第27話:惨めな自分 side天ノ衣



 放課後になり、いつもの空き教室であいつが来るのを待っている。日直だったからちょっと遅くなるかもしれない。


『今日お願い』


 今朝送ったメッセージにはすぐに『分かった』と返ってきた。


 それだけ? と呆れながらそれはそれであいつらしいとも思う。


 スタンプも絵文字も何もないのは味気ないけど、付いていたら付いていたであいつの気持ちを邪推してしまいそうだから良かったかもしれない。


 なんて考える必要のないことが頭を過ったのは間違いなく蒼葉のせい。思わず溜息を吐く。


 ギリギリの朝を超えた金曜日から一週間経った。


 抱きしめてもらうのは明日でも問題なさそうだけど、もしまた前回みたいになったらあいつに悪い。ただでさえ迷惑かけているのに、また余計に面倒な状況を作るのは避けたいし。


 あの後、もちろん何事もなく一日を終えた……なんてことはなく一時間目が終わるとすぐにあたしもあいつもみんなから色々聞かれた。


 付き合っているのかはもちろん、仲良かったのとか、どんな関係なの、とか何度も。


 結局、その前日に油断して冴えない格好で出かけていた所を見られて恥ずかしかったから口止めしただけ、みたいに誤魔化した。


 何人が信じてくれたのかは分からないけど、質問攻めは一日で収集したし、今のところあたしとあいつがやったことに関して誰からも言及されていないから見られずに済んだと思って良さそう。


 それにしても思い出すとまたちょっと落ち着かなくなる。必要だったとはいえここ一ヶ月で三回もキスしちゃった。付き合ってもいないのに。好きでもないのに。


 ……ダメだ。また変に意識しそうになってる。蒼葉のせいよ、全く。


 というかあいつ、まだ来ないの?

 日直なのはいいとしても流石にちょっと遅くない?


 落ち着かなくなってきてラインを確認しても特にメッセージは来ていない。『分かった』という簡素な返事を最後に音沙汰はない。


 こっちから何か送ってみる?


 でも日直で何かやっているなら見られないだろうし送っても無駄か。


 まぁ来ないなんてことはないだろうから大丈夫だと思うけど……やっぱ落ち着かない。


 別に楽しみにしているとかそういうわけじゃないし、待ち遠しいとかでもない。

 ただ待ってるだけってなんとなく居心地悪いから早く来て欲しいって思っただけで。


 こんな気持ちになるなんて恥ずかしいし、なんとなくムカつく。


 あいつが来たらちょっと嫌味ったらしく言ってやろう。


 なんて考えている間も治らないむず痒さを紛らわせたくてSNSを眺めていると、ガラッとドアが開く音が聞こえた。


「やっと来た。遅いじゃ……アンタ誰?」


 立ち上がって視線を向けると、あいつじゃなくて見知らぬ男子生徒が笑みを浮かべて立っていた。細身で背はあまり高くなくどこにでもいそうな顔をしている。


 特徴といえばメガネをかけていることくらい。


 何なのこいつ?


 もちろんあたしは呼んでない。知らない生徒だし。ならあいつが声をかけたかというと、そんなこともないだろう。断りもなく第三者にあたしのことを話すとは思えない。


 もしかして空き教室を探してるとか?


 だとしてもあたしがいるんだから入っては来ないわよね、普通。

 というか、黙ってこっちを見つめたまま固まるのやめてよ。なんか怖いから。


 それに……変な感じがする。この粘っこい笑い方は悪い意味で見覚えがある。寒気がしてきて背筋が震えそうになる。


「……あたし、今ここ使ってるんだけど」


 沈黙から漂ってくる嫌な予感を振り切りたくてあたしから切り出した。


 狙いは分からない。けど早く突き放して帰らせたい。そうした方がいい気がする。


 するとこいつは笑ったまま確認するように問いかけてきた。


「心羽を待ってんの?」


「……あんたには関係ないでしょ」


 確信めいたように言われた。こいつはあたしとあいつを完全に結びつけている。

 先週の噂のせい? 


 頭を巡らせながら探るように問いかけると「そうなんだろ?」やっぱり確信したように歩み寄ってきた男子は三メートルほど前で立ち止まった。


 怯えを悟られないように出来るだけ強く、刺々しく言葉を放つ。


「あたしに何か用があるわけ? だったら今度にして。あたしも暇じゃないから」


「心羽と付き合ってんの?」


「……はぁ?」


 突然の質問に困惑する。


 というかあたしの質問には答えないくせになんでそんなこと聞いてくるわけ?

 やっぱ月曜の噂が他クラス広まっているってこと?


