第20話 疑問と不安
体の調子が悪い。もうひと月前から、咳、熱、痰、頭痛の症状を繰り返しており、この二週間は味が感じなくなった。正直なところ、このエッセイを書くのもやっとで、少しばかり調子の良い時を見計らって書いている。
それでも書くのは、疑問と不安が止まらないからだ。二点ばかり書いてみたい。
<その1-移民と人手不足>
人手不足が言われている。少子高齢化、生産性の低さが原因という。最近は、それに関連して外国人の移民が話題になっている。話がそれてしまうが、「移民」という用語は正しいのだろうか。移民というのは「移住」を前提とした言葉だと思っていたが、私の知識不足かもしれない。
私は人種差別主義者ではないが、人手不足だけの理由から移民を増やすのは、厄介な問題だと考えている。次のような体験があるからだ。
(体験-1)中古自動車の解体屋に出入りしていた時である。そこではパキスタン人などの外国人が多く、ある日、その親分格の人物、解体屋の社長そして私を含め3人で昼食をしていた。食べていたのは出前のチャーハンである。オイシイ、オイシイとパキスタン人も言って食べていたが、突然、「なんで俺にこんなものを食わせているんだ」と、椅子から立ち上がり怒鳴り始めた。
この人物は、タイヤ一本でロシア女とセックスしたとか、我々の考える宗教心とはかけ離れた不埒な発言を普段からしている人物である。その男が怒鳴り始めた理由は、「お前らは豚肉が入っていると知っていて俺に食わせただろ」と言うのだ。「冗談じゃない。うっかりしていたのは謝るが、わざとしたのではない。そもそもあんたはオイシイ、オイシイと言っていたじゃないか」とこちらは反論したが、聞く耳は持たれず、「もうあんたらとはつきあわない」と捨て台詞を残して去っていった。
自分の会社の社長に怒鳴る、イスラム教の教えに背いて豚肉を食べてしまったとはいえ礼儀を忘れるほど信心深い男ではないように見える、一方的に自分のミスを他人に押しつける、挙げ句の果ては捨て台詞、といった具合のイスラム教徒との付き合い方は、今以て分からない。
そもそも、もっと身近な出来事で言えば、上記のチャーハンもそうだが、学校給食での「ハラール」はどうするのだろう。「ハラール」はイスラム法によって規定されており、飲食物では豚肉やアルコールが禁止されている。
勘違いしている人が多いのは、豚やアルコールそのものだけではなく、食材の生育の際は勿論、調理などの製造過程でも豚やアルコール成分の混入が禁止されていることだ。例えば、かつてインドネシアで問題になったのは「味の素」である。「味の素」の当時の原料はサトウキビだったのだが、そのサトウキビの肥料の一部に豚の糞が使われていたのだ。
イスラム教徒の子弟が増えれば、学校給食の関係者は大変になる。かれらも「ハラール」に従わねばならず、当然にも豚肉を使わない別献立となり、更には食材の肥料に豚由来のモノが使われていないか、料理中に混入する恐れがないかなどチェックしなければならない。もっとも今は「ハラール」専門の食料品屋があるし、調理場も別の場所に設ければ良いだけの話だから、経費さえ増やせば問題は少なくなるだろう。日本はお金持ちの国なのだ。
皆平等と言うことで給食を一律にし、イスラム教徒を無視できるのならそれで良い。しかし私は思う。無視できるのならやって見ろ、宗教を甘く見るなと。米国貿易センターの自爆テロどころか、今後、どんな事件が起きても、「やっぱりな」と私は言うしかない。
(体験-2)マニラにいた頃、モスクから大音響のアザーンが流れていた。アザーンとは一日五回の礼拝時間を知らせるもので、アラビア語の男の肉声が流される。私の知るところでは二カ所しかなかったが、キリスト教国のフィリピンであったことから、とてつもない違和感を覚えたものだ。もっとも、耳をつんざくような大音響でも、自分の国ではないのだから、文句を言える筋合いではない。
5年前の記事だが、オランダではアムステルダムでアザーンが解禁されたという。地域住民の反対はあったものの、アザーンを流すことでイスラム教を当たり前のものにしたいという訴えがあり、禁止は出来ないというオランダ特有の寛容さから、毎週金曜日のみという条件で市議会が承認したのである。
このエッセイで原理主義者の異常さについて述べたが、日本人は宗教の怖さが全く分かっていない。確かに、信仰は自由である。私にも異存はない。しかし、元々、この国に住んでいる我々の文化や習慣、秩序が乱されることに、皆さんは我慢が出来るのだろうか。
