【10】紀藤宗也の独白(3)

あれからまた一度、出張先のホテルに<廉井徳夫やすいとくお>から伝言メッセージが届いたのです。

内容は同じ、『そろそろ思い出してよ』というものでした。

フロントでメッセージを受け取った時、私は咄嗟に嫌な予感がして中身を見ずにチェックインを済ませました。

見れば思わず、叫び声を上げてしまうと思ったからです。


ホテルの部屋に入ってそのメッセージを目にした瞬間、私は恐怖で声を失くしてしまいました。

<廉井徳夫>はどうして私の行く場所を知っているのでしょう。

私に何を思い出せと言っているのでしょう。


それ以来<廉井徳夫>のことが、益々気になって仕方がありません。

私の中で、日に日にその気持ちは強さを増してきています。

そのせいで仕事に身が入らず、最近ミスが多いのです。

上司から叱責されることも、更に増えてきました。


このままではいけないと思うのですが、どうしても<廉井徳夫>のことが頭から離れないのです。

焦燥した私が神戸日日新聞の五十嵐慎哉いがらししんやさんに連絡を取って見ると、「まだ調査中です」という、申し訳なさげな答えが返って来ただけでした。

それ以上は何も訊けず、「よろしくお願いします」と言って電話を切るしかありませんでした。

そして私はまた、中学生時代の記憶を拾い集める作業に没入して行ったのです。


<廉井徳夫>が花山沙織はなやまさおりさんを、自殺に見せかけて殺害したということは、既に私の中で確信に変わっています。

そして<廉井徳夫>はそれ以来、学校からいなくなった筈なのです。

五十嵐さんに預けたあの写真の中の一人が、そうなのです。

それで間違いない筈なのです。


しかしあの頃のことを思い出そうとすればする程、私の記憶に齟齬が生まれ、混乱が増して来ているのです。

それは花山さんの事件があって、<廉井徳夫>が学校からいなくなった後にも、彼の名を耳にしたという記憶が私の中で蘇ってきたからなのです。


その記憶は、中学生時代に起きた別の事件の記憶と同時に、私の中で喚起されたのでした。

そして私はまた、その頃の記憶を一つずつ探る作業に没入し始めたのです。

このままでは、また仕事に支障を来すと思いながらも、どうしてもその作業を止めることが出来ないのです。


このままでは、私の生活が破綻してしまうかも知れません。

それでも止められないのです。


私が通っていた神戸市立東中学校は、比較的校風が緩やかで、校則もそれ程厳しくなかったので、生徒たちの多くが伸び伸びとした学生生活を送っていました。

多分当時の校長先生が、生徒を校則でがんじがらめにすることを嫌っていたためだと思います。


私が中学に通っていた当時、神戸市の市立中学には給食制度がなく、自宅から弁当を持参しない生徒は、学校の売店や付近のコンビニなどで昼食を買うのが普通でした。

学校外で昼食を買うことも、当時は認められていたのです。


母と祖父母を亡くして、父と二人暮らしだった私は、いつもお昼を買って食べていました。

父は当時、中学の教師をしていたので仕事が忙しく、とても私の弁当を作ることまで手が回っていませんでした。

父はそのことをいつも申し訳なさそうにしていましたが、私は仕方がないことだと思っていたのです。


花山さんの事件があってざわついていた学校の雰囲気も、時間の経過とともに徐々に静まっていき、私たちは中学で初めての体育祭を迎えました。

当時の市立中学での体育祭開催時期は、学校によってまちまちだったようですが、東中学では例年10月中旬に開催されていたのです。


一年生だった私たちは、中学での初めての体育祭ということで、皆興奮して張り切っていました。

中には「面倒くさい」と言っていた子もいましたが、大抵の子が練習に励んでいたのです。


しかしその頃に妙な噂が立ったのです。

その噂というのは、夏休み中に亡くなった花山沙織さんの幽霊が出たというものでした。


最初は私たちが体育祭の練習をしているのを、花山さんの幽霊が教室の窓から見下ろしていたというような話だったと思います。

そしてその噂話は、徐々にエスカレートしていったのです。


徒競走のランナーの数が一人い多いのに気づいた子がよく見ると、花山さんが混じっていたとか。

雨で運動会の練習が休みになった日に、一人の生徒が教室からグランドを見ると、花山さんが雨の中、一人で練習していたとか。


噂のどれもが荒唐無稽なものでした。

恐らく誰かが言い出した話が、生徒たちの間を伝わっていくうちに、どんどん尾鰭が付いて行ったのでしょう。

そういうことは、特に中学生であれば、ありがちなことだったのだと思います。


しかしそんな噂を快く思わない生徒も、当然いました。

