第31話 「観察者」の視点を持つ

 多くの人が気づいていませんが、人生には多くの「目に見えない世界」からの奇跡が届けられています。大げさとかファンタジーな話に聞こえるかもしれませんが、ぼくは体験上、事実として考えています。

 重病からの奇跡的な回復、絶望的な交通事故での奇跡的な生還など、奇跡と呼ばれるもの。また、その電車に乗れなかったことで事故に巻きこまれなかったとか、なぜかいつもよりすこし早く家を出たおかげで事故渋滞に巻き込まれなかった、と言ったような出来事も、耳にしたことがあると思います。

 この世や人生には奇跡も偶然も存在しません。たまたまうまくいったのではなく、本人の意図によって引き寄せられた結果だけが積み重ねられているだけです。

 わかりやすくするため、大きな出来事を例に挙げましたが、誰の人生にも奇跡は起きています。それに気づいているかどうかです。


 またわかりやすく極端な例を挙げると、「今・ここ」に生きていること、存在していること、これ自体が奇跡です。数えきれないほど死に至る病気やケガ、事件や事故に巻き込まれる可能性がある中で、「今・ここ」に生きていることは紛れもなく奇跡のひとつであり、もっとも大きな奇跡です。

 「それはそうだろうけど…」と思われる方もいらっしゃると思いますが、人が亡くなるのは簡単です。思っているほど人は頑丈に出来ていませんし、人体のパーツがすこし欠けるだけでこれまでどおりに生きることはできなくなります。人は思っているより繊細でか弱い生き物である、という前提をご用意ください。

 そう考えれば、笑顔で過ごせる時間がどれほど奇跡的で尊いか、理解できると思います。生きている時間は、とても貴重な体験の積み重ねなんです。


 日常生活の中で奇跡を体験することはほとんどないように見えますが、ここにもたくさんの気づきにくい奇跡がたくさん起こっています。

 丁寧に考えてみればわかることですが、本当にちょっとしたことでも、自分のコントロール外のところで自分に都合のよいことというのは、けっこう起こっています。

 何を落としそうで落とさなかったり、忘れ物をしそうになってギリギリで思い出したりすること、体験されてる方は多いと思います。「ギリギリセーフ!」と、頭の中で叫んだことはないでしょうか。

 思考になかったこと、コントロールできていない部分、気がつかないまま過ぎてしまう瞬間など、人には隙がけっこうあります。そこを埋めてくれてトラブルにならなかったのはなぜでしょう。

 日常的に、自分の体験していることを「観察者」として見つめてください。

 そこに奇跡が山ほどあり、日常生活を助けられていることに気づくはずです。

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