オランダのようにイスラム教徒が増えるとどうなるかは、上記のアザーン問題を見れば分かると思うが、統一教会のように日本を贖罪国家とする宗教にすら無自覚で信者の多い日本人は、もし定住者が増えれば、その何百倍も強力なイスラム教徒の力には勝てないと私は危惧している。
さて、ここからが本論だ。労働人口の不足理由は、少子高齢化、欧米より35パーセントも低い生産性にあるという。しかし、厚生労働省や日本財団によれば、働きたくても働けない日本人は600万人もいるのだ。当然ながら、その中には貧困にあえぐ人、福祉救済を求める人が多いはずで、彼らを見捨てているのは政治家や役人の怠慢としか思えない。
身体障害、引きこもりなどだけでなく、女性が意欲はあるのに働けない理由は、出産による解雇、子育て、親の介護などである。この点をなんともせず、本音である安い賃金労働者の獲得を「移民」で片付けようとしているのは、これもまた政治家や役人の利害による怠慢、単純思考である。
「在留カード」延長の手伝いを知人から頼まれて知ったのだが、延長条件のひとつとして日本人と同等の給与を支払うという雇用者からの書類が必要とあった。これは、かつてのように実習生として労働許可を出したものの、実態は低賃金の単純作業でトラブルが続出し、酷い実態が世界に知れ渡ったことにある。それ故「日本人と同等の賃金」が義務づけられているわけだが、役所からの文言をよく読めば、そこには本人の経験や日本語能力などにより考慮が可能とあった。何を意味するかは微妙なところである。
日本政府や企業の本音は、低賃金労働者の獲得ではないかと私は疑う。それとも、数百万人規模まで移民を増やすのが目的なのだろうか。
話を元に戻す。少子化については、女性に対する優遇策を徹底すべきなのだ。そもそも、これまでの日本社会が男性超優遇であり、今更、女性優遇も何もなく、男女平等を目指すだけの話である。たいした能力もないのに女性より多くの給料をもらい、役職に就いた男達を私がどれほど見てきたことか。
また、女性は家事育児に縛り付けられ、育児一つをとってもそれが大変な重労働であることを大半の男達は分かっていない。まさに二重、三重の足かせをつけられ、思い荷を背負わされて、今も女性達は生きているのである。
日本の生産性の低さについては、終身雇用制の弊害、DX化の遅れなどが指摘されているが、私の能力に負えないので省略させていただく。
<その2-キャッシュレス問題>
先日、運転免許の書き換えなどがあり、風邪を無理して東京へ出かけたのだが、警察署で長時間待たされたために昼食が遅くなり、午後一時半過ぎ、亀戸の某レストランに入った。久々ぶりにハンバーグが食べたかったのである。
結局、私は食事が出来なかった。店内に入ると問題が二つあり、まずスマホのQRによる注文、次にキャッシュレス決済である。スマホの操作がうまく出来ず、注文が出来ないまま、軽い屈辱感と共に私は腹を立てて店を出た。
中国ではほぼ現金が使えないほどキャッシュレス化しているという。この事実を、中国は進んでいる、日本は遅れていると考えるべきなのだろうか。
中国のキャッシュレス化が進んでいる理由は、国民の監視体制強化、治安対策、偽札対策、ATMトラブルである。便利さを口実にするのはグローバル企業と同じだが、現金がなくなれば自由もなくなることを忘れてはならない。
にもかかわらず、日本も中国に負けるな、追いつけと考えるのはおかしな話で、偽札が横行し、ATMからカードが戻せない、現金が出てこないといったレベルの国と日本は違うのだ。
ましてや、日本には地震がある。東北大震災の時ですら、通信障害、停電、ATMの利用できない期間があった。南海トラフや関東大震災ともなれば、震災にあった大都市に援助が来るまでひと月はかかると警告されている。現金なしでどうやって生き延びるか、我々は考えておかねばならないはずだ。
いったいキャッシュレスとは何だろう。私のような老人が言えば、社会の発展、グローバル化の足を引っ張る者の戯言と思われるだろう。しかし、私はキャッシュレス化そのものに反対しているのではなく、現金の支払い余地も残しておかなければ、中国のように自由が完全に奪われ、大震災の時にはにっちもさっちもいかなくなると恐れているだけなのである。
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