第30話 自分の「真実」は自分だけのもの

 ぼくが体験したことを手始めに、禅の思想やスピリチュアルの思想などに照らし合わせて、ひとまずの結論を出すことができました。

 なぜ、禅やスピリチュアルの思想に向かったのかというと、元々霊的な存在を体験していたこと。オカルト方面が好きだったこと。そして何よりも禅の公案が好きで、ひとつの問題を考えつづけて十年ぐらいたったころ、突然小さな悟りを得たであろう体験があった、というのが大きな理由です。

 自然科学は好きですし、否定することはありません。社会はそれで成り立っていますし、ぼくもその中で生きていますからね。ただ、今の科学はまだ途中経過で、その先があるような気がしていて、今の科学ではまだ不十分だと考えています。今なら量子物理の今後に期待をしています。

 ということで、一般常識だけを信じることなく、目に見えない世界もあるものとして生きていますので、禅やスピリチュアル的な思想に行くのは当然の結果です。


 小さな悟りを得たと書きましたが、実際に悟りと呼ばれるものかどうかぼくにはわかりません。その手の師匠は体験と本だけですから、確認ができずにいます。

 しかしその中で、ぼくは「真実」を体験することができました。

 「真実」は感覚的なもので、言葉で言い表すのがとても難しいものです。それを言葉にするのが、ぼくに与えられた仕事だと思って、こうして文章にしていますが、そもそも言葉にするのが難しいことです。

 例えるなら、バンドのライブでステージに立ったときの気分、みたいなものです。体験した人はあの高揚感や緊張感が、人そろぞれであっても、いくらかの共通した気分を知っています。しかしその体験がない人にはまったく伝えようがありません。百聞は一見に如かず、です。

 ぼくがこうして言葉を並べても、ぼくが体験した「真実」を伝えられているとは思っていません。かぎりなくストライクに近いボール球であり、決してストライクに入ることはありません。やはり百聞は一見に如かずです。本人が体験しないかぎり、本当のことはわかりません。

 「真実」はあくまでも、ぼくだけの「真実」ということなんです。

ぼくがこうして書いているのは観光案内のようなもので、「おおよそこんな感じです」ということだけで、ここに真理は存在しません。道案内ぐらいにはなるかもしれませんが、人それぞれの目的地がある以上、ぼくの言葉だけで、そこまではお連れできません。

 こういった内容の記事などを読んで、わかった気になるのだけはお気をつけください。誰もあなたをゴールには連れていけません。あくまでも参考書です。「真実」という答えは、自分の体験でしか得られません。

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