【第8話】ストレートすぎて伝わらない──陸上少女、再び告白(?)する件



 放課後、校舎裏のトラックに、いつもより多くの声が響いていた。


「──おっしゃー! 今日のラスト100m、全力でいくよー!」


 掛け声とともに駆け出したのは、陸上部のエース、朝比奈つかさ。


 彼女は学年トップクラスの俊足を誇るスポーツ少女。ショートカットで、汗を拭うしぐさすら爽やかに決まる、まさに“青春”の権化だった。


 なぜか、俺の目の前にその本人が立っていた。


「相沢、今日って……ヒマ?」


「え、まあヒマだけど……なんで?」


「──走って欲しい」


「は?」


「勝ったら、言いたいことがあるから!」


 そう言って、スタートラインに立った彼女は、いきなり腕を組んで気合を入れた。


「おいおい、俺の足じゃ勝てるわけ──」


「言い訳禁止! よーい、ドン!」


 俺が言い終わる前に、彼女はすでにゴールに向かって走り出していた。


「いやスタート合ってないって!」


 結局、俺は半分も走らないうちに追い抜かれ、ゴール地点で待ち構えていた彼女がニッコリと笑った。


「勝ったから、言うね」


「え、なんか理不尽だけど、はい」


 朝比奈つかさは、手に握ったスポーツドリンクを俺に差し出し、言った。


「相沢のこと、好き……っぽい気がする!」


「ぽい!?」


「いや、ほら、こういうのってさ、タイムとか距離みたいにハッキリ数値で出ないじゃん? だから、たぶん、好き、だと思う!」


 ……まさかの“曖昧自己申告”。


「でもさ、そーゆーのって、伝えることが大事なんでしょ? だったら、言うだけ言っといた方がいいと思って!」


「う、うん……そうだね」


「で、返事は!? YES? NO?」


「いや、まだ整理できてないというか……」


「だよね!! よし、じゃあまた来週、勝負しよ!」


「また走らされるのか……」


 満面の笑みで、爽やかに汗をぬぐう彼女を見ながら、俺はうっすらため息をついた。


 ──でも、なぜか、ちょっとだけ楽しみにしてる自分がいた。


 翌日もつかさは、俺を見つけるなり手を振って走ってきた。


「おーい相沢! 今日も一緒に走ろう!」


「え、毎日やるのこれ!?」


「うん! 告白ってさ、1回で伝わるとは限らないじゃん?」


「いや、普通は1回で伝える努力を……」


「だから! 毎日伝える努力してるんだけど!!」


 そう言って、俺にまたスポーツドリンクを差し出す。


「ちなみに今日は“中距離で勝負”ね!」


 俺はすでに運動着の準備もない状態で、どう考えても敗北は確定している。


「つかささ、俺と付き合いたいって感じなの?」


「んー……“勝ったら付き合ってくれるシステム”があるなら、それでもいいけど!」


「そんな制度、ないから!」


「じゃあ、毎日走って、相沢の“好きレベル”が1%ずつでも上がればいいなって思って!」


「成長RPGかよ……」


「そう!“恋愛RPG”!」


 やたら前向きなその笑顔を見ていると、否定する気も失せてくる。


「ちなみに、好きレベルって今何%くらいなの?」


「今日の時点で……18%くらい?」


「微妙すぎない!?」


「うるさいっ。明日には25%目指すから!」


 夕日が差す校庭で、つかさはまたも全力疾走していた。


 俺のことを見ながら、笑いながら、風を切って走る。


 言葉じゃ足りないから、走って伝える。


 ストレートで、まっすぐで、ちょっと不器用で。


 でも──そんな彼女の姿が、なぜか少し胸に残った。


 ……その日の夜、筋肉痛で動けなくなった俺は、布団の中でつぶやいた。


「……明日は、ストレッチから始めよう……」


 次の日の朝。


「おっはよー相沢っ!」


 げっそりした顔で登校した俺を、つかさが満面の笑みで迎える。


「……おはよう。全身、筋肉痛なんだけど」


「マジで!? でもそれ、青春の証じゃない? むしろ誇れ!」


「誇れって……いや、そもそも俺、陸上部じゃないし」


「いいのいいの! “恋愛トラック部”ってことで!」


「勝手に部活動作らないでくれる?」


 教室までの廊下で、つかさはずっと隣を歩いてきた。


「今日の放課後も、ちょっとだけ走ろうね。ストレッチしっかりしてから!」


「もうコーチじゃん……」


「じゃあ、マネージャーになろっかな。相沢専属の」


「いや、今のところ逆だよね。俺が走らされてるし」


「そういう関係性もアリってことで!」


 そのあとも、授業中に振り返ったら笑顔でウィンクされたり、昼休みに強引に一緒に食べたりと、つかさは終始テンション高めだった。


 でも、そのどれもが、どこかまっすぐで、子供みたいに純粋だった。


 放課後、案の定トラックに連れて行かれた俺は、軽いストレッチとジョギングだけで許された。


「今日は無理しないで。好きレベル上げるのは、長期戦だから!」


「戦略立ててるのすごいな……」


「あと、これあげる!」


 彼女が差し出してきたのは、小さなスニーカー型のキーホルダーだった。


「これ、うちの県大会記念のやつ。自分で買ったけど、相沢につけてほしくて」


「え、いいのか?」


「うん。私が走ってた証拠、相沢に持っててほしいの」


 夕暮れのトラック。汗と土の匂いの中で、つかさの瞳はどこまでもまっすぐだった。


「だから……ちゃんと覚えてて。私は今、相沢のこと、好きになろうとしてる最中だから」


「……今のところ、何%くらい?」


「うーん……33%!」


「増えてる!?」


「そりゃ、毎日会ってるもん!」


 笑いながら走り出すつかさを、俺はしばらく目で追っていた。


 ──いつの間にか、その姿を見るのが、日課になっていた。

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