第4話 女神を脅し、インフラ整備を要求する男
牢獄の朝は、黒パンの硬さで始まる。
水とパン。
それが誠一のすべてだった。
異世界に飛ばされた元ニート――
彼は今、石造りの冷たい牢の中で生きている。
だが最低限、生きるのに必要な物資は手に入れた。
姫の命令により、黒パンは定期的に届けられる。
水がめは、女神の聖水で満たされている。
牢獄という閉ざされた空間でも、誠一は生き延びる術を手に入れたのだ。
***
(いや、パンはいいんだけどさ。なんかこう、この部屋じゃね……いくら牢獄とはいえ……。もう少し人間らしい生活がしたい)
姫からの命令で届けられるのは粗末な黒パンばかり。
きっと城の衛兵が姫の命令を捻じ曲げ、意地悪をしているのだろう。
彼はそう考えている。
「もっと美味しいものが食べたい」
それが誠一の、ささやかな願いだった。
だがまずは、環境を整えなければならない。
この牢獄の、不潔で陰鬱な空間を何とかしない限り、快適な異世界ライフなど夢のまた夢……。
誠一は考える。
この場所を少しでもマシにするには、何をどうすればいいのか。
快適な暮らしを目指して、彼の脳内作戦会議が始まった。
***
次の日のこと。
いつものようにパンツを盗んで召喚した姫に、誠一は自分の牢屋の不衛生さへの不満をぶつけた。誠一は暗い牢屋で一人寂しい時に、「スティール」でアリア姫を召喚し話し相手になってもらっていたのだ。
「こんな不潔な部屋じゃ、せっかくの食事も美味しくないじゃないですか」
「ええ、その通りですわ! 誠一様、この部屋はもっと清潔であるべきです! わたくしが一緒に住めないではないですか」
なぜか姫も誠一の訴えに大いに同調してくれる。
(あれ? この子、牢屋に住みたいとか思ってるのか?)
ちょっとだけ、頭のネジが外れてるのかな?
誠一が首を傾げていると、遠くから規則正しい足音が近づいてきた。
衛兵がパンを運んできたのだ。
「姫様、そちらのトイレに隠れていてください。ついでに用を足しても構いませんから」
誠一は、姫を牢屋の隅にある汚いボットン便所に指差した。
「死刑になりたいのですか? 冗談は顔だけにして下さい!」
姫は顔を引き攣らせ、小さな声でそう突っ込んでから、顔を真っ赤にして大人しく便所に入った。ボットン便所の入り口で、かすかに顔を歪める。
衛兵に見つかる屈辱よりはマシ、と自分に言い聞かせるように、彼女は狭い空間に身を隠した。彼女としても、衛兵に見られるわけにはいかない。
召喚から十分後、姫は自室に戻った。
姫と共にこの部屋の悪口を言い合っていた誠一は、ある決断を下す。
「……やるしかない」
(女神さまに頼んでこの部屋を住みやすくしてもらおう)
***
誠一は女神アクア・ディアーナを召喚することにした。
この牢屋のインフラを整備してもらうために──
誠一は心を無にして、能力を発動した。
「スティール」
女神は光と共に牢屋に現れ、誠一を睨みつけた。
彼女は、もはや怒りを通り越して呆れているようだった。その瞳には、深いため息が宿っているかのようだ。
「また、あなたですか! わたくしのショーツを……いい加減にしなさい!」
「実はですね。おねがいがありまして」
誠一は粗末な毛布の上に正座して座り、誠実さをアピールする。
その表情は、まるで初めてご両親に挨拶するかのような真剣さだった。
「なぜ私があなたの願いを叶えなければならないのですか?」
女神は呆れた顔を隠さない。
誠一は臆さずに、同情を誘う作戦に出た。
「少しくらい力を貸してくれても良いのではないですか? 見てくださいよ、パンツを盗んで牢屋に閉じ込められた、この哀れな中年のおっさんを……異世界に転移させられた挙句、こんなところに閉じ込められて、まともな生活もできないんです」
「たしかに、哀れですね」
あっさり肯定される。
その言葉には、全く感情がこもっていなかった。
「それに、もとはといえば、女神さまのミスで俺はこの世界に来る羽目になったんですよ? それなのに力を貸してくれないなんて、あんまりじゃないですか!」
誠一は、姫と仲良くなったことで少し図に乗っていた。
友達ができると調子に乗るタイプなのだ。
「そんな昔のことを持ち出して、なんと器の小さな男なのでしょう」
