Scene9:祠
どこを歩いているのか、僕にはわからなかった。
けれど、伝わってくる温かさで、和真がそばにいることだけは感じていた。
……眠い……
彼に支えられながら、どれくらい歩いただろうか。
雨はいつの間にか霧雨へと変わっていた。
目の前の水たまりの向こうに、ぼんやりと何かが立ち上っていた。
――霧、かな?
ふわふわと浮かんでいたそれは、僕が気づいたことを察したのか、
形を変えながらこちらへ向かってくる。
「うっ……」
僕は思わず頭を下げた。
それは僕らを包み込んだかと思えば、何事もなかったかのようにすり抜け、
背後へと通り過ぎていった。
和真は前を見据えたまま動かない。
見えているはずなのに、まるで気づいていないようだった。
そして――
僕と和真の前に、ひらひらと舞い戻ってきたのは、一匹の黒アゲハだった。
あのとき、漣が現れたときにも見た姿だ。
「……漣……?」
でも、漣はたしかに僕の中にいるはず。
じゃあ、この蝶は……?
黒アゲハは、僕と和真の前を行ったり来たりしながら、離れようとはしなかった。
「……ついて来いってこと?」
気がつけば僕は、和真の腕からそっと離れ、蝶の後を追っていた。
ゆっくりと、導かれるように。
薄暗い道を、静かに歩いていく。
霧の帳が揺れる中、目の前に突然、大きな石の鳥居が現れた。
僕は誘われるようにその下をくぐり抜け、さらに奥へと進んでいく。
進むにつれて、どこか甘い香りが鼻先をかすめた。
花の香り……だけど、明確に知っているはずの匂いなのに、名前が出てこない。
あたたかく、どこか切ないような、心を揺らす匂いだった。
ふと、足元が「コツン」と何かに当たった。
しゃがみこむと、そこには草に覆われた小さな祠があった。
黒アゲハが、ふわりと祠の屋根に舞い降りる。
それを合図にしたように、辺りの空気が一段階、ひんやりと変わった。
地面から立ち昇る霧は細く、白い指のように僕の足元をなぞっていく。
触れてはいないのに、祠の気配が体温をそっと奪っていくようだった。
その空間だけ、時間の流れがゆっくりとほどけているような感覚があった。
祠の中をのぞくと、苔むした石像のようなものが見えた。
誰か――何かが、そこに祀られている気配がした。
その瞬間、胸の奥がきゅっとなって、自然と僕の両手は胸の前で組まれていた。
……いつか、誰かと一緒にこうして祈った気がする。
手の重ね方まで、なぜか身体が覚えている。
まるで、それが当然であるかのように。
祈りの姿勢は、僕の意思を超えていた。
僕のすぐ近くで、黒アゲハの羽が静かに揺れる。
……ここは、何かが始まった場所なのかもしれない。
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