言葉を綴ったものです。“心の日記”とでも申しましょうか」


「これを……俺に?」


「はい。もしよろしければ、読んでいただいて……何か、感じていただけたなら、それで十分ですわ」


 ページをめくると、丁寧な文字でこんな詩が綴られていた。


『白いカップに注がれた紅茶の香り。

 あなたの声が、その香りに似ていました』


『放課後の陽だまりに、あなたの影が揺れました。

 ああ、春風が──心をくすぐります』


 これはもう、完全に“ラブポエム”なのでは。


「……あの、綾小路さん。これってつまり──」


「ご判断は、相沢さんにお任せいたしますわ」


 そう言って彼女は小さく頭を下げると、すっと背を向けて歩き出す。


 通り過ぎる風に、淡い香りがまたふわりと残った。


 まっすぐ告白するでもなく、遠回しすぎて逆に印象に残るそのアプローチ。


 俺はノートを抱えて、しばらくその場に立ち尽くしていた。


「……こういうのも、アリなのかもな」


 その日の放課後、鞄にそっとそのノートを入れた俺は、

 少しだけ、彼女のことが気になり始めていた。


 放課後。


 教室の窓際でノートを眺めていると、瑠璃さんが静かに声をかけてきた。


「……相沢さん。その……昨日の詩、読んでいただけましたか?」


「あ、うん。すごく丁寧に書かれてて……びっくりした。正直、詩って普段あんまり読まないけど……」


「お気に召しませんでしたか?」


「いや、そんなことない! むしろ“気持ち”が伝わってくる感じがして……。ああいう表現もアリなんだなって思ったよ」


 彼女の目が、ぱっと明るくなる。


「まぁ……嬉しゅうございます」


「でも、ちょっとだけ気になってたんだけどさ。もし“ストレートに言うとしたら”、あれは、どういう意味だったの?」


 俺の質問に、瑠璃さんは数秒の沈黙を置いて──目を伏せた。


「……それは、あまりにも、無粋ですわ」


「ご、ごめん」


 だが、彼女はすぐに顔を上げて、ふわりと笑った。


「ただ……“紅茶の香り”は、優しさの象徴。“陽だまり”は、温もり。“風”は、心を動かすもの……そういった意味合いを、込めましたの」


「じゃあ……俺に優しさや温もりを感じたってこと?」


「……はい」


 たった一言。でもその言葉が、心に残った。


「私は、自分の気持ちを、綺麗に丁寧に、少しずつ伝えたいのです」


「……それ、なんかすごく、瑠璃さんらしいね」


「それなら、光栄ですわ」


 ふいに彼女が一歩近づく。そして、手を胸元に当てながら、囁くように言った。


「──あなたのことを想う時間は、とても、穏やかで、あたたかいのです」


 言葉の意味は、もう間違いようがなかった。


 でも、それを「好き」と言わないのが、彼女らしい。


「……ありがとう」


 それしか、言えなかった。


 その日の帰り道、鞄の中にそっとしまわれた“詩ノート”を見つめながら──俺は心の中で、彼女の声を何度も思い返していた。

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