第15話 宗教と死刑廃止
国を問わず外国へ出ると戸惑うことの一つは、宗教の問題だと思う。例えば、インドネシア駐在員の奥さんの体験である。妊娠と分かり病院へ行ったのだが、初診の受付書類に宗教欄があり、「なし」と書いてしまった。ご存知のように、インドネシアはイスラム教である。病院側から「宗教のない人は、動物病院へ行って下さい」と、診断を断られてしまったという。この話は50年前に聞いているが、所によっては今も変わっていないと私は思う。
私にもフィリピンで苦い経験がある。40年ほど前、マニラのホテルで開かれた、マルコス大統領の誕生パーティーの時だった。忙しい上司に代わって、私は駐在員の一人として参加していた。
「マブハイ、プレジデント・マルコス(大統領万歳!)」と、マルコス腹心のバルデス駐日大使が壇上から乾杯の音頭を取り、会場はナチスの集会のような厳粛な雰囲気に包まれていた。勿論、ナチスの集会に参加したことなどないのだが、記録映画で知っていたせいか、こんな雰囲気なのかと思い、鳥肌が立ったものである。
整然とした場が崩れ、集会参加者が思い思いにおしゃべりを始めた頃、一人の中年男が私に近づいてきて、いきなり「君の宗教は何か」と訊いてきた。「特定の宗教はない」と私が答えると、そのフィリピン人は「それでは君は神を信じていないのか」と、更に問いかけてくる。
嘘であっても仏教徒だと答えておけば良いのに、私は受験時代に教わった”believe”と”believe in”の違いを思い出し、ここぞとばかりに自分は無神論者だと言うために“in”を使った。すると、突然その男は私の胸ぐらを掴み、私を押し倒したのである。当然にも、人混みのする周囲に悲鳴が響く大騒ぎになった。
騒ぎを聞きつけた知人の船会社社長が駆けつけてくれ、私はその場を「脱出」出来たのだが、後で教えられたのは、その男がキリスト教青年部の幹部と言うことだった。フィリピンはカソリックが主流なので、恐らく、カソリックの青年部であろう。大統領の誕生パーティーでの出来事で、何らかの処分がないかと私は恐れていたものだが、それ以上に身のすくむ思いがするのは、私に飛びかかってきた時の彼の異様な目つきであった。
1986年2月、「エドサ革命」によりアキノ政権が誕生した。エンリレ国防相とラモス副参謀総長が立て籠もったクラメ基地に向かう海兵隊の装甲車や戦車部隊を、エドサ通りに座り込んで押しとどめた民衆の姿をニュースで見た人もいると思う。
NHKの「20世紀の映像」では、ガンジー特集の繋がりから非暴力主義の勝利例として取り上げられているが、真っ赤な嘘である。戦車の前に立ちはだかった一般市民は、カソリック教会が運営する「ラジオ・ベリタス」により動員された人々であった。政府軍と反乱軍の局地的な戦闘により十数名が死亡しており、それが流血の大惨事にならなかったのは結果論に過ぎず、非暴力主義ではなく、宗教が革命を成功させたのだ。
カソリックの支持を取り付けて大統領になったアキノ氏は、教会との約束を守り死刑を廃止した。しかし、問題はその結果である。大量殺人、残酷殺人が頻発したのだ。家庭に押し入れば、6歳、8歳の子供まで家族皆殺し、強姦すれば石で女性を殴り殺してしまうという事件である。一人殺すも数人殺すも死刑がないとなれば、顔を見られた犯人の心理がどう動くかは推して知るべしだろう。
2011年、死刑が廃止されているノルウェーでも労働党青年部の集会で犯人がライフルなどの銃を乱射し、69人が殺害されている。にもかかわらず、人道主義を旗印に、先進国がましく欧米各国が死刑廃止を我々に押しつけ、その動きに我々が同調するのは理解できない。グローバリズムの本質、資本と宗教の西洋支配を私は見ている気がする。
死刑廃止を主張する根拠は、人道的観点、国家による殺人、冤罪などが挙げられているが、そこには本質的な点が隠されている。それは、キリスト教の教義、原理主義だ。キリスト教で自殺が許されないのはご存知だと思うが、その理由は、人の命は神から与えられたものだからという。つまり、自分の命であれ何であれ、人の命は神から与えられたものであり、たとえ裁判官であっても、人が人の命を奪うのは許されないのである。
月へ行った宇宙飛行士の半分が神を見たと言い出すような、キリスト教に染まった欧米人は勝手にすれば良いが、我々日本人はアジアの国であり、足元のフィリピンが示してくれた「お手本」とも言える現実から学ぶべきではないだろうか。
以上のようなことを書いても、宗教の恐ろしさにはピンとこないかもしれません。思い起こして欲しいのは、アメリカで起きた2001年の「同時多発テロ事件」ですが、我々にとって身近なのは、1991年に起きた筑波大学助教授殺人事件です。1988年に出版された英国の小説「悪魔の詩」の翻訳者であった五十嵐助教授は、大学構内のエレベーターホールで頸動脈を切られ、翌日の朝発見されました。事件翌日、成田から帰国したバングラデシュ人留学生が犯人と目されています。
小説の著者も三年前、イラン革命防衛隊を支持する24歳により、アメリカで講演中襲撃され重症を負いました。尚、小説出版の翌年(1989年)、イラン最高指導者ホメイニ氏により、ムハンマドを冒涜した者への罪として、「出版に関与した者たちへの死刑宣告」が出されており、300万ドルの懸賞金もかけられています。ちなみに、「ムハンマド」とは、イスラム教が信じる「アッラー」の神から預言された使徒、つまりイスラム教創始者の名前です。
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