28話 残滓

 子猫の里親を探し始めてさらに数日が経ったが、インターネット上の登録サイトを覗いても反応はなかった。

「うーん……」

 子猫の可愛い写真をなんとか用意して簡単なプロフィールも書いたものの、しおりは一つのことが引っかかっていた。

「……拓人は仮に里親が見つかったとして、本当に引き取ってもらうのかな」

 子猫に対する拓人の態度を見ていると、まるで本当の飼い猫のように愛情深く接している。勿論、それは今後どうするにしても大事な事だから悪いことではない。しかし、愛情深く接すれば接するほど別れる時が辛くなるだろう。それを拓人が理解していないとは思えなかった。

 カチカチと他の里親募集の投稿を眺めながら、しおりはため息を吐く。

「まあ、その時はちゃんと説得するしかないか」

 しおりは立ち上がると、気分転換にと書庫へ向かった。


 この書庫になら動物の飼い方について記した本があるのではないか。

 ふと興味を持ったしおりは、普段の家庭教師に関係した書籍ではなくペットに関連する書籍を探していた。

「柊さんに聞きつつなんとか面倒見てきたけど、やっぱり何かしらの本は読んでおきたいよね」

 書架を歩き回りつつ、しおりは関連しそうな書籍がないか見回ったものの見つけることが出来ないでいた。一般教養や経営に関する書籍――おそらく宗一郎が若い時に購入したであろうものが多かった。動物を飼うことを禁止しているぐらいだから、もしかすると宗一郎は動物嫌いなのかもしれないとしおりは思った。

 ふと、書架の角を曲がったところで。

「……ん?」

 書架に脚立をかけ、本の整理をしていると思われる花じいとしおりはばったり遭遇してしまった。

「こ、こんにちは」

 書庫の管理をしているとは出会った時に聞いていたが、今までここで会うことはなかった。タイミングの悪い時に顔を合わせてしまったとしおりは焦燥を抱いた。

「なんだ、探している本でもあるのか」

 そういえば花じいにはまだ子猫のことを話していなかったとしおりは思い出す。謎めいた老人ではあるが、悪意のあるような人ではないのはこれまでの短い付き合いで分かっていた。話して良いものかしおりが迷っていると、

「……土についた足跡は消せても、折れた花の傷は消すことができん。お前さんの探し物と関係しているかは分からんがな」

 くつくつと、花じいは全てを見通しているかのような笑みを零した。子猫が荒らした花壇の周りを直しておいたとはいえ、この人の目は誤魔化せないとしおりは悟る。

「はい、実は……」

 しおりは花じいに一通りの事情を話した。捨て猫が最近この家にやってきて拓人に懐き始めたこと。柊も交えて相談した結果、里親が見つかるまで面倒を見ることになったこと、不注意で子猫が花壇を荒らしてしまったことなどを説明した。

「すみません、花を傷つけるつもりはなかったんです」

 しおりの謝罪に、花じいは不思議そうな様子を見せる。

「何を謝ることがある? 子猫なら尚更、知らないものに好奇心を覚えてじゃれつきたくもなるだろう。西園寺のせがれがそれを叱ったのであれば、わしから言うべきことなどない」

 花じいは鷹揚に笑ってみせた。その様子を見て、しおりは一つのことを訊ねる。

「あの、花じいは――西園寺さんが、どうしてこの家で動物を飼うことを禁じているのかご存知ですか?」

 彼は柊よりもこの家に長く仕えていると聞いたことがある。であれば、宗一郎の真意に最も心当たりがあるのは目の前の老人なのではないかとしおりは考えた。

 だが、花じいは静かに首を横に振った。

「さあな。本人に聞いてみるのがよかろうて」

「……でも、西園寺さんはあまり家に戻りませんし……」

 例え聞いたとしても、納得する答えが返ってくるようには思えなかった。自分が家庭教師として雇われた理由を未だに聞けないように、彼のルールや行動に疑問を挟むことは許されないような……そんな気がする。それはきっと、拓人も同じように感じているのだろうとしおりは思った。

「なんだ、聞いておらんのか」

 ふと、花じいの言葉にしおりは思考が止まった。

「え? な、何がですか?」

「あの男なら、明日からしばらく家に戻ってくるぞ。何でも世間嫌いの研究者を引き入れるための交渉で自宅に招待するだとか……変わり者の考えることは分からんな」

 宗一郎が戻って来る、それは子猫の存在が宗一郎に知られるかもしれないということを意味する。

 拓人はこの機会に子猫のことを宗一郎に打ち明けるのだろうか。それとも、何か言われるまで黙ったまま面倒を見るのだろうか。

 ……どちらにしても、私は拓人の味方に立つだけだ。

 そう決意するしおりだったが、嫌な予感を拭うことが出来ない。目の前の花じいへ曖昧に返事するので精一杯だった。

「……そうなんですね、教えていただいてありがとうございます」

 花じいはしおりを一瞥するだけで何も言わなかった。

 そして話は終わったとばかりに脚立を畳み、別の本棚へと移動していった。

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