第17話 「生きるは学ぶ」もの
禅の思想に始まって、スピリチュアルや哲学、心理学などもすこしだけかじった結果にたどり着いた結論は、「生きる」という行為は何も学んでいなかった、という事実でした。
日本には義務教育もあり、人生に必要な学ぶべきことは、学んできたと思っていましたが、それは国家を維持するための社会の歯車としての機能を学んでいただけで、個人的な人生に必要なことはほとんど何も学んでいないということ気づきました。
たとえば、幸せとはなにか、豊かさとはなにかという抽象的な事柄です。
本来であれば、身内が伝えるべきものであるような気がしますが、親も親戚も、幸せとはなにか、という問いに明確な答えは持っていません。それは、親も「生きる」ことを学んでいないから。どうにも伝えようがありません。
金銭的な豊かさは、大人であれば伝えることができるかもしれませんが、それと幸せは違うものです。お金が余るほどあっても、余命一か月では幸せにはなれません。
健康であることの幸せも伝えることができますが、毎日が経済的にカツカツの生活では幸せを感じるヒマもありません。
本当の幸せとは、本当の豊かさとは、本当の人生とは、を知るためには「生きる」ことがどういうことかを知らなければ、知ることはできません。
そして、「生きる」とはどういうことかを教えてくれるような人や場所は、宗教や怪しげなセミナーぐらいしかありません。
宗教、とくに古くから続いている仏教であれば、存在している期間が長い分、ノウハウもありますし、伝え方も洗練されているとは思いますが、現代における宗教は、どの宗派であっても怪しげに思われています。
海外の宗教でも古くから続いているところもありますから、仏教と同じようにノウハウを持っていたり、洗練されていたりしますから、何かひとつの宗教に、自分の人生のすべてを委ねるという意味では、楽に生きられるかもしれません。
しかし一歩間違うと、霊感商法も同じ仕組みである場合が多くあります。
宗教を否定するつもりはありませんが、何を信仰するとか信じるのであれば、まずはご自身を信じることが先決です。
自分ほど自分をわかっている存在もありませんし、自分で覚悟をもって決定したことであれば、たとえその結果が上手くいかなかったとしても、納得できます。
ぼく個人的には他力本願に否定的ですし、ぼくは一切していません。
まずは自分が自分を知り、コントロールできるようにしておくこと。それを続けていると、自分にとっての神は自分であることに気づくと思います。
「生きる」を学ぶための、最初の一歩です。
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