第26話 意外なこととラブレター

 パソコンの調子が悪い。買い換えの時期がとっくに過ぎているのだ。おまけに、白内障の兆候が強くなっており、手術を考えていたが、死が近いと感じることもあり、どちらが早いかと考えて先延ばしになっている。

 そんなわけで、私には残された時間が少ないので、思いつくままに書きたいことを列挙してみたい。思いつくままにと書いたが、それが私にとって意外な話ばかりになるのは、「人間や社会は分からないモノだなぁ」という感慨があるからだろう。

 ざっくばらんに言えば、「意外」などと書くこと自体が、私の不勉強ゆえの結果であり、ここに書くのは恥ずかしい限りである。それでも、馬鹿を承知で書いてみたい。

 私にとって意外と言えば、第7話で述べた教育委員会の出鱈目ぶりだが、その他にも下記のようなモノがある。

 1.<最高裁の元長官が「日本会議」の会長であったこと>

 一昨年、3月15日の毎日新聞訃報欄に、元最高裁長官三好達氏の名前が載った。その記事の最後には、「保守系団体『日本会議』の会長」と書かれている。「日本会議」とは、全国の宗教や政治団体を結集させた、戦後最大にして強力な右翼組織で、故安倍晋三氏も所属していた。

 日本の裁判は不偏不党、裁判所は公正な組織と思っていた私には、信じられない記事である。裁判官も人間なのか、信じていた私が間抜けなのか、皆さんはどう思われるだろう。

 2.<無期懲役の犯人が、10年で出獄できること>

 1985年に起きた「豊田商事」会長殺人の犯人二人が、それぞれ10年、8年で出所している。更に、2004年の判決では、26歳のイタリア語講師女性への強盗殺人に対して無期懲役が言い渡されたが、その際、大阪地裁の裁判長は「仮出獄制度の慎重な運用」を語り、無期懲役の受刑者が服役10年後に釈放されていることに疑問を呈している。

 凶悪犯人は死ぬまで刑務所で過ごすと思っていた無期懲役刑が、実際は懲役十年だったとは、現実を理解していなかった自分自身の迂闊さに、今以て私は腹を立てている。

 3.<死刑囚が無罪になった事を疑う人がいること>

 袴田事件に限らず、数十年前に起きた事件で受けた死刑判決が覆されている。こうした無罪判決を、周囲では疑問に感じる人が多い。

 何故なのかと考えると、昔から「日本の警察は世界一」と思っている人が多いからではないだろうか。

 40年ほど前、私が商社のマニラ駐在員をしていたとき、アメリカではFBIに相当するNBI(国家犯罪捜査局)長官から呼ばれ、鑑識設備一式の見積もりを依頼されたことがある。日本の最新設備という条件があった。

 本社から取り寄せたスペックを提出し、その一、二週間後、意気揚々としてNBI本部を訪れて結果を期待していると、私は長官から怒られた。「最新式を頼んだはずなのに、お前のオッファーは何だ、古いじゃないか」と言うのである。その後、私は本社に抗議し、再度、最新式と念押しして見積もりを頼んだが、他の二社も結果は同じであった。

 捕らぬ狸の皮算用をして私が恥を掻いたのは、多くの日本人と同じように、日本の警察は世界一と思い込んでいたからである。思い込んでいた根拠は検挙率なのだろうが、後に調べてみると、日本では90%が自白であった。欧米の自白率10%に比べると、日本は異常なのである。これでは、無理矢理に自白させられていると考えても無理ではあるまい。

 いわゆる冤罪に関連して、私には特別な思い出がある。私の中学生時代なので、もう60年余り前のことだ。私の父は国鉄の職員で変電所に勤めていたが、その時、161人が死亡した鶴見事故が起きた。

 私の記憶に残っているのは、検察から帰宅する度に、玄関に立つ父が真っ白な顔をしていたことだ。横浜の検察から自宅のあった立川まで、帰宅するには優に二時間近くかかる。それなのに、血の気が全く失せていないのだ。事故発生直後に電気を切っていれば大事故にはならなかった、お前は何をしていたと、よほど厳しく検察に取り調べられていたのだろう。

