第16話 「自分だけのモノサシ」は外に出さず

 思い込んでいたり、信じ込んでいたりすること。いわゆる「固定観念」です。

 「固定観念」は視点を減らし、視野を狭めます。極端な例を挙げると、「海には魚しかいない」というのと同じです。軟体動物も海洋哺乳類も爬虫類も存在しますが、生まれたときから「海には魚しかいない」と教え込まれて、海に行ったことがなければ、その人にとっては「海には魚しかいない」、が正しいことになってしまいます。


 その人にとっての正しいことが、かならずしも世界の「正しい」と同じであるとはかぎりません。その家庭の中だけで正しいこと、その地域でだけ正しいこと、というものがあります。何かの影響を受けて、自分だけの正しいこともあるでしょう。

 すべての人が、自分だけの正しいによって思考や行動をしています。

 これをぼくは「自分だけのモノサシ」と呼んでいます。

 たいていの場合、意見の食い違いがあったりする場面では、お互いが「自分だけのモノサシ」を振り回していると考えて間違いありません。

 もちろん、世の中的に正しいこともあります。しかし、自分の人生にとって正しいことは、自分だけのものであり、自分にしかわかりません。

 世の中的に正しいことの代表は法律や条令です。守らないと罰則があります。それでも、日々殺人事件をはじめ、強盗事件や交通違反など、いろいろな事件が起こっていて、メディアで報道されています。それは、罰則を気にしないという、その犯罪をする人の「自分だけのモノサシ」によって行われています。怒りに身をまかせていたとしても同じことです。法律より自分の正しいを優先した結果です。

 多くの人は、「自分だけのモノサシ」と常識や世間体などをすり合わせて、落としどころを選択していると思いますが、時々そうではない人もいらっしゃいます。


 「自分だけのモノサシ」はかならず誰もが持っています。

 親の教育や周囲の環境、自分の体験や知識などを元に作られていきますので、同じモノサシは存在しません。どれだけ似たモノサシでも、突き詰めれば違っています。

 誰もが持っているからこそ、ぼくはなるべく手放すようにしています。

 ぼくの個人的な趣味や生活に関しては、そのままにしていますが、他人がかかわることになれば、それは凶器になりかねません。

 すべきことは、「自分だけのモノサシ」を横において、相手の話を聞く姿勢、そしてその話に対して多くの視点を持つこと。それが大切です。

 そうでなければ、霊的な生きかたのぼくは、すぐに世の中と対立してしまいます。

 「自分だけのモノサシ」は外に出さず、自分のためだけに使うものです。

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