第3話 姫、陥落! 〜おっさんの牢獄ヒモ生活〜
誠一が放り込まれた牢獄での生活は、彼の予想を遥かに超えて過酷だった。
女神に怪我を治してもらったとはいえ、食事もベッドもない。
湿った石壁は冷え切り、凍えるような空気が肌を刺す。空腹で腹の虫がオーケストラを奏でる。ゴロゴロと鳴り響く音は、まるでこの世の終わりのようだ。
「うう……腹減った……」
誠一は腹をさすりながら、泥にまみれた藁の寝床から天井を見上げた。
異世界に転移してくる前は、貯金を食いつぶしながらインスタントラーメンをすすっていたのが──もはや遠い昔の、夢のような贅沢に思えた。あの頃の自分を殴ってやりたい衝動に駆られる。
……仕方ない。
誰かに助けてもらおう。
誠一は、これまでにパンツを盗んだリストを頭の中で思い浮かべた。
女神アクア・ディアーナは「食料は出せない」と言っていたし、それに再び女神のパンツを盗もうとしても上手くいかなかった。「スティール」は、一日につき、同じ相手からは一度しか使用できない能力だ。
(別のターゲットにしよう。呼び出せるのは、姫に王妃に女騎士――頼めばみんな食料を恵んでくれそうだけど、一番頼みやすいのは……)
「よし、決めた」
誠一の選んだ次のターゲットは――
愛らしい顔立ちに、長い金髪。王妃と瓜二つな美少女。
この牢獄に最も縁遠そうな人物、アリア・アストレア姫だ。
誠一は心を無にして、能力を念じた。
「スティール」
その瞬間、誠一の掌に、ふわっとした薄い布切れが現れた。
それは、レースのフリルがあしらわれた、可愛らしい少女のパンツだった。
ピカ~~!
誠一が「おお、なんか輝いてるな」と呑気に思った次の瞬間、まばゆい光に包まれた姫アリアが、まるで放り投げられたかのように冷たい石の床に転がり落ちてきた。
彼女は優雅なドレス姿のまま──
突如として目の前の牢獄に放り出され、何が起きたのか理解できないまま、目を白黒させている。
「ひゃあああああああ!!!」
アリアは、目の前に転がる藁くずと、鼻につくカビの匂いに顔をしかめた。
普段、清潔な環境に慣れ親しんだ彼女にとって、この不潔さは耐えがたいものだった。顔を覆うほどの衝撃。彼女の頬は青ざめ、目の焦点が定まらない。
「な、なな、なんですの、ここ!? ひどい、ひどすぎますわ!」
「あ、あの、姫様。その、えっと……ご、ごきげんよう」
誠一は、正座しながらあいさつし、頭を下げた。
***
誠一は女の子とろくに話したことがない。
ましてや相手は美少女だ。その時点で彼は気後れしている。
(俺が話しかけると、犯罪になるんじゃないか?)
