2度目の屈辱

警告が当事者に届いたのだろう。──そう思う間もなく、世界が止まった。


新型コロナウイルスが、それを合図にしたかのように。

日本も例外ではなかった。リモートワークが波のように押し寄せ、この会社もまた例外ではなく、フルリモートが可能な部署は、あっけなく自宅勤務となった。


あの、まるで儀式のような公開処刑が、これで終わったのかどうかはわからない。顔を合わせぬ分だけ、画面の向こう側で、同じことが繰り返されていたとしても──誰にも分からなかった。


だが、事実として残されたものがひとつ。本社人事からの警告が、国内の人事部を介し、公開処刑の当事者へと届けられたという話だった。「Public Humiliation」という言葉を使って──それは、明確に違反とされた。


あのベテラン社員は、気がついた時にはもう、いなかった。退職したという話を聞いたのは、ずいぶんと時が経ってからだった。Slackの名が消え、社内の人事システムからも、彼の影は静かに抹消されていた。誰も、その理由を語らなかった。


後日、耳にした話がある。日本支社の社長──稲本明義。営業部長時代、彼に数字で幾度も救われたとされる人物。その稲本が、退職を翻すよう説得したらしい。だが、その努力が及ぶことはなかった。知っていたのだろうか──あの公開処刑のことを。止めることはなかった。ただ静かに、その場にいて、見て見ぬふりをしただけだった。


その年、稲本は静かに退いた。あたかも役目を終えたように。まるで、それが予定されていたかのように。


そして春──引退の報が正式に社内へ流れた。空気が一変したのは、その直後だった。次は誰が社長になるのか。誰が、この椅子に座るのか。噂の火種は、すぐに燃え広がった。


候補は二人いた。ひとりは、大槻慎治。営業部長として公開処刑の張本人とされる男。もうひとりは、外山悠真。営業と企画を兼ねる本部長。どちらも、社長候補として外部から迎えられた人物だった。


だが──事態は、あっけなく崩れる。大槻に、報告が届いた。慢性的なパワハラ。社長候補の肩書きは、一夜にして剥がれた。そして残ったのは、外山だけだった。本社の判断は、驚くほど簡潔だった。「適任者がいないのなら、彼でいい」。指名ではなく、了解だった。言外の圧が、決定を告げた。


気がつけば、外山が社長になっていた。彼にとっては──不本意な、頂点だった。


だが、最も悔しさを滲ませていたのは、やはり、大槻だった。彼は残った。何事もなかったように。社長にはなれずとも、ナンバー2でいられるなら。


けれど──彼の仮面は、長くはもたなかった。再び、本部長として新たな男が入社した。若く、語学にも経営にも長けた存在だった。再び、大槻の梯子が外された。


その目の奥にある熱。燈麻は、それを見ていた。何かが──燃えはじめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る