第2話 牢獄ヒモ生活、始まる
誠一は、まばゆい光に満ちた広間に立っていた。
天井のステンドグラスから降り注ぐ七色の光が、磨き上げられた白い大理石の床に反射し、足元にはぼんやりと彼の疲れた顔が映り込んでいる。ひんやりとした空気が肌を撫で、どこからか微かに花の香りが漂っていた。
(おおっ! ここは異世界の王宮だな!)
広間には、黄金に輝く装飾が施された豪奢な玉座が置かれ、そこには威厳に満ちた王、柔らかな笑みを浮かべる王妃セレニア・アストレア、そして可憐な姫アリア・アストレアが座していた。王の隣には、深い青色のローブをまとった魔法使いが静かに控えている。
玉座の傍らでは、全身に銀色の鎧をまとった凛々しい女騎士シルヴィアが、漆黒の長剣を腰に携え、きりっとした表情で控えている。
彼女たちの背後には、巨大な柱がいくつもそびえ立ち、その先に広がるフレスコ画には神々しい天界の光景が描かれている。
(あの人たちがこの世界の王族か……。姫、可愛いな。王妃はめちゃくちゃ美人じゃないか……)
誠一がぼんやりと周囲を観察していると、玉座の王が低く響く威厳のある声で口を開いた。
「おお、勇者よ! よくぞ参った! 魔王マモン討伐の褒美には、我が国の姫との結婚を約束しよう! それから、餞別として銅貨五十枚を与える!」
その言葉を聞いて、誠一は思わず心の声が漏れてしまった。
「随分とケチな王様だな……」
誠一の独り言が、静まり返った謁見の間に不釣り合いなほどはっきりと響き渡る。
その瞬間、部屋の空気が凍り付いた。
甲冑をまとった兵士たちが一斉にざわつき、腰の剣を引き抜く金属音が、静寂の中でやたらと神経に障った。
「何者だ、貴様! 不審者めが!」
「ま、待ってください。俺はその、異世界から……」
誠一が慌てて弁明しようとした、その時だ。
王様の前に立っていた勇者・鈴木裕也が誠一に駆け寄ってきた。彼の顔には、どこか警戒の色が浮かんでいる。
「あ、あの、あなたも転移者ですよね? あなたは女神さまから、どのような能力を授かったのですか? もしよろしければ、ここで使ってみてください。できれば、魔王討伐の冒険に同行していただきたいのですが」
随分と腰の低い若者だな、と誠一は思った。
内心で「よし、上手く取り入ってやろう」とほくそ笑む勇者の打算など、誠一が知る由もない。
誠一は勇者のリクエストに応え、自信満々に能力を使った。
ここで優秀な能力者だと示すことができれば、好待遇で異世界の冒険が始まるかもしれない。……そんな甘い考えで、言われるがままに能力を行使する。
(誰から何を取るかは、おそらく運しだい……頼む、良いものを取ってきてくれ!)
──「スティール」!
次の瞬間、誠一の手には、聖なる光を放つきらめく聖剣デュランダルと、三枚の布切れが握られていた。
「「「キャアアアアア!!!!」」」
三人の女性の甲高い絹を裂くような悲鳴が、玉座の間に響き渡る。
誠一の能力が盗み取ったのは、その場にいた勇者の聖剣。
そして、王妃セレニアの純白のシルク、姫アリアの淡いピンクのレース、そして女騎士シルヴィアの深い藍色のシンプルな綿──彼女たちの下着、俗に言うパンツだった。
(やったぞ、当たりだ! パンツはともかく――聖剣を盗めた!! 相手の武器を戦闘中に奪えるなんて、とんでもないチート能力じゃないか!)
