第28話:惨めな自分 side心羽
職員室を出た僕は小走りで教室に戻って鞄を回収すると、すぐにいつもの空き教室に向かった。
当番日誌を提出しに行っただけなのに遅くなってしまった。
中間テストが迫ってきていることもあり、職員室内にパーテーションを立てる手伝いをさせられたせいだ。
というのも、この学校の職員室には授業で分からない場所を質問したりその他進路などを相談したりする用のコーナーがある。コーナーといっても六人掛けの机がいくつか並んでいるだけで壁や仕切りはない。
だからテスト期間に入る直前、問題を作る先生達の机、パソコンを見えなくするように質問コーナーとの間にパーテーションを設置する必要があるのだ。
丁度そのタイミングで職員室に入った僕は折角だしと頼まれて手伝うことになってしまった。
それをようやく終えて、少し焦りつつ急いで天ノ衣さんの元へと向かう。
遅れる旨を連絡を出来れば良かったけどスマホの使用が禁止されている校内の、しかも職員室なんて場所で堂々と使うわけにはいかなかった。
だから連絡の一つも出来ないまま遅れちゃっているわけだけど……絶対怒っているよね、うん。事情を話せば許してくれるだろうけど、一言二言小言を言われるのは間違いない。
教室に戻った時点でごめん、と送ったけどすぐに既読は付かなかった。
この前みたいに危ない状況になっていないかということだけちょっと不安だ。
まあ、またあんな風にならないために連絡先を交換したわけだし、連絡が来ていないという事はそうなっていないと思っていいはず。
いくら恥ずかしがり屋の天ノ衣さんといっても変に意地を張って連絡してこないってことはないだろうし。
その点では安心できるけど、それでも向かう足は自然と速くなっていく。
そして特別館の一階にたどり着き、いつもの教室のドアに手をかけようとした時。
『心羽を待ってんの?』
天ノ衣さんと向き合う男子生徒の後ろ姿が目に入るのと同時にそんな声が聞こえた。
ドキッとして思わずドアに伸ばした手を引っ込めて、しゃがんで隠れた。
えっ、誰? 向こうを向いていたせいで顔は見えなかった。
天ノ衣さんと何をしているんだろう?
告白しようとしている?
それとも、僕を待ちきれなくなった天ノ衣さんが他の人を呼び出して代わりにやらせようとしているとか?
その可能性はゼロじゃないかもしれない。命綱なんて何本あったっていいんだから、僕以外の人にも話を持ちかけているってこともあり得る。
むしろ天ノ衣さんにとってはその方が良いに決まっている。命に関わることなんだから保険をたくさん用意しているのは当たり前と言えば当たり前だ。
でもそれは……なんかモヤモヤする。
理にかなっていることだと頭では分かっているけど、僕の他に天ノ衣さんをドキドキさせている人がいるのはなんだか悔しい。
って、悔しい? なんで?
その方が天ノ衣さんが救われる可能性が高くなるんだから歓迎するべき事のはずだ。
なのにどうして僕はちょっとガッカリしているんだろう。
……いや待て。本当に?
本当に天ノ衣さんは僕以外に頼んでいるの?
今までの天ノ衣さんの話から、そして天ノ衣さんの性格からして違和感がある。
僕に話をする事にも凄く慎重になっていたみたいだし、少女漫画に憧れるほど純真な天ノ衣さんが抱きしめたりキスするような事を複数人に頼むとは思えない。
何より、アンタだから良い、と言ってくれたその言葉を嘘だと思いたくない。
じゃあ今目の前で行われているこれは一体何だ?
気になって、もしかしたら悪いかもしれないけど少しだけドアを開けて中を覗き込む。
所々聞こえづらいけどある程度会話は聞こえてきた。
『あいつとは別に付き合ってないわ。そんなこと聞くために来たの? だったらもう帰って。あんたと話す事なんてないんだけど』
丁度聞こえた天ノ衣さんの言葉は不自然に刺々しかった。
それになんだか怯えているように見える。
もしこれが単なる告白だったとしたらこんな風にはならないはずだ。
一体天ノ衣さん達は何をしている? この男子は誰?
