Scene16:駒

チャイムが鳴っても、生徒の数はまばらだった。

欠席の理由すら、誰も話題にしない。

それどころか――「最初からいなかった」かのような空気が、教室を覆っていた。


「なあ翠。俺らって本当にいい仲間だな」

結人が笑いながら、隣に座る翠の肩を軽く叩く。

「このままずっと、3人でいようぜ」


「ああ」

一浩も、相槌を打つように頷いた。


翠はその笑顔に曖昧に微笑み返しながら、胸の奥がざらつくのを感じていた。


その時――

スマホが小さく震えた。


《Kaleido:今日のアイテム:銀の鍵》


画面を見つめる指先が、わずかに震える。


「……っ」

誰にも気づかれぬまま、教室の扉が開いた。


そこに立っていたのは、和真だった。

けれど――誰も、振り返らない。


「……っ……」


和真は、ゆっくりと自分の席へ歩いていく。

教科書を開き、静かに、何事もなかったかのように窓の外を見る。


(……いる。そこに、いるのに)

蓮の顔が青ざめる。


(あれは……あれ、本当に和真か? でも……おかしい……)


カーテンが揺れた。


その隙間から覗いた横顔は、まるで幻影のように色彩が淡く、存在の輪郭が曖昧だった。


翠が、和真を見つめる。

和真の唇が、無音で動いた。


「――おいで」


翠の足が、勝手に動いていた。


席を立ち、教室を出る。

和真が前を歩き、翠がその背中を追う。


ふたりのあいだに、言葉はない。

ただ、静寂が付きまとう。


(……大きい背中。……こんなにも、近くて、遠い)



静かな水面。

室内プールの天井から降り注ぐ照明が、水面に微かに揺れていた。


そこにいたのは――鳳城高人。


プールサイドのベンチに腰を下ろし、ジュースを飲みながら不敵に笑っていた。


「……ほんと、嫌になるよね。翠くん」

鳳城は、そう言って空を仰いだ。


和真は無言で、鳳城の背後へと回る。


「そんなに大事? それとも……」

鳳城は和真の胸元――心臓を指さした。

「……和真はね、僕の命令をなんでも聞くよ。どうする?」


翠は、無言でその様子を見つめていた。

(おい、翠……あいつが黒幕かよ……俺に命令してくれよ。噛みちぎってやる!)

蓮の声が、心の奥で叫ぶ。怒りと焦りに満ちていた。


鳳城はそれを見透かしたように、飲みかけのジュースを翠の足元に投げ捨てた。

足元で零れたジュースは、さっきの和真の血だまりと混ざるように滲んでいく。


そして――


鳳城がふと手を伸ばし、和真の胸元のシャツを掴んで――無造作に引き裂いた。


「……っ」


驚いた翠の視線の先、露わになった肌には、黒い羽根のような染みが浮かんでいた。

まるで、墨で描いた鴉の翼が、首元から心臓に向かって張りついているように。


次の瞬間、鳳城はポケットからナイフを取り出し、和真の手にそっと持たせた。

「……いいよ。やってみて」


和真は、何の迷いもなくその刃を――自分の胸元へと向けた。


シュッ。

ナイフが、皮膚に深く入り込む。真紅の血がゆっくりと滲んだ。


翠の目が、揺れた。


「おっと、そちらの子は――」

鳳城がにやりと笑ってこちらを見た。


「……かなり、いきり立ってるけど?」


俺は思わず息を呑む。

はっきりと“俺の方”を見ていた。翠の中の、俺に。


(……お前、見えてんのかよ……!)


「くく……だって、わかるよ。ねえ、僕も“普通”じゃないって、もう知ってるでしょ?」


(……こいつ、最初から……!)

胸の奥が煮えくり返る。


「お前!! 和真を返せっ!」


怒鳴り声は、翠の唇を借りずとも、空間に響き渡った気がした。

それほどまでに、俺の“魂”が騒いでいた。


その瞬間――ふっと視線がぶれる。

俺の右頬の印、鳥居の奥で光る眼がじっと蠢いていた。


鳳城がその気配を意識したように、少しだけ表情を引き締めた。


これはもう、ただの口約束や脅し合いの次元じゃない。


――盤上の駒が揃い始めてる。

そう、はっきりと分かった。

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