誠一は「冒険者オーディション」での成功を確信した。
しかし――
「て、てめぇ……っ! 姫様のパンツを……」
勇者・鈴木裕也は絶句し、やがて激しい怒りに顔を歪ませた。
その顔は、般若の面のように引きつっている。怒りで肩が震え、全身から殺気のようなものが放たれている。
「転生に巻き込まれたモブキャラと聞いて警戒したが、ただの変態かよ! 敬語使って損したわ! お前の能力が『異世界転移最強の能力・ネットショッピング』だったら上手く取り入って利用しようと思ったが、ただのコソ泥だったら利用価値もない!」
勇者は怒鳴り散らしながら、誠一をボコボコに殴り始めた。
鈍い打撃音が響き、誠一の頬に熱い痛みが走る。
視界がぐらぐらと揺れ、目の前がチカチカと点滅した。腹の底からこみ上げる吐き気と、頭を直接殴られ続けた鈍痛に、誠一はただ体を丸めるしかなかった。
誠一が死にかけたところで、王妃セレニアと姫アリアが慌てて勇者を止めに入った。
「あの、勇者殿! そのような乱暴な真似は!」
さすがに王族の前で人を殴り殺すのはまずいと思ったのか、勇者は殴るのをやめた。その瞬間、誠一は意識を失った。
***
次に誠一が目を覚ますと、そこは冷たい石の壁に囲まれた、薄暗い空間だった。
鼻腔をくすぐるのは、土とカビ、そしてかすかな鉄錆の匂い。
微かに聞こえるのは、頭上から規則正しく滴り落ちる水の音だけだ。足元には乾燥した藁が敷き詰められ、冷たい空気が肌を刺す。
ここは城の最深部に位置する地下の牢屋らしい。
門番の見回りさえ、滅多に来ない場所だという。
(あれから、何日たったんだ……? 俺は、一体どうなるんだ……)
胃の腑からわきあがる焼けるような空腹感と、喉の奥を締め付けるような渇き。
勇者に殴られた怪我のせいで身体は鉛のように重い。
まだ生きているということは、三日は経っていないはずだ。誠一は、もはや自分の置かれた状況を嘆く気力さえ残っていなかった。希望も絶望もなく、ただ飢えと渇きと、痛みをどうにかして欲しいだけだった。
「誰か……助けてくれ……」
誠一は掠れた声で、消え入りそうに呟いた。
だが、返事はない。
この牢屋には誠一しかいない。
彼は朦朧とした意識の中、無意識に右手を上に伸ばし、念じていた。
──「スティール」!
次の瞬間、彼の手に、柔らかな肌触りの、小さな布が握られていた。
あの女神のパンティだ。
その瞬間、眩い光が誠一の手から放たれ、牢屋に女神アクア・ディアーナが降臨した。彼女は全身から後光を放ちながら、牢屋に現れて、空中から落下し、鈍い音を立てて尻もちをついた。
「いっっった! なんですか、ここ!? えっ、牢屋!? それよりもあなた! また私のショーツを……って、えっ!? 顔が腫れて……死にかけじゃないですか!」
女神は顔をしかめながらも、慌てて光魔法で誠一の怪我を治してくれた。
誠一の身体にじんわりと温かい光が染み渡り、ひりつくような痛みが嘘のように消えていく。全身に力が戻り、生きていることを実感する。
「あの、ついでといってはなんですが、食料を恵んではもらえないでしょうか?」
誠一は床に跪き、縋るように女神の手を取りながら懇願した。
その目には、久方ぶりの生への執着が宿っていた。
「食べ物は出せません。水なら出せますが……」
「で、では、水を……」
誠一のあまりにも惨めな姿に女神はドン引きした。
そして、ちょっとばかり可哀そうになったので、水を恵んでやることにした。
「そうですね、この水がめと柄杓はサービスしてあげます」
女神はそう言うと、水がめと柄杓を出現させて牢屋に設置する。
そして、掌から清らかな透明な水を溢れさせる。
その水は空中で、きらきらと輝いていた。
「さすがは、光と水の女神さま……!」
誠一は、がむしゃらに、その水に吸い付いた。
「あの、まずは水がめに入れてから、ちょっと、もうっ!」
ゴクゴク、ゴクゴク……。
水が喉を通り過ぎる度に、全身の細胞が潤っていくのがわかる。
「ぷはっ!! はぁはぁ……ああっ、女神さまから排出された聖水が、俺の身体の隅々まで染み渡っていく……! 生きててよかった!」
「……キモい言い方をしないでください」
女神はげんなりした表情で、誠一を睨みつけた。
その視線は、まるで汚物を見るかのような冷ややかさだった。
誠一は、この出来事を通して一つの真理にたどり着いた。
この「スティール」能力には、「スティールしたパンツの持ち主を呼び寄せる」という隠された特性があることを。
まあ、何はともあれ、水分を補給し──
彼は生きながらえることができた。
こうして、誠一の牢獄ヒモ生活は始まったのだった。
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