私の友達の外山正志そとやままさしもその一人でした。


彼が、そんな噂話をしたら、亡くなった花山さんが可哀そうだと言って、憤慨していたことを憶えています。

いえ、今になって思い出したという方が正確でしょう。


そしてここで私の記憶に、一つの混乱が生じたのです。

花山さんの幽霊話に憤慨していた同級生の中に、何故か<廉井徳夫>がいたという記憶が私の中に生じたのです。


その<廉井徳夫>は、私が五十嵐さんに預けた写真の中の一人なのです。

つまり私が、中学時代によく一緒に過ごした友達の中の一人の筈なのです。


以前の記憶では、<廉井徳夫>はその頃既に、学校からいなくなっていた筈なのに、彼が花山さんの噂に怒っている様子がありありと浮かぶのです。

そしてその記憶は、続いて思い浮かんだある光景と、密接に繋がっていたのです。


それは<廉井徳夫>が花山さんの噂のことで、一人の同級生と喧嘩をしている光景なのです。

その同級生の名前は思い出せませんが、顔は記憶の片隅に残っています。

ここまで来ると、その時同級生と喧嘩をした彼が、<廉井徳夫>だったという確信が私の中で生まれてきました。


すると以前私の記憶の中にあった、花山沙織さんを学校に呼び出して殺害した<廉井徳夫>は誰だったのでしょう。

私は益々混乱して来ました。

もしかしたら花山さんのことは、私の記憶違いだったのでしょうか。


新たに私の記憶の中に登場した<廉井徳夫>の記憶は、次の恐ろしい出来事の記憶へと繋がっていきました。

それは私が中学二年の時の記憶です。


当時私たち二年生の英語の授業を担当していたのは、下の名前は忘れましたが、薄永うすえという珍しい姓の女性教諭でした。

年齢ははっきり憶えていませんが、多分四十代の方だったと思います。


薄永先生は生徒の間では、あまり評判の良い方ではありませんでした。

かなりヒステリックで、生徒に対する依怙贔屓が露骨だったからです。


特に成績の悪い生徒や、顔が可愛い女生徒に対して、きつい態度をとることが多かったのです。

授業中に当てられて答えられない生徒に対して、クラス全員の前で悪しざまに罵ることもしょっちゅうでした。

それを見る度に、私もクラスの皆もうんざりしていたのです。


私は成績が悪い方ではなかったため、彼女から被害を受けることはなかったのですが、授業中に罵倒されて泣き出す生徒もいました。

そしてそんな薄永先生の標的の一人になったのが、<廉井徳夫>だったのです。

既に私の中では、彼が<廉井徳夫>だったという確信が生まれています。


新たに私の記憶の中で蘇って来たその<廉井徳夫>は、一年生の時の同級生との喧嘩を契機にして、ぐれてしまっていたのでした。

彼は元々勉強が苦手だったのですが、二年生になると成績の悪さが素行の悪さに比例するように顕著になって来ていたのです。


そしてそのことが薄永先生の目を引いてしまい、彼女の標的になってしまったようなのです。

授業中に罵倒されて、俯いて悔しそうな表情をしていた彼の様子が、今となっては鮮明に思い浮かびます。


いえ。やはり今思い出したという方が正確なのでしょう。

それ程私の記憶は曖昧なのです。


そして二年生のある日、事件は起きました。

薄永先生が、<廉井徳夫>に刺し殺されたのです。


その事件のことを知らされて、私は衝撃を受けると同時に、起きるべくして起きたという感想を持ちました。

それは不謹慎な考えだったのでしょうが、薄永先生の日頃の言動と、<廉井徳夫>のあの悔しそうな表情を思えば、仕方がないと思えてしまったのです。


私は事件のことを聞いて、<廉井徳夫>に同情しました。

その頃になるとやや疎遠になりつつありましたが、それでも僅かながら友達関係は続いていたからです。


彼がその頃持ち歩いていたナイフを、見せてもらったこともありました。

多分あのナイフで、薄永先生を刺したのでしょう。

それを思うと、背筋が少し寒くなります。


<廉井徳夫>は当時14歳であったため、あの年の少年法改正によって刑事罰の対象になったのかも知れません。

しかしその後彼がどうなったのか、私の記憶はかなり曖昧なのです。

ただ彼が卒業まで、学校に来なかったことだけは確かです。


ここまで考えた時、大きな疑問が沸き起こって来ました。

あの事件を起こした<廉井徳夫>が、何故今頃になって私の出張先に、伝言メッセージを残したのでしょうか。


『そろそろ思い出してよ。ヤスイトクオ』

あのメッセージの意味は、何だったのでしょうか。


私は益々混乱してきました。

このことを五十嵐さんに、告げるべきなのでしょうか。

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