《第一章》第五節:遠足の朝と、少しの異変
いよいよ、約束の週末がやってきた。
資料館への「遠足」の日だ。
朝から、桃はいつも以上にソワソワしていた。
桃は俺を肩に乗せ、アパートを出て数件先の職場へ向かう。
真司は、すでにエントランスで待っていた。
「おはようございます、真司さん!」
桃は、いつもの何倍も明るい声で挨拶をした。
その声は、まるで春の陽光のように、俺の羽毛をくすぐる。
真司もまた、少しはにかんだような笑顔で桃を迎える。
彼は、普段の仕事着とは違い、カジュアルな服装だった。
それでも、どこか真面目な雰囲気が漂っているのは、彼ならではだろう。
二人の間には、いつもとは違う、どこかぎこちなくも甘い空気が漂っていた。
「おはようございます、桃さん。モモスケも、おはよう」
真司は、そう言って俺にまで軽く頭を下げた。
俺は、彼らの会話を耳で追う。
そして、二人の表情を、瞬きもせずに観察した。
彼らは、少し離れた駅まで歩いて向かうらしい。
俺は桃の肩の上で、揺れる景色を眺める。
真司は、桃の少し後ろを歩く。
その距離は、絶妙だった。
近づきすぎず、離れすぎず。
まるで、二人の心の距離を表しているかのようだ。
道中、桃はひっきりなしに真司に話しかけていた。
今日の天気のこと、資料館の展示のこと、お昼ご飯のこと……。
真司は、相槌を打ちながら、時折、桃の顔をちらりと見ては、すぐに視線を逸らす。
彼は、桃の視線に触れるたび、耳を赤く染めている。
全く、分かりやすい男だ。
だが、その反応が、桃にとっては可愛らしいのかもしれない。
駅に着き、電車に乗る。
休日ということもあり、車内はそこそこ混んでいた。
二人は並んで座ることができたが、その間には、わずかな隙間があった。
それでも、お互いの膝が触れそうになるたびに、二人は小さく身動ぎする。
その些細な動きすらも、俺には面白くて仕方がない。
電車が動き出すと、桃は持っていたバッグから、小さな紙包みを取り出した。
「真司さん、これ、お弁当。あのね、ちょっと早起きして作ってみたの。資料館の近くに公園があるみたいだから、そこで食べない?」
桃は、少し照れくさそうに、でもどこか誇らしげに、真司に包みを差し出した。
真司は、驚いたように目を見開いた。
彼の顔は、あっという間に真っ赤になる。
「え、お弁当……!? 桃さんが作ってくださったんですか!?」
真司の声は、普段の落ち着いたトーンを完全に失い、少し上ずっていた。
彼は、まるで宝物を受け取るかのように、両手で丁寧に包みを受け取った。
その瞬間、俺は真司の瞳に、明らかに「大好き」という感情が溢れているのを見た。
彼の口角は、普段よりもずっと上がっている。
「うん! 実は、昨日、従業員のみんなが『お昼、どこか美味しいお店調べておくといいですよ!』って言うから、ふと、お弁当作ったらどうかなって思って。どうかな、美味しいといいんだけど……」
桃は、そう言いながら、少しだけ俯いた。
その仕草は、普段の社長としての桃とは全く違う、純粋で可愛らしい乙女のそれだった。
真司は、手元のお弁当をじっと見つめている。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「桃さん、ありがとうございます。す、すごく……嬉しいです」
彼の声は、控えめだったが、その言葉には、今まで聞いたことがないほどの感情が込められていた。
そして、その時、真司が桃の目を見つめた。
いつもならすぐに逸らしてしまう視線が、今回は、ほんの数秒、確かに桃の瞳と絡み合った。
桃の頬も、一瞬にして林檎のように真っ赤になる。
普段は口下手な真司が、桃からの手作り弁当というサプライズによって、少しだけ、いや、大きく感情を揺さぶられたようだ。
そして、桃もまた、真司の素直な「嬉しい」という言葉に、心を動かされたのだろう。
この小さな異変が、彼らの関係にどんな影響を与えるのか。
俺のひねくれた純愛観察日記は、ますます面白くなってきた。
遠足は、まだ始まったばかりだ。
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