第6話 記憶の訂正

 昨年7月の毎日新聞で、ドラマ「バビロン・ベルリン」を知った。ドラマは1929年、ケルンからベルリンへ派遣された警部と警視庁の記録係で夜は売春婦をしている主人公の話から始まる。

 ドラマの内容はさておき、いくつかのことに気づかされた。それはかねてから私が疑問や驚きに思っていたもので、次のようなことだ。

 1.なぜドイツでは今も中国派が多いのか

 2.なぜ中国軍にドイツの軍事顧問がいたのか

 3.人類史上最も民主的で自由であったヴァイマル憲法は、なぜ崩壊したのか

 まだいくつかあるのだが、絞ったのは私の不勉強、勘違いにきりが無いからだ。

 ベルリンと言えば、私の脳裏に浮かぶのは、第二次大戦の姿である。ソ連軍に包囲されヒトラーが自殺、陥落後の焼け跡の街で10万人の女性市民が強姦されるほどの惨憺たる光景が浮かぶのだ。

 そんな記憶からであろう、第一次大戦後のベルリンも同じような廃墟になったと思っていた。これは老人の呆けではなく、高校生の頃からそんな印象があった。ちなみに、当時の私はドイツに憧れ、ドイツ語を教える高校に通っており、ドイツ人女性教師の授業の様子やドイツ語の歌を今でも10曲ほど覚えているほどのドイツ好きである。余談だが、今でもドイツ語で歌えるのは、覚えてこないと丸太棒で尻を叩かれる恐怖の音楽授業があったからである。最初に習ったのが、小説「車輪の下」で自暴自棄になった主人公の歌か、シューベルトの「野バラ」なのかは覚えていない。

 私にとって意外なことは、第一次大戦終了時のドイツ諸都市に被害はなく、ベルリンも同様であったことだ。ベルリンでは、前線から引き上げてきた兵士のパレードに、ビルの窓から紙吹雪が舞飛ぶ記録映画も観たことがある。第二次大戦終結後のニューヨークで、戦勝パレードの兵士を歓迎する光景と同じだったのには驚いた。

 1.について

 このドラマを観て分かったのは、ドイツ人は第一次世界大戦で負けた意識がないことだ。なにしろ、ロシアが戦線を離脱して東部を守る必要が無くなり、さぁこれからという時に、キール軍港の兵士が反乱を起こし、共産主義者などの暴動に怯えた皇帝の退位により突然休戦となったもので、かつてフランスからぶんどった領土は取り返されてしまったものの、本来の領土はほぼそのままで被害も少ないのだから当然のことであろう。

 戦死者のことを言えば、アメリカ兵が持ち込んだスペイン風邪による死者は、欧州全土で数百万人と言われており、ドイツも例外ではなかった。つい三年前のコロナ騒ぎが、ワクチンもないまま蔓延しており、そのために第一次大戦の戦死者数は三分の一がスペイン風邪などの病気によるものという。勿論、毒ガスや機関銃使用による戦線膠着にも原因がある。

 しかし、東アジアと南太平洋の島々は違った。戦争に負けたわけでもないのに、一方的に日本に取られたのだ。火事場泥棒と評する人もいるぐらい、頭にきているドイツ人は今でもいる。

 ドイツ陸軍の参謀本部に親中国派が多かったのはまさに火事場泥棒のせいなのだが、更に重要なのは「黒い国防軍」の存在だった。ベルサイユ条約で国内の軍事物資生産や軍事訓練などが禁止されていたが、敗戦を認めず無傷のまま兵務局に残留した高級将校らが大人しく従うはずはなく、そこに助け船を出したのが中国なのである。多額の賠償金やスーパーインフレなどにより、ドイツが未曾有の苦境に陥っていたまさにその時、手を差し伸べたのが中国だったのだ。現在も残る中国びいきは、そのせいなのである。

 2.について

 私がフィリピンにいた頃、中部のパナイ島にあるボラカイに行ったことがある。白い砂浜で有名なビーチだが、ドイツ人観光客が大勢いた。不思議に思って現地のフィリピン人に訊くと、中国からの亡命ドイツ人がいたからだと言う。その時は、へえっと思ったが信じることもなく、時が過ぎた。

 マニラ市街戦を知るために日本の海軍陸戦隊を調べていたら、中国と本格的な戦争になった第二次上海事変(1937年8月)の際、戦闘の指揮を執っていたドイツ人中尉の遺体が発見され、日本がヒトラーに厳重抗議したことを知った。

 やむを得ず、ヒトラーは参謀本部に帰国命令を出したが、20数名の彼らは従わなかった。ヒトラーは財産没収と家族の逮捕をもって脅し、ようやく20名ほどは帰国したものの、残り数名は行方不明になったという。

 中国にヒトラーが軍事顧問団を派遣していたのは、同盟国の日本と中国が手を組んでソ連と戦うようにするためであり、中華ドイツ大使トラウトマンの和平交渉もその一環であったが、もし近衛首相が南京進軍の調子に乗らず「国民政府を相手にせず」等と言わなかったら、歴史は変わっていたと石原莞爾は言う。

 3.について

 ヴァイマル憲法とヒトラーの台頭については、既に論議が尽くされている。1929年の世界恐慌、多額の戦争賠償金、ハイパーインフレなどの経済的要因があるとはいえ、政治的には国会の比例代表制にあった。国民主権、男女平等普通選挙、団体権の保証など極めて民主的な、今でも通用する内容で、比例代表制も少数意見を尊重するための制度である。

 その結果、どうなったかと言えば、己の権利ばかりを主張する少数政党が乱立し、民族的な政党はポピュリズム(大衆迎合)による人気取りに終始した。内閣は連立とならざるを得ず、14年間に20の内閣が倒れたという。つまり、何も決められないために政権を投げだすしかなく、そんなことを繰り返していたのだ。

 今の日本はどうなのかと考えてしまう。少数意見を尊重する比例代表制、減税を訴えれば票が取れるポピュリズム、自公の連立政権(いずれ別の野党も加わると予測されている)である。日経新聞によれば、日本政府はIMFから警告を受けており、ポピュリズムを得意とする野党に押された少数与党による財政赤字の拡大に注意を促されている。

 かつて消費主義には疑問が持たれていた。地球の資源には限りがあるからだが、今は消費、消費を連呼し、そのための賃上げを訴えている政党が、今回の参議院選挙では目立つ。大衆迎合とは、大衆の欲望をくみ取ることだから、それが票に結びつくと考えているのだろう。確かに、106万円の壁引き上げを訴えて人気になった政党もあるが、いくら貧乏人の私とはいえ、馬鹿にされている気がしてならない。

 自由と民主主義が両立するのか、どうすれば両立させられるのか、口先だけの政治家には考えられないことであり、この辺で本物の政治家登場を願いたいところだが、それもまた危険と紙一重の考えで、ヒトラーのような扇動者が出てこないとも限らない。であれば、その前に国民の意識改革が重要になる。

 そんなことを考えていたら、もうイヤになった。国民の意識改革?そんなの無理、無理という声が聞こえる。しかし、それでもである。このまま行けば歴史を繰り返すことになると、私は心配なのだ。

 追記 : 「バビロン・ベルリン」はNETFLIXで視聴できるが、四つに分けられたシリーズは終盤に入っており、シリーズ1/2は見られないかもしれない。また、予めお断りしておくが、このドラマは史実を必ずしも再現したものではない。

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