 数か月後、不可抗力となり父の嫌疑は晴れたが、いつ逮捕されるかと心配してすごした私の中学生時代の日々は、亡くなった父の面影と共に、年老いた今でも忘れていない。

 更に、私には官憲との恐ろしい体験がある。厭な体験と言えるかもしれない。

 その頃私は自営業をしており、毎年一回、十日間の滞在予定で帰国していた。友人や仕入れ先との付き合いで私は忙しく、その間、退屈しのぎに妻がフィリピン映画のビデオを数本持ってきている。

 マニラから成田に着いた通関の時だった。「旦那さん、ご足労ですが、ちょっと調べさせてもらえますか」と税関の係員に丁寧に言われた。妻のビデオが猥褻物と思われたのであろう。フィリピン映画では乳房の露出すら禁止されているので、私は何も心配していなかった。

 ところがである。取調室に入り、扉が閉まった瞬間、「ポケットのモノを全部出せ!」と、喉を振り絞るような大声で怒鳴られたのだ。私の耳許である。この野郎と私は思ったが、何しろ相手は逮捕権こそないものの調査権を持つ税関職員であり、大人しく従うしか他はない。

 ビデオの検閲が終わり、何もないことが分かると、「どうもご足労様でした」と猫撫で声で言われた。君子豹変すと言うが、権力者である官憲の豹変にも気をつけねば、市民らしさを装う顔には絶対に欺されないぞと私は思ったものだ。

 官憲の実態は、取り調べの個室で姿を現す。長時間の尋問、怒声、机を叩く威嚇などはドラマによく出てくる場面だが、私の父も同じ体験をしたと聞く。冤罪が起こるのも当たり前と、私が思う根拠のひとつである。

 4.<女性の万引き犯がラブレターを持っていること>

 これは、25年前、警備員になった私が、元警察官の教官から講習で知ったことである。教官の警察時代、万引き犯の女性を取り調べると、過去にもらったラブレターを必ず持っていると言う。

 意外な話である。しかし、元カノの写真やもらったラブレターを捨てるよう、女性が新しい男に迫るのは往々にして聞く話で、それは、女自身がラブレターにこだわる自分を知っているからではなかろうか。

 彼女がラブレターにこだわるのは、過去の女の気配を消して独占したいと思うからであり、つまりは俺を愛しているからだと、心の優しい男は元カノからのラブレターを破棄する。格好いい男だ。

 しかし、女性の本音は分からない。歳を取るごとに男が近づかなくなり、本来なら内面を磨くべきなのに、表面的な美貌があせてきたせいだと思う女性は、ラブレターという形で、愛された「実績」にしがみつきたくなる。そんな自分の将来を予想すれば、ラブレターを大事に持っているのは至極当然なのだ。(御免なさい。これは昭和生まれのオバカ爺さんの邪推です。万引き犯人との関係も定かではありません)

 ここで、本稿の趣旨とは離れる。

 上記の教官の話は25年以上も前の昔の出来事で、今はメールの時代になり、ラブレターを書く人などは少なく、したがって持っている人も少ないだろう。

 それにしても、昔の男はラブレターをよく書いた。恋愛時代だけでなく、失恋したときも書いたものである。私もその一人で、それは未練を断ち切るためだった。私の勝手な推論だが、最近、ストーカーによる事件が多いのは、ラブレターを書かなくなったことと関係しているのではなかろうか。

 書くというのは、自分の思いを綴るというのは、それだけ特別な意味を持っていると私は思う。書かなければ、書き残さなければ、時間と共に自分が消えていくのであり、その結果、今の自分の姿すらも見失うことになる。それでは切ない人生になってしまう。

 余計なことを書いてしまった。上から目線の忠告みたいだが、75歳のボケ爺さんが言うこととしてお許し願いたい。

   

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