 まぁあたしとあいつだってこと考えると噂がクラスを越えて広がってもそんなに不思議じゃないか。


 でも、だったらなんだというの。付き合っていたとしてもそうじゃなかったとしてもこいつには関係ないし。


「あいつとは別に付き合ってないわ。そんなこと聞くために来たの? だったらもう帰って。あんたと話す事なんてないんだけど」


 突き放すように言うと「だよな」男子生徒は粘っこい笑みをさらにグニャリと歪めた。


 足の先から鳥肌が身体を駆け上がっていった。嫌な動悸が心臓を打ち始める。


 やっぱヤバい。絶対こいつヤバい。記憶が、本能がそう告げている。こんな歪んだ笑い方する奴にろくな奴はいない。


 逃げた方がいいと告げてくる身体に対して出来たことは後ずさることだけ。


 教室を飛び出して逃げることはあたしにはできない。走れないからこいつの横をすり抜けることも振り切ることもできない。もし掴まれたら振り解くだけの力もあたしにはない。ただ同じ室内にいるというだけで、あたしは簡単に追い詰められてしまう。


 一体、何に対する『だよな』なわけ? 何がそんなに嬉しいの?

 もしかしてあたしに告白しようとしてる?


 それなら嬉しそうに笑う意味は分かる。


 でも、だったら絶対断るわ。こんな何考えているのか分からないヤバい奴、あたしは無理だ。


 頼むからもう帰って欲しい。ただ付き合っているかどうかを確認しに来ただけであって欲しい。そんなことはないんだろうけど、そうなってほしい。


 そんな願いも虚しく、男子生徒は引き返すことはせず代わりに口を開いた。


「胸、触らせてくれよ」


「…………は?」


 脈絡がなさ過ぎて自分の耳とこいつの正気を疑った。


「……あんた、自分が何言ってるのか分かってんの?」


「もちろん」


 男子生徒はさも当然のように、過ぎるほどに潔く頷いた。


「ならあたしが簡単に触らせるわけないことくらい、分かるわよね?」


「ならなんで心羽には触らせてんの?」


「…………」


 ヒヤリとしたものが肝に張り付いて芯から冷やされていく。


 こいつ、知っているの……? もしかして見られていたわけ?


 確かにあの時、お互いに動揺していて周りをちゃんと見てはいなかった。けど触らせていたのは少しの間だけだったし、教室の外に誰かいたなら流石に気付けたはず。


 だからまだ鎌をかけられているだけの可能性もゼロじゃない。先週の噂に尾ひれがついて出回っていてそれを信じているだけ、とか。


 極力顔に出さないように済まして言い返す。


「そんなことするわけないじゃない。あたしは自分の身体を安売りなんかしないし」


「へぇ、ならこれは何?」


 震えそうになる声をなんとか張って言うと、目の前の男子生徒はスマホを操作して一枚の写真をあたしに向けてきた。


 それを見て言葉を失う。頭が真っ白になった。


 木を被写体にされたであろう写真の右半分にこの教室が、そしてその中に小さくあたしと向かい合ったあいつが手を伸ばして胸に触れている姿が写っている。


 窓の方から斜めに写っていて、よく見るとあたしの下着も色も辛うじて分かる。


「俺、写真部なんだけどさ、後輩向けの撮影の練習ってことで校内を撮って回ったんだよ。その時たまたま撮れたみたいでさ」


 色んな意味でよく撮れてるだろ、と笑ってきた。


 まずい。なんで。どうして。


 後悔と焦燥に押された疑問で頭がいっぱいになる。


「撮った時は気付かなかったから後で見返した時に見つけてビックリしたよ、こんなのが写っていたなんてな。でもまさかイケメンとか持て囃されて浮かれてる心羽と彼氏持ちビッチの天ノ衣がこんな関係だなんて思わなかった。羨ましいよ、本当にさ」


 あいつもあたしもそんなんじゃない。何も知らない奴が何言ってんのよ。


 そう思いながらも強く言い返すこともできず、ただ睨み返すしかない。


 意にも介さないようにこいつはスマホの画像をスライドして二枚目を表示した。


 さっきの画像のあたしを拡大したものだった。上手く加工しているのか、拡大されている割には鮮明だった。写っているあたしの顔から腰のあたりまでハッキリと見える。


「安心しろよ、まだ誰にも言ってないから。自分で使うだけで我慢してたんだよ」


 今までは。

 やけに粘っこく強調するように付け加えられた。


 嫌な予感が的中した。こいつはあたしを脅しに来た。中学の時のあいつらと同種だ。

 伸ばされた手で乱暴に腕を掴まれる。記憶から生まれたそんな錯覚が身体を這っていく。


 冷や汗と動悸が止まらなくなる。


 怖い。逃げたい。助けて欲しい。

 どうしてこうなるわけ……?


