夢うつつ螺髪パフェ
丸玉庭園
ゆめうつつ はねるいしきは うのうさのう
静電気では、ない。
それらは、それぞれの
周囲は、騒々しい言葉たちであふれている。価値観の理解できない装い、正しい位置につけられていない耳、やわらかそうでない皮膚。彼のいでたちは、あるいは正しく、あるいは間違っているのかもしれなかった。
アーケードから、無数の紅白提灯が釣りさげられ、白狐のような霧が立ちこめている。ぱちぱち、と皮膚の上を小さな電気が走る。頭を掻きむしり、いまだに周りを流れている祝福のコメント欄から逃れるように、商店街へと走り出した。あらゆる左右から、仁王像が睨みつけてきている。ここは、いつもよりも居心地が悪かった。
推しのVtuber・夢現カクリヨが、年齢を詐称していた。いや、そんなことはどうでもいい。いま問題なのは、彼女に恋人がいたことだ。自分というリスナーがいるにも関わらず、恋人がいたなんて。そして今日、その恋人と結婚するというのだ。
『大切なお知らせ』配信はたったいま、終わった。同志だったはずのリスナーたちは、カクリヨが幸せならそれでいいと、赤スパで祝福のコメントを投げた。結婚式のライスシャワーのように、祝福の赤が流れていく。そのたびに、心臓へ送られる血液が、ふつふつと滾っていく。心臓がどおん、どおん、と太鼓を打ち鳴らす。商店街を駆けぬけていくたびに、のぼり旗が、規則正しく降りていく。遠くで、どおんどおん、という低い音がする。白い狐のような霧が、足元をかすめた。
おめでとう、と耳元で囁かれる。「信じない」と呟いた。ぜんぶ、なかったことにしたい。祝福だなんて、そんなこと思ってもいないくせに。その祝福が、すべて本心だというのなら、こんな世界なくなってしまえばいい。
白い霧が、ひゅるひゅると腕にまきついてきた。今度は、鰻のすがたになり、するすると商店街を泳いでいく。すれ違うでっぷりとした巨人や、四つ足の動物を無視して、鰻を追いかける。もうどこかへ行ってしまいたかった。すべてが、どうでもよかった。
これまで、ずっとずっとリヨの配信だけを、追いかけていた。疲れていても、寂しくても、哀しくても、リヨの配信だけがあれば生きていられた。リヨがくだらない発言で炎上したときも、数万円のスーパーチャットを送って応援のコメントを送った。
『いつも笑顔をくれてありがとう。夢現カクリヨの配信だけで生き延びている、ただのリスナーです。リヨへスパチャを送るためだけに働いているよ。そろそろ、自分の名前は覚えてくれたかな。読みあげてくれると、とてもうれしい。あっ、別に読みあげてくれなくても、リヨのリスナーを辞めることはないから、気を遣わなくても大丈夫だよ。自分は、リヨのリスナーのひとりなんだという自覚をもって、リスナーをやっているから、警戒しなくて大丈夫だからね。そうだ。来月はやっとリヨの誕生日だね。誕生日配信はなにをするのかな。いまから、とっても楽しみだよ。ここで、リクエストさせてください。カラオケ配信、どうっすか?(笑) 楽しみにしてまーす』
しかしなぜか、その赤スパはSNSで拡散され、いつしかネットの玩具となってしまった。こんなの、ラブレターを見つけて掲示板に貼りだす小学生のやることだ、と吐き気がした。この赤スパのどこが『きもちわるい』のか、さっぱりわからない。ただリヨへの純粋な気持ちを綴った文章の、どこがいけないというんだ。
でも、そんな彼女も今日で、夢現カクリヨでなくなってしまう。純粋で無垢で、穢れを知らなかった彼女は――もう、いなくなってしまったんだ。
「はあ……もう、なにも信じられない……」
どおん、という和太鼓の音。どこかで祭りでもやっているのだろうか。ぴーひょろひょろ、という笛の音も聞こえる。ふわり、と香ばしいにおいが漂ってきた。赤いのぼり旗のあいだを泳いでいた鰻が、足元に建てられた看板の前で霧散する。オレンジ色のイルミネーションが、古民家の佇まいを夜闇からあぶりだすように、照らしている。看板には、『喫茶とりお』と書かれていた。二階も店のようで、ガラス窓からはなかのようすが、少しだけうかがえる。思えば、彼女の配信の衝撃で忘れていたが、まだ夜ご飯を食べていない。最近は、彼女へのスパチャを送るために、切り詰めた生活をしていた。うどんに醤油をかけたものだけで済ますことも増えていた。だが、今日でもう、夢現カクリヨのリスナーから降りる。もう、彼女にスパチャを送ることはない。彼女に救われた自分から、もとの自分に戻る。
がらり、と店の引き戸が開くと、影人間が黒板を持って外に出てきた。影人間は、こちらを向くと、口の位置を裂けさせた。どうやら、笑ったようだった。
