第4話



 街に三カ所ある酒場の中でも、一番小さい酒場の隅に場所を借りメリクは手琴を弾いていた。

 聞こえて来る人の言葉は理解出来たが、耳に馴染まない響きがあった。

 ふとその時、メリクは自分が無意識にもこの地に来ることを避けていたのかもしれないと気付く。

 サンゴールの比にはならないが潜在的に訪問を拒んでいたのかもしれない。

 だがよく考えてみれば、サンゴールにはリュティス・ドラグノヴァが存在する故に避ける理由があるとしても、この地には忌み嫌って避ける理由もない。


(そもそももう、誰もいないのだから)


 メリクは曲を数曲弾き終えるとカウンターに座った。

 店の主人は気さくな感じの人物でギリシアのことなどを話してくれた。

「このあたりではこの街が一番?」

「うん。大きな都市になるね。リングレーは国の中央に山脈が走っているからどうしても国が分断される。特にこの南部は昔から小さな村落も多くて、丁度ギリシアはそういう村に物資を供給する為の拠点として発展したんだ」

 メリクの記憶はすでに劣化して何の糸も手繰り寄せられない。

 彼はなんとなく、聞いてみた。

「ヴィノって村を知りませんか。昔リングレーにあったことは間違いないんですが場所が分からなくて」

 主人は首を捻る。

「地図にも載らない村は珍しくないからなぁ。特に【有翼の蛇戦争】時ここらへんはエルバト王国軍の進軍ルートになっただろ。だから襲撃を恐れて村人が逃げ出して無人になった村もたくさんある」

「そうですか」

 少なからず地域としてはこの辺りで合っているのだろうけど。

 場所が分かるなら行ってみようかとも思っていたのだが、どうやら分からなそうだ。

 分からないものをあえて探し出してまで行こうとまでは、メリクは考えなかった。


 彼は食事もそこそこに立ち上がる。

 宿にいるエドアルトが起きたら何かを食べるかもしれないと思い、軽く食事を包んでもらった。

「あの山道を来るなんて大変だっただろ。温かいスープもつけてあげるから持って行きな」

 女将が声を掛けてくれる。

 メリクは笑って頭を下げた。

「ありがとうございます」

 楽器をしまっていると。


「お兄さん、ちょっと」


 主人が手招きをして奥の部屋にメリクを呼んだ。

「はい」

「……あんたさっきヴィノのこと聞いてただろ。何か、訳ありかい?」

 主人の探るような視線に気付き、メリクは瞬きをした。

「いえ別にそういうわけでは……」

「そうか……」

「あの、何か?」

「……まぁあんたは良さそうな人だから、話しても平気かな……」

 主人は髪を掻きつつ話し出す。


「さっき言った通りこの辺りは【有翼の蛇戦争】直後はそりゃひどい惨状があちこちであった。治安が悪化してね。お兄さんが言ってたヴィノも、敗残兵が夜盗に転じて襲われて、一夜にして村人全員皆殺しにされちまったんだ。ひどい話さ……。俺の親父がヴィノのことは見に行ったんだ。そりゃもう、地獄みたいな状態だったって。

 でもヴィノだけじゃないんだ。このあたりはそういう悲惨な目にあった集落がいくつもあった」


「そうなんですか」

「実は、さっきこの話をしなかったのはな、国から箝口令かんこうれいが敷かれてるからなんだよ」

「箝口令?」

「うん。この地にはたまに来るんだよ。そういう村から命からがら逃げ延びた人間が、故郷のその後を聞きに来たりなんかするために」

 主人は声を落とした。

「……だからね、そういうひどい惨状ばっかりで、このあたりは死体の山だったんだ。疫病なんかも流行り出していたから【有翼の蛇戦争】後王都リングレーから軍が派兵されてそういう村を、……全部焼いちまったんだよ」

 メリクは主人を見る。

「もちろん、生き残りなんかはいないことを確認した上だよ?」

「……ええ。分かっています」


「ただ【有翼の蛇戦争】当時から動かなかった国軍に対して批判も随分あったからな……。後の処理だけに動いたなんていうのもまた不満に繋がるだろう? だからこの出来事は他国に漏らさないよう全て秘密裏に処理されたんだ。

 死体を弔いもせず焼いて……そりゃひどいやり方だったけど、もうそういうやり方でもしなきゃこの地の混乱は治まらなかったのは事実なんだ。だから俺達も何も言えなくて。……弔う人さえ、皆死んじまったんだからな」


「そうでしたか。すみません。変なことを聞いてしまって」

「いや……いいんだよ。お兄さんもしかしてヴィノに関係する人かい?」

「昔、幼い頃に訪れたことがあるんです。ほとんど記憶にも残っていないんですが……」

「そうだったのかい。それは残念だったね……」

 主人が慰めるように背を叩く。

「たまたまこの地を訪れたので、それなら行ってみようと思ったんです」

「そうか」

 主人は棚から地図を取り出した。

 テーブルに広げる。

「ギリシアから北の街道を抜けて、ラスカーンという小さな山があるんだが、その山腹辺りから谷を下った……丁度この辺りかな」

 主人の指が地図を辿る。



「ヴィノという小さな村が確かにあったよ」



◇   ◇   ◇



 部屋に戻るとエドアルトは熟睡していた。


 相当疲れたのだろう。

 数日はこの街で休むことにした方がいい。

 メリクは楽器を置いた。


(……焼かれていたのか)


 そのまま残っているとも思っていなかったけど。

 メリクはしばらく椅子に座っていたが、やがて立ち上がった。

 紙を取り出してあどけない表情で眠る少年に何かメモを残そうと思った。

 しかしうまい説明が何も浮かばない。

 何故ヴィノなどというもう存在しない村を見に行こうなどと思ったのか、それを説明するのは複雑すぎる。


 結局メリクは何も書かなかった。

 白紙の紙とペンを置いて部屋を出る。


 夜のリングレー街道を北へ……。


 灯りもつけずに、彼は歩き始めた。


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