Scene10:林檎
――――ここは…? あぁ、夢のなかか。
隣から和真の寝息が聞こえてくる。
身体は疲弊しきっているのに、神経が高ぶってなかなか寝付けず、うとうとしていたのを覚えていた。
昔、和真とよく遊んだ公園に似ている。
そう、あのブランコでどちらが高く漕げるかを競ったよな。
ふふふ……あの頃の和真はよく泣くやつだったから。今の和真に見せてやりたい。
僕は辺りを見廻していた。
あそこの花壇。あんなに小さかったんだ。
僕と和真がよく、あそこのブロックに座って話したよな。
ふと、頭上を見上げると黒アゲハが優雅に羽ばたいて飛んでいた。
――――そっか、あの黒アゲハは助かったんだ。ほっと気持ちが綻んだ。
「おーい、翠」
声のほうを向くと、漣が笑顔でこちらに手を振っている。
――――本当なら、僕らは同じように成長できたはずなのに。
漣の無邪気な笑顔。けれど、少し寂しさを感じた。
その傍に立っていたのは、白い衣を纏った安倍晴明。
彼が僕の肩に手を掛ける。
「大丈夫。これからは私も、漣も、九尾も傍にいるよ」
優しい声。安心するような響き。けれど、その表情は見えない。
うん。僕は安心したように頷いた。
……けれど、その顔が次第に穏やかな仮面から、感情を剥いだ“能面”のように変わっていく。
「そろそろ……和真を解放してあげてもいいよね。
だって彼は、“弱い翠”を守るために傍にいたんだ。今の翠は、もう大丈夫だよ。
和真を自由にできるのは、翠だけだよ」
耳元に囁きかける声。
――ころん。
足元に、赤く艶やかな果実――林檎が転がってきた。
見覚えのないそれは、どこか妖しく、沈丁花の香を纏っていた。
その香りに誘われるように、指がふと伸びる。
触れた瞬間、かすかに指先が震えた。
「和真が可哀そうだとは思わない? 翠。」
その声に、はっと顔を上げる。
そこには千夜が立っていた――。
その姿は、静かに、けれど確実に僕の心の奥へと入り込もうとしていた。
―― 僕が、和真を“自由に”……?
―― 僕が、和真を“縛って”いた……?
傍にいることが当然だと思い込んでいたのは、他でもない、僕自身だった――。
血の気が、すうっと引いていくのを感じる。
林檎を握った手が、じっとりと汗ばむ。
千夜の声が、再び落ちてきた。
「ねぇ、翠。和真が……可哀そうだとは思わない?」
今度は至近距離で、僕の顔を覗き込む千夜。
その瞳は、曇りひとつなく澄んでいるのに、
その奥で、僕の心を裂こうとする鋭い意志が確かに見えた――。
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