第29話 「愛」をバカにすると「愛」に泣く
「愛」という言葉は、どうしても恋愛的なイメージが最初に出てきてしまいます。
本来であれば学校教育の中で教えてもいいぐらい大切なことだとぼくは考えていますが、世の中はそうではないようです。
「愛」とは、自分の内側から湧いてきて外側へ放出されるエネルギーの名前です。
わかりやすいところで言うと、「好き」という気持ちはたしかに「愛」です。その「好き」という気持ちは恋愛だけではなく、家族やペット、趣味のモノやコレクションなど、いろいろな方向に存在します。
それと同時に、怒りや憎しみ、恨みなどもまた「愛」です。こういった場合、まず人であれモノであれ相手がいるものですが、その相手に対しての思いがあります。それが「愛」です。まったく無関係の人に対して怒りや憎しみは持てません。
つまり、自分が持つ感情の総称が「愛」ということになります。
「愛」はスピリチュアル的な面から見ても、やはりエネルギーです。
「大いなるすべて=創造主」は、ポジティブしか持ち合わせていません。一般的な人工的な神にも、愛の化身であるとか、愛のかたまりというようなイメージがあると思いますが、それはまさに「大いなるすべて」に誰かが接触して得たイメージでしょう。「大いなるすべて」はまぎれもなく愛のかたまりです。
「大いなるすべて」はすべてですから、ぼくたちの魂も肉体もその一部です。つまり「すべての人が愛のかたまりである」と言えます。
人という存在も、そもそもは愛のかたまりなのでその影響下にあります。だからこそ「愛」というエネルギーによって、明日の自分=人生を創造しているわけです。それが「引き寄せの法則」などが利用できる、あるいは利用している根拠です。
人も人生も、すべてが最初から「愛」という毛布に包まれていて、ぼくたちはその中で、「愛」を利用しながら、さも自分の力で生きているというような感覚で生きているわけです。
「愛」がなければ信頼もありませんし、子孫も生まれません。発明も発見もありませんし、進歩もありません。逆に言えば、すべてを疑い、不安になり、心配をして、目に入るものすべてに恐れ慄いて生きていくことになります。おそらく、そんな世界では誰も生きていけないでしょう。
ぼくたちはつねに「愛」の庇護の下、人生を創造し、夢や希望を追いかけたり、目の前のトラブルに対処したり、まったりとお茶を飲んでいるのだと理解しておくと、感謝こそしても、人生や自分に悪態をつくことはできません。その上で、「引き寄せの法則」などのツールも、意図的に使えるようになっています。
「愛」をおざなりにすると、物質的にも非物質的にも損をするということです。
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