第21話 思い出の人
第18話の続きのようになってしまうが、これまで出会った人たちのことを頻繁に思い出す。どういう訳か、フィリピン人ばかりである。老人になると若い頃のことが懐かしく、その若かりし頃がマニラ駐在時代ということなのだろう。
<一人目>
バルビド先生はどうしているのだろうか。恥ずかしながら、若かった独身時代の私は女遊びが得意で、勿論それは外国暮らしと仕事からの精神的重圧が凄まじかったせいもあるのだが(言い訳がましいなぁ)、バルビド先生はそんな中で知り合った性病の医者である。
当時のマニラは売春婦が多く、遊べば四分の一の確率で雑菌や淋病に罹った。最初の時は一流病院へ行ったのだが、何しろ大病院なので性病のために通うのが気恥ずかしく、そこで町医者を探すことにしたところ、車内から「VENEREAL DISEASE」(性病)の看板が見える。そこで知り合ったのがバルビド先生だった。
「なんだまた来たのか。罰だよ。お尻を出しな」と言われて、先生から笑われながら注射を受けた自分の姿が目に浮かぶ。
先生は気さくな人で、あるときは、「こっちへ来いよ」と顕微鏡で病原菌を見せてもらったり、「今度、ディスコへ行こうぜ」と誘われ、ストリップ劇場で一緒に夜遊びをしたこともある。
なんともはや、みっともない、最低の人間と思われても仕方の無い話だ。それでも思い出すのは、恩になった人、悪いことを一緒にした人は忘れられないということなのだろう。
<二人目>
お手伝いさんのクレアはどうしているだろう。彼女は娘の面倒を見てもらっていたホームヘルパーで、思い出すのは、彼女のせいで私に逮捕状が出たことだ。
妻が里帰りをしたとき、クレアの部落も近かったので、送っていったことがある。送った後に妻の実家へ向かう途中、私の車の前方に、サイドカーを付けたトライシクルが走っており、ふざけているのか道路の左側を走っていた。フィリピンでは車両は右側通行なので、追い越し直前に私はクラクションを鳴らして警告したところ、驚いたトライシクルは正規の車線に戻って来てしまい、私の車と衝突したのである。
妻の「逃げろ」という言葉と共に、私はマニラへ逃げ帰った。なぜなら、相手が外国人と分かると、法外な賠償を請求されるからである。轢いたら引き返して殺せとフィリピンで言われているのも、怪我だけになるとそれを口実に一生つきまとわれるからなのだ。
数日後、私に逮捕状が出たと妻から教えられた。何故、私が犯人と分かったのかと訊くと、クレアが警察に喋ったのだと言う。「あの野郎、恩を忘れやがって」と私は激怒して、早速、クレアを呼びつけて事実確認をした。すると、「私は嘘がつけない女です」と言い張る。
何を生意気なと、私は更にカッとなったが、ふと、待てよと我に返った。仕事場の従業員による不正に、私は泣かされていたからだ。嘘をつかれるのは当たり前、首にすれば脅迫や裁判沙汰である。そんなフィリピン人ばかりを見ていたためだろう、確かにクレアは自分の損得も考えずに私を警察に売ったが、そんなことよりも、周りに真正直な人間のいる方がよほど安心だと思い直し、私は彼女を雇い続けた。
結果は正解だった。実によく彼女は娘の面倒を見てくれ、娘もなつき、我が家が帰国する際には皆で大泣きしたものである。その後、精神状態がおかしくなったと聞き案じているはいるものの、今の私には何も出来ないのが心残りだ。
余談になるが、フィリピン人の話ばかりで日本人の話はないのかと考えて不思議に思うのは、マニラ滞在時ばかりでなく帰国してからも付き合いのある日本人は、関西の人ばかりということだ。私は東京生まれであり、帰国してからも関東に住んでいる。にもかかわらず、人生最後の友人数名が例外なく大阪や兵庫の出身者であるのは偶然なのだろうか。
関東、関西で言えば、関東人がオカシイ、悪いと言うのではない。ただ、関東人は余りに「まとも」過ぎる。考えが硬すぎる。日本人全般とも言えるが、冗談も通じにくい。恰好つけているようにも感じる。何でもかんでも許されるとは決して思わないが、またひとくくりの一般論は私の趣味ではないが、関西人は関東人に比べると許容の大きさが違うように思えるのだ。
何を隠そう、未だに私は関東人の傾向から抜けきれない。それでも、この歳になってようやく、自分をさらけ出そうという気になっているのは、年の功とでも言うのだろう。つまるところ、人間とは何かが、少しばかり分かりかけてきたのかもしれない。
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