「なか、入られますか」
「ああ……じゃあ、入ります」
影人間はさらに、口のあたりを裂けさせると、店内へそっと手招いた。入るとすぐに、格子になっている透明のショーケースがあった。ずらりと、食品サンプルが並んでいる。ひつまぶしや、角煮のどんぶり。そして、いろとりどりのパフェ。不覚にも、胃のあたりから、情けない音が響いた。影人間が、「くふふ」と声をもらした。
「よろしいですよ。よろしいですよ。こちらは、求めるものをご提供します」
「えっと、まだ注文、決まってないんですけど」
「真実のゾーンが、照明として撹拌しています。天晴れなワーニングとなりて、赤鳥居へとご相伴してみせましょうぞ」
影人間は、手前の椅子を引いて、座るように促してきた。仕方なく座るが、テーブルに置かれたステンドグラスのランプはアンティークのようで品があった。新緑と日光があわさったような明かりが、心を落ち着かせてくれる。
すると、隣に座っていた客が、突然ガタンと席を立った。ひどく、動揺しているようだった。
「裏切られた! ああ、ひどい気分だ! なんてひどい裏切りなんだ!」
頭のうえに黒い三角の耳を生やしており、顔は前髪でほとんど見えなかった。黒いコートを羽織っており、すそから墨を垂らしたような尾が伸びている。彼は、ぼろぼろと涙を零しはじめ、テーブルはすぐに涙の海になってしまった。すみかを見つけたとばかりに、影の金魚がそこで泳ぎはじめる。ゆうゆうと泳ぐ金魚が、彼をばかにするように、降ってくる涙をぱくぱくと食べていく。それに気づいた彼は、ますます泣きはじめてしまった。うるさくてたまらないので、呆れたようにトントンとテーブルのはしを突いた。
「あの、すみません。外で泣いてもらえませんか。金魚も泳いでいることですし」
「夢現カクリヨが……推しの配信者が、結婚するんです! 泣かなきゃ涙が枯れてくれない!」
「結婚……とは、まさか」
もしかして、と配信者の名前をいうと、彼は前髪が吹っ飛びそうなほどに頷いた。彼は、自分と同じ配信者……夢現カクリヨを推していたのだ。同志を見つけた彼は、嬉しそうに同じテーブルに移動してきた。貯水池の涙は、金魚の住処に譲ったようだった。
「夢現は、年齢を偽っていた。そんなこと、どうでもいい。恋人がいたのも、結婚をしたのも、どうでもいい。ただ……ぼくたちに、嘘をついていたことが、ただただ悲しいんです……」
そういって彼は、今度はこちらのテーブルで泣きはじめた。
そのとき、影人間が「くふふ」と笑いながら現れた。トレイの上には、二本のパフェ柱が聳えている。グラスのなかは、クリームとフルーツがたっぷりとつまっており、頂上にはホイップされたクリームが、仏さまの螺髪のようにトッピングされている。甘いにおいが、鼻をくすぐった。それは、花のかおりだった。
「イヌホオヅキのパフェです」
いい終わると、影人間は滑るように、キッチンへと戻っていった。テーブルから生えているように、パフェが鎮座している。パフェスプーンを彼に渡すと、まだぽたぽたと涙を零している。涙は、イヌホオヅキのパフェに雨を降らせた。それは、みるみるうちに、パフェのなかで嵐を起こした。
「わかりますよ。自分も嘘は……きらいです」
同意すると、彼はさめざめとうなずいた。
「あなたは、もっとずっと哀しいでしょうね。いつも、夢現に赤スパを送っていたのは、あなたでしょう」
「なぜ……知っているんですか。あなたとは、はじめて会ったのに」
「わかりますよ。あなたのアバターは、いつも夢現のそばにいました」
「そりゃあ、そうでしょう。あなたもそうかもしれませんが、自分たちは、もうとっくの昔に、現実世界での肉体を持っていません。バーチャル世界に身を投じ、バーチャル世界で生きることを決めた。しかし、リヨは配信でときどき、『バーチャル世界になかなか慣れない』といっていました。だから、バーチャル空間での配信のときは、まっさきにリヨのそばに行って、操作方法などを教えてあげようと……」
そうだ。アバターすがたのリヨが、このバーチャル大須の、仁王通り商店街に来るときは、自分がまっさきに迎えに行った。リヨの常連リスナーである彼だから、一目で自分だとバレてしまったのだろう。
「夢現は、傷ついていたんです。リスナーが、バーチャルの世界で生きられない、ぼくたちしかいないことに」
「すでに、実世界よりも、バーチャル世界のほうがわずかに人口が多い。そんなことは当たり前のことなのに」
しかし、ここでようやく思い至る。ありえない想像に、また血液が激しく波打つ。赤いのぼり旗が、遮断機のように降りていき、心臓への逆流をいなしていく。視界がモノクロに明滅し、夢現カクリヨの配信サムネイルが、走馬灯のように流れていく。
