27話 太陽
柊が子猫を病院で診てもらったところ、健康状態に問題はないとのことだった。
子猫はしばらくケージに入れた状態で、拓人の部屋で飼われることになる。
「僕の部屋なら入る人は限られてるし、なるべく目を離さないようにしたいから」
とはいえ、拓人は学校に通う必要があるので付きっきりとはいかない。その間はしおりが定期的に子猫の様子を見に行っていた。二段ケージで一段目はトイレ、二段目は寝床という配置にして、水と餌はケージ内が狭くならないようケージの外に置くことになった。
病院で測定した体重を元に必要な餌の量は分かっていた。しおりは自分のお昼を済ませた後に子猫の水とドライフードを補充するようになり、それ以外の時間は拓人が与えることになった。人がいない間だけケージに入れてそれ以外の時間はケージの入口を開けるようにしたため、部屋の中の物を傷つけないように移動させる必要があった。
問題は里親探しの方だった。病院の方でも里親募集の広告には載せてもらったが、すぐにという訳にはいかない。募集し始めて一年経っても引き取り手が見つからないということも珍しくないらしい。
一応、拓人から茜や篠杜に頼めないか聞いてみたようだが、どちらも引き取るのは難しいとのことだった。
「大丈夫なのかな……」
里親探し二日目で、しおりは早くも不安を抱えていた。
ちなみに、瑞希には里親探し三日目の時点で子猫の存在が明るみになった。
「猫はどうしても独特の体臭があるものですから。拓人やしおりさんから漂うわずかな匂いに気付いちゃいました」
瑞希はしおり達を責めようという様子はなかった。ただ、一つだけ悲しそうな顔をして呟いた。
「私は拓人がもしきちんと飼いたいと考えているのなら、それでも問題ないと思ってるわ。でも、宗一郎さんはきっと認めないでしょうね。あの人なりに譲れないことがあるのだと思います」
瑞希も宗一郎の真意は把握していないようだったが、やはり問題になるのは宗一郎が決めたルールにあるのだということはしおりにもよく分かった。
子猫はよくケージの外から窓の外を眺めていた。猫によくある習性ではあったが、もしかしたら元の飼い主のことを待っているのかもしれないとしおりは思った。
そして、部屋に遊ばせる道具がまだないので、子猫に外で遊ばせる時間を取ろうと拓人が庭園に連れ出した時のことだった。
ケージから出す時にしおりがリードをつけ、拓人は子猫が万が一暴れても大丈夫なようにケージを押さえていた。
子猫はすんなりとケージの外に出て人懐っこい笑顔を浮かべる。そこまでは問題なかった。
「にゃ♪」
これなら大丈夫だろうと、しおりはリードを拓人に渡したのだが――
「わっ!」
途端、子猫は勢いよくダッシュし始めて全力で拓人を引っ張り始めた。思いのほか強い力に、拓人はバランスを崩しそうになる。
子猫にとっては逃げ出したいというわけではなく、単にじゃれて遊びたいだけのようだった。
それから子猫は手近な花壇に近づくと、マリーゴールドが咲いている花壇をじっと見上げる。
「この花に興味があるの? これはね……」
拓人が説明しようとその時、子猫は――ぴょんとジャンプして、その柔らかな脚でマリーゴールドの花弁を挟んでみせた。
「みゃ!」
その動きに、拓人の顔が青ざめる。
「駄目だよ!」
止める間もなく、子猫はマリーゴールドの花首をぽきりと折ると、花弁を咥えて拓人の元に持っていった。
「……僕にこれを?」
「みゃあ♪」
子猫はまるで小さな宝物を見つけたかのように、得意げに鳴いてみせた。
「気持ちは分かるけど、君は花を傷つけたんだよ。貰っても嬉しくない……もう二度とこんなことをしちゃ駄目だ」
子猫を叱り、拓人は花弁を拾い上げると花が植わっている土に窪みを作った。そして花弁を埋めて、上から土をかける。
「みゃあ?」
子猫はそれを宝堀りだと勘違いしたのか、拓人が埋めた土を掘り起こそうと爪を立てた。
「っ、これは遊びじゃないんだ!」
埋めた土を手で覆いながら拓人が叫ぶと、子猫はしゅんとして耳を丸める。
その様子を見ていたしおりは、いったん引き上げようと声をかけた。
「拓人。今日はもう屋敷に戻ろう。花壇は私が整えておくから」
やるせない表情の拓人だったが、無言のまま頷いて子猫のリードを持ち直し屋敷へ連れて行った。
その日の夜、様子が気になったしおりは拓人の部屋に顔を出した。
「先生? 珍しいね」
「あの子は、もう寝ちゃったかなって」
部屋の角に置かれたケージをしおりが見ると、子猫は既に身体を丸めてすやすやと眠っていた。
「一日の半分くらいは寝てると思うよ。今日は外で遊んだから、特にね」
憂鬱そうな顔をする拓人を、しおりは何とか励ましたいと思った。
「昼間のことは残念だったけど、少しずつ教えていくしかないよ。今日は拓人がきちんと叱ったんだし、これでもうしないと思うよ」
「……うん、そうだといいね」
しばらくあどけない顔で眠る子猫を見つめた後、拓人は言葉を零した。
「正直ショックだったんだ。僕にとって花はかけがえのない存在だけど、この子にとっては物珍しくて、簡単に誰かにあげたくなるようなものだったんだなって」
「……拓人は、この子を嫌いになった?」
「ならないよ。でも、分からなくなったんだ。この庭園の花と猫、どちらも大事にしたいって思ってたけど……マリーゴールドが傷つくのを見た時に、ちゃんと自分に出来るのかなって」
「大丈夫、できるよ」
しおりが力強く言ってみせると、拓人は首を傾げてみせた。
「先生がそういう言い方するの、らしくないね」
「ふふ、覚えてない? 私が花図鑑の編集長をちゃんと出来てるか不安だったときのこと。今の拓人、あの時の私と同じ顔してるよ」
しおりの言葉に拓人はハッとして、恥ずかしそうに笑った。
「思い出したよ。ちょっと前のことのはずなのに、まるですごく昔のことみたいだ」
それから拓人は顔を引き締めて、子猫が眠るケージを軽く撫でる。
「そうだね……これぐらいで自信なくしてる場合じゃない。もう少し頑張ってみるよ」
元気になったみたいで良かった、としおりは安心して立ち上がり、拓人の書斎机に近寄った。そして棚に立てかけてあった花図鑑を手に取る。
「ねえ、今夜は気分転換にこれ眺めない? マリーゴールドの絵見たくなっちゃった」
「いいね、そうしよう」
拓人はしおりの隣に立ち、図鑑をめくり始める。
この図鑑にいつか花以外が描かれるような日が来るのだろうかと、しおりは思いを馳せるのだった。
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