「でもやっぱり我慢できなくなったんだ」


 目の前のこいつは酔っているみたいに楽しそうに続けた。 


「そりゃそうだよ、毎日すぐ近くを現物が通ってんだ、俺だって触りたくなるに決まってる。当然のことだよな」


「……だから触らせろって? ば、ばかじゃないの? 好きでも付き合ってもないあんたなんかに触らせるわけないじゃない」


「付き合ってもない心羽には触らせるくせに?」


「…………」


 だからこのタイミングで来たのか。あたし達が付き合ってないって公言した後だから。


 付き合っているかどうか確認してきた時にやけに嬉しそうに笑ったのは、勘違いながら確信したからだろう。あたしが付き合ってない奴に胸を触らせるような安い奴だって。


「あ、あたしだって相手は選ぶわよ。少なくとも信用できる奴じゃなきゃ触らせたくないわ。あいつは……そのこと誰にも言ってないし、写真ちらつかせて脅してくるあんたよりはよっぽど信用できるから」


「心羽だって天ノ衣を独占したいだけだろ。だから言ってないんだよ、誰にもな」


「そんなことない! あんたにあいつの何が分かるわけ!?」


「…………」


 つい声が大きくなった。こいつは驚いたように目を丸くして不機嫌そうに溜息を吐いた。


「……ちっ、俺だって誰にも言ってねぇのに信用されないんだな。やっぱ顔かよ。まぁこの際別に俺が信用されてるされてないなんてどっちでもいいんだよ。触らせてくれれば」


「……絶対嫌よ」


「ふぅん、ならこの写真、試しに先生に見せてみようか? この学校、素行不良には相当厳しいからな。天ノ衣も心羽も停学は確実、下手すりゃ退学だろうな」


「そ、それは……」


 ニヤニヤとされて言葉に詰まった。俯いて奥歯を噛みしめる。


 あたしだけならまだいい。家族には悪いけどあたしが勝手にばかなミスをして退学になるなら仕方ないってまだ割り切れる。


 でもあいつは違う。あいつはあたしが巻き込んじゃっただけで何一つ悪くない。あいつがあたしのせいで退学になるなんて絶対にあっちゃいけない。


 なんで、どうしてあたしはこんなことしかできないの? 迷惑をかけることしかできないの?


 いや、これは迷惑をかけるとかそんなレベルじゃない。この前とは、今までとは訳が違う。高校中退なんてこの先の人生にも関わるようなもっと酷い問題だ。このままだとそれをあいつに押し付けることになってしまう。


 そんなことしたくない。しちゃいけない。あいつにもう、迷惑はかけたくない。


 あたしがあいつを守らなきゃいけない。


 でも、そのためには――。


「いつまでも焦らされるの好きじゃないんだよね、俺。できれば早く決めて欲しいんだけど、どうする?」


 やけに軽々とした口調だった。あたしが言葉に詰まった瞬間には、きっとこいつは答えを悟ったんだろう。


 選択肢をチラつかせながら、実際選ぶ余地は提示しない。

 そんな嗜虐的な笑みがあたしを向いている。


 いや。絶対に嫌。触らせたくないし触られたくない。


「…………った」


 だとしてもこいつの考えは正しい。


 あたしに選択肢はない。


 身体が震え出す。恐怖なのか怒りなのか分からない。でもどうしようもなく震えて声も視界も揺らぎ始めた。


「なんだって?」


「……分かったって言ったの」


 ボヤける視界の中に勝ち誇ったような歪んだ笑みが映った。


 悪いのはこんな状況を作ったあたしで、あいつを巻き添えにするわけにはいかない。


「触らせて、あげるから……お願いだから誰にも言わないで」


 そう絞り出した。それしかできなかった。


 あいつを守るためにはこれしかない。これ以外、今のあたしがあいつにしてあげられることはない。こうなったのは全部、あたしが悪いんだから。


「じゃあ脱いで」


「は、はぁ? なんでそんなこと――」


「心羽にはそうしたんでしょ? なら俺にもそうしてくれてもいいんじゃないか?」


「…………」


 スマホをちらつかせながら言ってきた。


 つくづく最低なやつだ。


 でもやっぱり従う以外の選択肢はない。あたしにはこんなことくらいしか出来ないから。

 悔しさを噛み殺して目の前のこいつを睨み付けながら震える指をカーディガンのボタンにかけた。


 やっぱりあいつは良い奴だった。あたしにとっては貴重な奴だったんだ。あいつだから良くて、あいつじゃなきゃダメだったんだ。


 そしてあたしはそんなあいつの優しさに付け込んでいただけの無力な奴なんだ。

 その実感が強く沸いてきた。走馬灯ではないけど、それに近いやつかもしれない。


 悔しい。恥ずかしい。悲しい。苛立つ。屈辱が膨れ上がって諦念に呑まれる。


 これであいつを守れるなら仕方ない。何もかも受け入れるしかない。


 そう腹を括りたいのに、誰か助けてと心の中で祈ってしまう。お願いだから、ヒーローみたいな人が来てくれないか、なんて笑っちゃうくらい人任せの希望を捨てられずにいる。


 結局あたしは弱くて惨めな可哀想な奴なんだ。


 そんな悲観を吹き飛ばすように、バンッ! っと爆発みたいな音がして。


「そんなことしないでよ、天ノ衣さん」


 あいつの声が聞こえた。


 見たこともないような顔をしていた。


 こんな状況にも関わらず、ドキッと強く、鼓動が跳ねた。



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