いや、リヨは――『肉体を捨てているはず』。自分と同じ、バーチャルだけの存在のはずだ。
だって、過去の『配信でそういっていた』のだ……。
とたん、夢から覚めるように、彼が「やはりそうなのか」と、またわんわんと泣き出した。
「彼女は、現実世界のほうが、『当たり前』だと思っていたんです。彼女は……過去の配信で『現実世界の肉体は、捨てちゃった』といっていたのに――あれこそが嘘だったんだ!」
パフェのなかの嵐が、雷雲を呼ぶ。金魚たちが、雷雲へと次々登っていき、集合していく。ひとつとなった金魚は、真っ赤な竜となり、『喫茶とりお』の天井に雨雲を作った。ひとたび、店内は雨模様となる。しとしとと降る雨は、透明のガラスケースに雨の波紋を作った。
「彼女の恋人は、バーチャル世界ではなく、現実世界にいるんですか?」
「ええ。たしかに、インターネットの掲示板でそういわれています」
「ネット世界なんて、嘘ばっかりじゃないですか。確かな情報なんですか」
「嘘とか真実とか……もう、どっちでもよくないですか?」
ぴしゃあん、と店内に雷が落ちた。テーブルの上の金魚がジャンプして、水滴を散らす。
「ぼくたちの夢現カクリヨはもう、いないんですよ……」
「以前から彼女には、肉体なんて必要ないと思っていました」
ぽつりと呟いた一言に、彼がぎょっとして、前髪を揺らした。コートのしたの尻尾が、ゆらゆらと揺れてはじめている。
「肉体なんて、夢現カクリヨをはかる記号でしかないのに……どうして、そんなに肉体を求めるんでしょうね」
リヨは、リスナーに性別で媚びることをしなかった。自分とは異なる性別の配信者にも、容赦なくプロレスをしかけた。性別を売りにして、リスナーにスパチャをねだることもしなかった。性別にとらわれず、エンターテインメントをし、自分をコンテンツとして割り切っていた。自分というコンテンツのセルフプロデュースを怠らない、そんな部分が大好きだった。
夢現カクリヨは、性別などという穢れのない存在だと信じていた。
なのに、肉体を捨てていなかったなんて……。
『女』という肉体を捨てた自分の、唯一の存在となってくれると信じていたのに……。
「彼女と自分なら、愛しあえると信じていたのに……」
頭を抱える自分に、彼が憐れむような視線をよこした。
「想像通り、きみは……そうとうなガチ恋だったんですね……」
ふたつのパフェは、店内の雨ですっかり溶けきってしまっていた。グラスのなかでたゆたうイヌホオヅキのクリームを掬ってなめてみると、意外とおいしかった。すっぱくて、甘い。それに、しょっぱくもある。それは、彼の涙の味かもしれず、少しだけ嫌な気分になった。
彼がパフェスプーンで、グラスを強く弾いた。グラスは粉々になって砕け、星となり、バーチャル大須仁王通り商店街のアーケードに散っていく。真っ赤なアーケードの屋根から、チカチカと仁王通りを照らした。
テーブルの下から、招き猫がぬるりと顔を出した。「にゃあ」とひと鳴きすると、自分の膝の上に乗ってきた。真っ黒な夜色の瞳が底なしの沼のようで、不気味だ。
「ばかばかしいほどに泣いてしまったので、大須の招き猫さんも、鳴きにきたようですね」
彼が苦笑すると、招き猫がくしゃみをした。すると、牙の生えた口からぽろんと何かが零れ落ちた。涙がゆらめいている床に、ぼちゃんと手を入れ、拾いあげる。ぐっしょりと濡れたそれを、まじまじと見つめた。
「これは、誰かのアカウントのようですね」
「また誰かが、現実世界の肉体を捨てて、この商店街にやってきたんでしょう」
影人間が、膝の上の招き猫を抱きあげていった。しかし、招き猫は幻のように影をすり抜けて、店の外へと逃げていってしまう。影人間は、どこか悲しそうにして、自分の手から、誰かのアカウントを摘まみあげた。
「夜は旅立ちのユニコーンよりも、恣意的な悦楽です。ポン菓子の羅列は、鍵盤の終末をとめどなく流れていく、リリカルなロマンとなるでしょう」
招き猫の出て行った引き戸を、影人間が、ガラガラガラと閉めていく。
「バーチャルは偽り、永遠のエンドロール」
ぱち、ぱち、と皮膚の上をポッピングシャワーの小さな雷が撫でていく。商店街中を赤い赤いスーパーチャットが、流れ落ちる滝のようにうねりながら流れていく。
大須仁王通り商店街の赤門を煌びやかに彩り、今日も終わることのない夜が更けていく。
夢うつつ螺髪パフェ 丸玉庭園 @iwashiwaiwai
★で称える
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