そんな心配もある。
だが、空腹は彼の理性を上回った。
ご飯を貰わなければならない。
必要に駆られ、どもりながら話しかけた。
なんとか丁寧な挨拶をすることができた。
彼は一仕事終えたとばかりに一息つく。
アリアは誠一の顔を見て、さらに甲高い悲鳴を上げた。
「あ、あなた! 昨日、わたくしたちの……! 変態! 不審者! 衛兵を呼びますわよ!」
「姫様、ちょっとお待ちください」
誠一は慌てふためく姫を見て、落ち着きを取り戻した。
「ここは城の地下深く、衛兵の見回りは滅多に来ません。それに、姫様がこんなところにいると知られたら、どうなりますか? 『王族の姫が、地下牢のおっさんと密会!?』なんて噂が広まったら、大変なことになりますよ?」
そして話しているうちに、自分の優位を確信する。誠一は、もはや隠す気もないといった態度で、ぬるっとした動きで立ち上がった。
相手は、ただの小娘ではないか──
「いいんですかね? ふ、ふひひ……」
誠一がにんまりと笑うと、アリアは言葉に詰まった。
彼女の顔がみるみるうちに青ざめていく。
「そ、それは……」
王族である自分が、こんな汚い牢屋で、得体のしれないおっさんと二人きり。
しかも、さっきまで自室にいたはずなのに、どうやってここに……。
思考がぐるぐると渦を巻き、頭の中はパニックだ。
「わたくし、どうやってここに……?」
「私の能力です。まあ、色々複雑な事情があるんですが、姫様が私の要求を聞いてくだされば、元居た場所にお戻ししますよ」
誠一は悪代官が賄賂を要求するかのような、にやにやした笑みを浮かべた。
「な、なんですの、その要求とは!」
アリアは震えながら誠一を睨みつける。
どんな恐ろしいことを要求されるのだろうと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「食料を恵んでください。腹が減って死にそうです」
「はぁ!?」
アリアは呆気に取られた。
その要求が、あまりにも予想外で拍子抜けしたのだ。
「仕方ありませんわね……! わたくしがここにいたことを他言しないのであれば、あなたに食事を恵んで差し上げますわ!」
アリアは顔を真っ赤にして叫んだ。
そうしないと、このおっさんとの密会が知られてしまう。
それは絶対に避けたい。
そこに付け込んだ誠一の卑劣な交渉が功を奏した。
(ふう、何とか食料を確保できそうだな)
誠一は、アリア姫のパンツを「スティール」できるのは一日に一度だけという制約を理解していた。いますぐにでも何か食べたかったが、今日はもう無理だ。
この状況で食料を確保するには、料理を持った状態のアリア姫を再び召喚するしかない。
「では、明日、またパンツを盗みますので、食事と共に、ここに来てください」
彼は空腹に耐えながら、明日の恵みを待つしかなかった。
「盗まないでください! ……わ、わかりましたわ! 衛兵に指示して、美味しい料理を運ばせますから、待っていなさい!」
(まあ、それでもいいか。明日まで空腹を我慢しなくて済むし、むしろそっちの方が良いな)
「いいでしょう。こちらもそれで手を打ちます」
能力の効果時間は十分間だ。
召喚から十分後──
アリアの身体は光に包まれ、自分の部屋へと転移していった。
姫は誠一の要求を飲むことで、なんとか恥ずかしい状況を乗り切ったのだった。
***
それから数十分後、衛兵が誠一の牢屋にやってきた。
「囚人よ。これは姫様からの差し入れだそうだ」
そう言って渡されたのは、石のように硬くてパサパサの黒パンだった。
「ひでぇな……。これが王族からの差し入れか──いや、文句は言うまい。食事を恵んでもらえただけでもありがたいと思おう。俺は何のとりえもない、ただのおっさんだからな」
誠一はぼやきながらパンにかぶりつく。
土の匂いがする無味乾燥なパンは、到底満足できるものではなかったが、それでも胃の中に温かいものが収まる感覚は、久しく味わっていなかった。
硬いパンを何度も咀嚼するたびに、口の中に広がる土っぽい風味。これが異世界の食料か、と誠一は遠い目をした。
それでも腹が満たされることはなかった。
***
その日の夜。
寝室のベッドで、アリアは頬を赤らめていた。
(なんで、あんな最低な男の言うことを聞いてしまったのかしら……)
だが、どういうわけか、彼のことを考えると、胸の奥がキュン、とときめくのだ。
あの男の笑みが、脳裏に焼き付いて離れない。
誠一の「スティール」は、対象の『女性』が身につけている下着を盗む特殊な能力だった。女性からはパンツしか盗めないという制約がある。
そして、この能力には、下着を盗んだ相手の好感度を強制的に上げてしまうという、とんでもないおまけがついていたのだ。
(もしかして、これが……恋!? いやいや、あり得ませんわ!)
彼女は首を振るが、頭の中ではおっさんの気弱なのに図々しい、不思議な笑顔が焼き付いて離れなかった。
そして──
明日はもっと美味しいもの差し入れしてあげましょう。
アリアは小さく、しかし固く誓ったのだった。
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