疑問ばかりが膨らむ中、いきなりとんでもないことが聞こえた。
『胸、触らせてよ』
『…………は?』
……はっ?
思わず漏れた僕の声と天ノ衣さんの声が重なった。声こそ大きくなかったものの、慌てて自分の口を手で塞ぐ。今いるのがバレるのは不味い気がする。
でもなんでこの男子は急にそんな馬鹿なことを?
普通に考えてはいそうですか、とはならないでしょ。
天ノ衣さんも同じ事を思ったらしい。断ると男子は天ノ衣さんに詰め寄った。
『ならなんで心羽には触らせてんの?』
その言葉に僕も天ノ衣さんも硬直する。
なんでそれを知っているの……!?
まさかアレを見られてたってこと?
でもだからってそれで触らせろ、だなんて無理がありすぎる。
素直にはい分かりました、なんて天ノ衣さんが言うわけないし、そもそもそんなお願いをする神経が分からない。
そう思っていたけど事態はもっと深刻だった。
天ノ衣さんは男子からスマホの画面を見せられた瞬間、顔を真っ青にした。
『俺、写真部なんだけどさ、後輩向けの撮影の練習ってことで校内を撮って回っていた時、たまたま撮れたんだよ、これ』
聞こえてきた言葉で理解した。見せられている写真はあの日、僕が天ノ衣さんの胸を触った時のもので、天ノ衣さんはそれをネタに脅されそうになっている。そういうことだろう。
まずい。このままじゃまずすぎる。
学校に見せるとか言われたら僕も天ノ衣さんもどんな処分を受ける事になるか分からない。校内で異性不純交遊に該当するような行為をしたとなると良くて停学、最悪退学だろう。そんなことにはなりたくないし、天ノ衣さんを退学になんてさせたくない。
でも、今出て行ったところで弱みを握られているのは僕も同じ以上、二人仲良く一緒に脅されることになる。そんなの何もできないのと変わらない。むしろ状況が悪くなるだけだ。
ならどうすればいい? どうすれば止められる?
クソッ、ダメだ。天ノ衣さんを助けたいのに何も思い浮かばない。
『安心してよまだ誰にも言ってないから。自分で使うだけで我慢してたんだよ、今までは』
言っていないのはそっち都合だろう。勝手にそれで満足していただけだろう。
それをさも天ノ衣さんのために言っていないんだ、なんて言い方で脅しの材料にするなんて……。
……脅しの材料?
あっけない程簡単に打開策が思い浮かんだ。
僕は馬鹿か。この状況だからできることが、抑止力を手に入れる方法が目の前にあるじゃないか。気持ちの良い方法じゃないし単純なやり方だけど、それでも効果はある……はず。
そのために、天ノ衣さんにはもう少しだけ我慢してもらうことになるけど許して欲しい。
すぐにスマホを操作して中の会話に耳を傾ける。
『でもやっぱり我慢できなくなってきたんだ。そりゃそうだよ、毎日すぐ近くを現物が通ってんだ、俺だって触りたくなるに決まってる。当然のことだよな』
そんな風に天ノ衣さんを見ているという事に腹が立つ。僕だってあの後はしばらく変に意識だってしたし、悶々としていたから全く気持ちが分からないとは言わない。
けど天ノ衣さんは天ノ衣さんであって胸じゃない。そういうことをなんでも受け入れるようなビッチでも痴女でもない。天ノ衣さんはただのか弱い女の子でしかない。
そんな天ノ衣さんを自分の欲のために利用しようだなんて許せない。
…………けど、それは僕も同じなんじゃないか?