「そうはおっしゃいますが、この部屋を見てください。薄暗い上に、こんな汚い部屋では、まともに食事もできません。姫様がせっかく遊びに来てくれても、こんな匂いのする場所じゃ台無しだ。女神様は、光と水の女神なんですよね? だったら、トイレを綺麗にしたり、風呂場を作ったり、照明をつけて明るくしたり、もっとインフラを整備できるんじゃないですか?」
誠一は、畳み掛けるように女神に要望を突きつけた。
「わたくしは神ですよ!? なぜあなたのような人間のために、そのようなサービスを……」
女神は呆れている。
誠一の要求を聞いてくれそうにない。
しかし、誠一には勝算があった。
彼は女神を言葉巧みに誘導し、要求を呑ませる作戦を一晩中考えていたのだ。
「ではこうしましょう。三つの選択肢の中から一つを選んでください。1、女神さまが慈悲の心で、この部屋を整備する」
「……あまり気乗りしませんね」
女神は誠一の言葉に警戒した。
ろくな選択肢ではないと直感したからだ。
「2、わたくしめが、女神さまの足の裏を綺麗になるまでなめまわす」
誠一の言葉に、女神は顔を真っ青にして後ずさりした。
彼女の全身に鳥肌が立った。
「それは……、絶対に嫌ですね!」
「3、わたくしめが、女神さまのお尻の穴を綺麗になるまでなめまわす」
女神の顔から、サッと血の気が引いてく。
「……あなたの存在を、跡形もなく消滅させますよ?」
彼女は凍えるような笑顔で、誠一をたしなめた。
誠一はその迫力にビビった。
だが、彼は交渉を続ける。
ここで引くわけにはいかない。
誠一は気力を振り絞り、予定していた駆け引きを展開する。
「最後の一つはジョークですよ。ムフフ――ですから、選択肢は二つです。1、女神さまがこの部屋を綺麗にするか、それとも、2、俺が女神さまを綺麗にするか」
「……その選択肢でしたら、1、ですかね。2、は死んでも嫌ですから」
「死ぬよりは、いいと思いますが……」
打たれ弱い元ニートの誠一は、真顔で拒絶されて落ち込んだ。
そして、落ち込みながらも女神をきれいに洗うシーンを想像する。
「あの、わたし、心を読めるのですが……」
女神が心底うんざりした顔でそう言うと、誠一は目を輝かせた。
「えっ? そうなんですか。……でも俺は、想像するのをやめません。この部屋がきれいになるまで!」
彼は良いことを聞いたとばかりに、妄想を過激化させる。
浅はかな彼は、これで女神を脅しているつもりである。
女神は心を読むことを止めることもできた。
こんなバカは相手にしなければいい。
だが、目の前の男がなんだか不憫に思えてきた。
ちょっとだけ、ほんの少しだけだが、世話を焼いてあげたくなった。
「はぁ、もう仕方ありませんね。部屋を綺麗にしてあげますから、そのようなあさましい妄想はやめなさい。ウザいですから!」
女神は溜息をつきながら、魔法を発動させた。
すると、彼女の指先から柔らかな光が溢れ出し、牢屋全体を包み込んだ。
瞬く間に、石壁の汚れは消え失せ、地面の泥は乾燥して清潔な床へと変わる。一角には白いタイル貼りの清潔な水場ができ、簡易的な水洗トイレが設置された。
さらに、天井には光る魔法石が埋め込まれ、薄暗かった牢屋がホテルのロビーのように明るく、心地よい空間へと変貌を遂げた。
部屋のスペースまで広くなっている。
***
翌日――
誠一はリフォームした部屋を自慢しようと、姫を召喚した。
「すごい! 誠一さま、お風呂もありますわ!」
姫は魔法でできた風呂場を見てはしゃいだ。
そのキラキラとした瞳は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
「それはそれとして、パンツを早く返してください」
「あっ、はい」
誠一は素直にパンツを返還した。
その日の夜、牢屋はもはや牢屋ではなく、清潔で快適な一室へと変貌を遂げていた。誠一は、この部屋ならば姫ともっと楽しく暮らせると、ほっこりと笑った。
彼の異世界でのヒモ生活は、少しずつだが確実に快適さを増していくのだった。
そして、彼の脳裏には、次の「ターゲット」の姿が浮かび始めていた……。
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