ふと心の隅にいた冷静な僕がそう問いかけてきた。
頼られている事に喜びを感じているから、役得みたいな状況だからやっているだけじゃんじゃないか。天ノ衣さんのために、とか大義名分を掲げながら本当は欲に流されて天ノ衣さんを利用しているだけなんじゃないか。
そんな自分の中に渦巻いている疚しい気持ちを冷めた目で見ている自分がいる。
だからこの間、助けたいと強く思った時に違和感を覚えたのかもしれない。
なら本心はどっちなんだろう。僕は一体どんな気持ちで天ノ衣さんと向き合っているんだろう。助けたいという気持ちは嘘なのだろうか。
『心羽だって天ノ衣を独占したいだけだろ。だから言ってないんだよ、誰にもな』
『そんなことない! あんたにあいつの何が分かるわけ!?』
そのハッキリとした物言いに胸がじんとした。
否定してくれて嬉しさが込み上げてくる。
同時に違和感が強くなっていく。
天ノ衣さんの信頼が嬉しいはずのに何故だか少し虚しかった。
くすぐったくてもどかしくて、違うんだと言いたくなる。
どうしてだろう。どうして僕すら、天ノ衣さんを否定したくなっているんだろう。
『ふぅん、ならこの写真、試しに先生に見せてみようか? この学校、素行不良には相当厳しいからな。天ノ衣も心羽も停学は確実、下手すりゃ退学だろうな』
『そ、それは……』
明確な脅しの言葉が放たれて天ノ衣さんは俯いた。
きっと今、天ノ衣さんはドキドキしている。相当なストレスを抱えて、恐怖でずっとドキドキしている。
許せない。どうしようもなく、無性に。そんな風にドキドキして欲しくない。
意味合いは違っても、こんな奴にドキドキさせられているなんて、嫌だ。
奥歯を噛みしめながら込み上げた身勝手な怒りを溜息にして吐き出した。
そして…………。
…………そうか。分かった。
唐突に違和感が霧散した。
思わず乾いた笑いが吐息となってこぼれる。
なんだ、単純な話だったんだ。
「さっきは否定してくれてありがとう、天ノ衣さん」
聞こえないように呟いた。
でもこいつの言うとおりなんだ。
僕は天ノ衣さんを独り占めしたいんだ。天ノ衣さんに頼られるのは、必要とされるのは僕だけでありたい。天ノ衣さんをドキドキさせるのは僕だからできると、僕にしかできないことなんだと、僕だけがやれることなんだと信じていたい。
顔以外何の取り柄もない僕にもできることがあるんだと信じていたいから、続けていたいから他の誰にも天ノ衣さんをドキドキさせてほしくない。できないでいて欲しい。
もちろん天ノ衣さんに好きな人ができて、その人がこの役割を受け継ぐなら僕は身を引く。けどそれまでは僕だけがそうしたい。
だから誰にも、他の男子には天ノ衣さんに触れて欲しくないと、きっと心のどこかで思っている。本当の天ノ衣さんを、天ノ衣さんの可愛さを他の誰にも知って欲しくないとさえ、思っている。
特に脅してまで触れようとしているこいつには、何があっても。
だから、僕は天ノ衣さんを助けたいだけじゃない。この醜くて浅ましい独占欲が助けたいという気持ちと癒着して守りたいって気持ちになっているんだ。この汚い気持ちこそが紛れもない僕の本心なんだ。
気付けばあまりにも単純で悲しくなるくらい惨めな感情だ。最低な気持ちかもしれない。
けどそれで天ノ衣さんが助けられるのなら構わないと都合良く思う。
『触らせてあげるから、お願いだから誰にも言わないで』
絞り出すような鼻声が聞こえた。
もう十分だ。準備は整った。スマホを操作してポケットにしまう。
天ノ衣さんのために、そして何より自分自身のために助ける準備はできた。
あんなこと言わせて、我慢させてごめんね、天ノ衣さん。
心の中で謝りながらドアに手をかけるのと、天ノ衣さんが震わせた指先をカーディガンのボタンにかけるのはほとんど同時だった。脅されるままに脱ごうとしているんだろう。
そんなことはさせない。
僕は怒りにまかせてドアを開いた。
「そんなことしないでよ、天ノ衣さん」
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